毎年12月1日の世界エイズデーの前後には東京・新宿の都庁本庁舎が赤くライトアップされます。国際的なHIV/エイズ対策のシンボルとなっているレッドリボンの赤ですね。2年前の夏には、コロナの流行に対する警戒のアラームとしてライトアップされ、支援と連帯のレッドなのに・・・鼻白む思いが少しした記憶があります。
ただし、国連機関ともなると、その辺は変幻自在といいますか。レッドリボンはレッドリボン、でも赤は警告にも使いますよと割り切っているようです。
国連合同エイズ計画(UNAIDS)の年次報告書『GLOBAL AIDS UPDATE』の2022年版は真っ赤な表紙にIN DANGER(危機的状況)の文字が10列も並んでいます。
API-Net(エイズ予防情報ネット)の公式サイトに概要版の日本語仮訳が掲載されているので、ご覧ください。
https://api-net.jfap.or.jp/status/world/sheet2022_GLOBAL_AIDS_UPDATE.html
《この報告書が明らかにした新たなデータは、恐るべきものです。対策の成果は停滞し、資金は縮小し、不平等が拡大しました。不十分な投資と行動により、私たちすべてが危険にさらされています。このままでは何百万もの人がエイズで死亡し、何百万という新規HIV感染を防ぐこともできません》(概要版P2「はじめに」から)
TOP-HAT News第168号(2022年8月)の冒頭もその年次報告の紹介《真っ赤な表紙の危機感》です。HIV/エイズ対策へのCOVID-19パンデミックの影響が、2021年末までのUNAIDSのデータでもいよいよ顕在化してきました。2022年のウクライナの危機というか、ロシアの乱心というか、その影響も恐るべきものがあります。
大変なのはエイズ対策だけじゃありませんよ、と言われれば、その通りではあるけれど、世の中、大変なんだからエイズはもういいだろうと言ってすまされる事態でもありません。この危機的状況をどう打開していくか。対応に追われるだけでなく、次から次へと世界が新たな試練に直面する中で、40年におよぶエイズ対策の困難な経験を通して得られた教訓を生かす時でもあります。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
メルマガ:TOP-HAT News(トップ・ハット・ニュース)
第168号(2022年8月)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
TOP-HAT Newsは特定非営利活動法人エイズ&ソサエティ研究会議が東京都の委託を受けて発行するHIV/エイズ啓発マガジンです。企業、教育機関(大学、専門学校の事務局部門)をはじめ、HIV/エイズ対策や保健分野の社会貢献事業に関心をお持ちの方にエイズに関する情報を幅広く提供することを目指しています。
なお、東京都発行のメルマガ「東京都エイズ通信」にもTOP-HAT Newsのコンテンツが掲載されています。購読登録手続きは http://www.mag2.com/m/0001002629.html で。
◆◇◆ 目次 ◇◆◇◆
1 はじめに 真っ赤な表紙の危機感
2 アジアは増加に反転 2021年新規HIV感染者数
3 国内も赤信号 エイズ動向委員会が新規HIV感染者・エイズ患者報告確定値を発表
4 アブドゥル・カリム夫妻らが受賞 第4回野口英世アフリカ賞
◆◇◆◇◆◇◆
1 はじめに 真っ赤な表紙の危機感
世界のHIV/エイズの流行と対策の動向をまとめた国連合同エイズ計画(UNAIDS)の年次報告書『GLOBAL AIDS UPDATE』は毎年6月後半か7月に発表されます。前年12月までのデータを集約し、報告書のかたちにまとめると半年ぐらいはかかるのでしょうね。
国際エイズ学会(IAS)が主催し、隔年で交互に開かれている国際エイズ会議とHIV科学会議の開幕直前に発表すれば、相乗効果で注目率が高まるといった事情もあります。
今年(2022年版)の発表は7月27日、第24回国際エイズ会議(AIDS2022)の開会式2日前に会議開催地のカナダ・モントリオールで行われました。会見にはUNAIDSのウィニー・ビヤニマ事務局長やIASのアディーバ・カマルザマン理事長(AIDS2022閉会式でシャロン・ルイン新理事長と交代)も出席しています。
2022年版報告書のタイトルは『IN DANGER(危機的状況)』。真っ赤な表紙には、そのIN DANGERの文字が10段も並んでいます。レッドリボンの赤ではなく、世界に警告を発する危険信号の赤ですね。
世界保健機関(WHO)は2020年1月30日、新型コロナウイルス感染症COVID-19の流行を『国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)』と宣言しています。それ以来、コロナとエイズのツインパンデミックが同時進行することがHIV/エイズ対策に大きな影響を与えることには、UNAIDSも強い懸念を表明してきました。
その懸念がいよいよ現実として、UNAIDSの収集データでもはっきり示されるようになったということでしょう。
『COVID-19その他の世界的危機により、HIVパンデミック対策は過去2年にわたって後退を続け、資金も縮小している。その結果、何百万という人たちの命が危険に曝されている・・・』
プレスリリースの書き出しも危機感を強く打ち出し、対策の再構築を各国指導者に呼びかけています。「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行終結」は持続可能な開発目標(SDGs)のターゲットの一つでもありますが、2030年の目標達成はこのままでは望めません。
さらに2021年末現在の集計データには含まれていませんが、報告書では2022年に入ってからのロシアによるウクライナ侵攻、および難民・避難民となった多数のHIV陽性者の窮状や世界の経済・食糧危機の影響にも言及しています。
プレスリリースと2021年末時点の世界のHIV陽性者数などのファクトシートはAPI-Net(エイズ予防情報ネット)に日本語仮訳で紹介されています。
プレスリリース
https://api-net.jfap.or.jp/status/world/sheet2022_GLOBAL_AIDS_UPDATE.html
ファクトシート
https://api-net.jfap.or.jp/status/world/sheet2022.html
報告書の冒頭20ページ余りに及ぶExecutive Summary(要旨)の日本語仮訳も近く、プレスリリースのページに掲載される予定です。
2 アジアは増加に反転 2021年新規HIV感染者数
UNAIDSの2022年ファクトシートから2021年末時点の主な推計値を紹介します。
世界全体(2021年)
HIV陽性者数 3840万人[3390万-4380万人]
年間新規HIV感染者数 150万人[ 110万- 200万人]
エイズ関連疾病による死者数 65万人[ 51万- 86万人]
抗HIV治療を受けている陽性者数 2870万人
世界全体(累計)
流行開始以来の感染者数 8420万人[6400万-1億1300万人]
流行開始以来の死者数 4010万人[3360人-4860万人]
年間の新規HIV感染者数が最も多かったのは1996 年の320万人でした。2021年は150万人なので、そのピーク時と比べると54%減少しています。抗HIV治療薬の普及が感染予防にも大きな成果をもたらした結果と考えられています。
「予防としての治療」に本格的に取り組み始めた2010年当時(年間220万人)と比べると、減少率は32%です。世界が治療の普及に健闘してきた成果は大きかったというべきですが、コロナの流行の影響で2021年は前年比3.6%の減にとどまり、減少幅は2016年以降で最も小さくなりました。
2016年のエイズに関する国連総会ハイレベル会合で採択された政治宣言では、年間の新規感染者数を2020年末までに50万人未満に抑え、2030年にはさらに20万人未満にする目標に国連の全加盟国が賛成しています。そうなれば「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行」は終結といえるのではないかという認識です。
2021年に新たな政治宣言が採択された時にも、この2030年目標は変わっていません。ただし、現状でもすでに実現は困難と考えられています。白幡を掲げるわけではありませんが、赤信号です。HIV/エイズ対策や各国の保健基盤に与えたコロナの影響は予想以上に深刻と言わざるを得ません。
地域別にみると、これまでも増加傾向にあった東欧・中央アジア地域、中東・北アフリカ地域、ラテンアメリカ地域は引き続き増加。それに加え、気がかりなのは、治療の普及も含めたコンビネーション予防で成果を上げてきたアジア・太平洋地域の年間新規感染者数が26万人となり、減少から増加に転じていることです。
UNAIDSは推計の精度をあげる努力を続け、年次推移のデータも毎年過去にさかのぼって計算しなおしています。ファクトシートには地域別年次推移データは示されていないので、直接の比較はできませんが、参考までに昨年のファクトシートをみると、2020年のアジア・太平洋地域の新規HIV感染者数は24万人でした。その差は2万人、8%ほど増加しています。世界で最も人口規模の大きいアジアでの反転だけに、UNAIDSは警戒すべき傾向ととらえています。
3 国内も赤信号 エイズ動向委員会が新規HIV感染者・エイズ患者報告確定値を発表
2021年の国内における新規HIV感染報告とエイズ患者報告の確定値が8月12日、厚生労働省エイズ動向委員会から発表されました。API-Net(エイズ予防情報ネット)に今年上半期の報告とともに掲載されています。概要は委員長コメント(PDF版)をご覧ください。
https://api-net.jfap.or.jp/status/japan/data/2022/2208/20220812_coment.pdf
前半は2022年第1、第2四半期の報告、後ろの方に年間確定値の説明が載っています。
【確定値】
新規HIV感染者報告数 742 件(過去 20 年間で18 番目の報告数)
新規エイズ患者報告数 315 件(過去 20 年間で19 番目の報告数)
合計 1057 件(過去 20 年間で18 番目の報告数)
3月15日に発表されている速報値と比べると、新規HIV感染者報告数が25件、新規エイズ患者報告数は9件、合わせると34件、増えています。
また、直近5年間の年次推移は以下のようになっています。
2017年 1389 ( 976, 413) 29.7%
2018年 1317 ( 940, 377) 28.6%
2019年 1236 ( 903, 333) 26.9%
2020年 1095 ( 750, 345) 31.5%
2021年 1057 ( 742, 315) 29.8%
()内の左側はHIV感染者報告数、右側はエイズ患者報告数です。また、右端の%は報告全体に占めるエイズ患者報告の割合を示しています。
エイズ患者報告は、HIV感染後も長い間、感染に気付かず、エイズを発症して初めてHIV感染の診断を受けるケースです。早期に感染を知り、治療を開始することは、感染した人自身の健康を保ち、同時に他の人への性感染のリスクを下げることにもなるので、この割合の増減が、エイズ対策の進捗状況を把握する一つの指標として重視されてきました。
直近5年間をみると、2019年には26.9%まで下がっています。しかし、コロナの流行が開始した2020年に大きく増加に転じ、2021年も高止まりして5年前の状態まで戻ってしまいました。UNAIDSの年次報告同様、日本の現状にも赤信号がともっていることを認識する必要がありそうです。
4 アブドゥル・カリム夫妻らが受賞 第4回野口英世アフリカ賞
8月27~28日にチュニジアで開かれる第8回アフリカ開発会議(TICAD 8)に先立ち、第4回野口英世アフリカ賞の受賞者が内閣府から発表されました。
医学研究分野は南アフリカ・エイズ研究プログラム・センター(CAPRISA)所長のサリム・S・アブドゥル・カリム博士と同センター次長のカライシャ・アブドゥル・カリム博士がご夫妻で受賞。
医療活動分野は、ギニア虫症撲滅プログラム(カーターセンターとアフリカ関係者のパートナーシップ)です。
授賞式はTICAD 8の際に実施される予定です。
◇
サリム・S・アブドゥル・カリム、カライシャ・アブドゥル・カリム両博士は『科学的に厳密な研究を通じたHIV/エイズ予防・治療への世界的貢献、アフリカ人研究者の育成において果たした役割、及び新型コロナウイルス感染症対策における確固たる科学的リーダーシップの功績』(内閣府報道発表)が評価されました。
このうちHIV/エイズ分野では、地道なコミュニティ調査によって、南アフリカのHIV 陽性女性の多くは 20 歳前後で、10 歳以上年長の男性から感染し、男性の方は 30 歳前後で同年代の女性から感染するという「異性間の性感染のサイクル」を明らかにしました。
さらにこのサイクルを断ち切るため、社会的にHIV感染の脆弱性が高い立場に置かれている若い女性が自ら使える予防手段としてマイクロビサイドの普及を検討しました。性行為の半日ほど前に女性が抗レトロウイルス薬のテノフォビルを入れたゼリー状の物質を自らの膣内に塗布しておく方法です。2010年にウィーンの第18回国際エイズ会議でCAPRISA004研究として報告しています。HIV感染防止効果は39%にとどまったため実用化は困難でしたが、「予防としての治療」のコンセプトを確立する先駆的研究として、いまも評価されています。
両博士が2002年に設立したCAPRISAは、エイズ専門の目立たない非営利研究機関でしたが、現在は『アフリカで最も著名な研究機関の1つになり、世界中で政府の政策に影響を与える科学的アドバイスを提供する上で重要な役割を果たしている』(内閣府報道発表)ということです。
◇
一方、ギニア虫症は、汚染された飲料水により拡大する寄生虫感染症で、医療活動分野の受賞者であるギニア虫症撲滅プログラムが発足した1986年当時は、アフリカ19カ国とアジア2カ国で年間約350万人が感染し、約1億2000万人が感染リスクに曝されていました。ジミー・カーター元米大統領が設立したカーターセンターを中心に各国保健省や地域コミュニティ、世界保健機関(WHO)、米疾病予防管理センター(CDC)などがプログラムに参加、飲料水の汚染防止や患者発見の調査活動と治療の提供、健康教育など地道な対策を重ね、2021年には症例件数が15件まで減少する成果をあげています。
◇
野口英世アフリカ賞は『野口博士の志を引き継ぎ、アフリカのための医学研究・医療活動それぞれの分野において顕著な功績を挙げた方々を顕彰し、アフリカに住む人々、ひいては人類全体の保健と福祉の向上を図ること』を目的に日本政府が創設。2008年の第1回以来、アフリカ開発会議の開催時に授賞式が行われています。