「私たちは、あなたです」 エイズと社会ウェブ版623

 現代性教育研究ジャーナルNo.136が8月15日、配信されました。 

www.jase.faje.or.jp

 巻頭の記事は「トランスジェンダー選手をめぐるスポーツ界の現状と課題」。著者は中京大スポーツ科学部の來田敦子教授です。

『スポーツ界における取り組みは、総じて、医学モデルから人権モデルへと移行してきたものの、参加の平等と競技の公平性のバランスをめぐり、課題も発生している。本稿では、国際オリンピック委員会IOC)におけるトランスジェンダー選手の参加に向けた取り組みを中心に、歴史的背景と現状を概観し、課題を提示する』(はじめにから)

 勝手に、なれなれしく紹介してすいません。面識はない方です。それでもこれは読まなくては。

 スポーツ大会におけるトランスジェンダー選手の参加をめぐる議論は、個人的にも、どう判断したらいいのか、うまく結論にたどりつけないでいる課題です。中抜きで恐縮ですが、「おわりに」の部分には『現代社会において公平にみえる基準とは何かを、思い込みや偏見に囚われず探し続けることにこそ、スポーツという文化にとっての重要な意味がある』という記述があります。

 また、來田教授は、その「終わりに」の少し後の方でも、こう指摘しています。

 『仮にトランスジェンダー選手に身体的な優位性があったとしても、そこには性別不合に悩み、乗り越える苦しさの中でスポーツに取り組んだ努力がある。その人生の道のりへの理解なくして、勝敗を決するための現行制度の方法論に拘泥すれば、スポーツは時代遅れの文化になりかねない』

 すでに時代遅れの老人にも「そうだよなあ」と説得力が感じられる指摘です。

 スポーツを文化としてとらえることは、政治の思惑や商業主義に翻弄され、なおかつ折り合いを付けようとする中で、スポーツの価値に一つの芯を通す試みであり、つまりそれこそが、いま・・・。

 そんなことに思いを致しつつ、それでもなお迷ったままの状態で、急に話を変えてすいません。私の連載コラムOne side / No side(多様な性のゆくえ)64は、その現代性教育研究ジャーナルNo.136の9ページに掲載されています。タイトルは「私たちは、あなたです」。

  

 

 恥ずかしながら、ピンクベア長谷川博史さんに「新聞記事みたいだね」と酷評された自作の詩の一部も紹介しました。とってつけたような言い訳をすれば、巻頭の記事とも、内容的に少しだけ関係があるかもしれません。あやかり商法のような売り込みで恐縮ですが、ついでの折にお読みいただければ幸いです。