惜しまれつつ、でも、やり切った イルファー釧路ファイナル エイズと社会ウェブ版674

 北海道釧路市で20年にわたってHIV/エイズ分野の啓発活動を続けてきたイルファー釧路が昨年(2023年)12月10日、釧路ろうさい病院の講堂で20回目となる師走講演会を開催し、2004年8月発足以来の活動に終止符を打ちました。

 ファイナルと銘打った講演会の様子は、宮城島拓人代表(釧路労災病院副院長)がブログで、熱く、そして詳しく報告されています。

 

『ファイナルはクールに始まりそして熱く燃えた!(第20回師走講演会報告)』

 http://blog.livedoor.jp/ilfar946/

イルファー釧路20年の歴史を振り返りながらの成人式でもあり、解散式でもありました。今回の師走講演会には、会場に80人超、ウエブに44人の実に120人以上のかたが、私どもと時間を共有してくれたのでした》

 (宮城島代表のブログから)

 

 オンラインも活用したハイブリッド開催だったのですが、私は個人的な事情から参加できませんでした。現職の新聞記者だった2009年には「ジャーナリストから話を聞くのもたまにはいいだろう」ということで講師としてお招きいただき、2年ほど前にはハイブリッド開催のおかげで、ケニア在住の稲田頼太郎先生とも話をする機会を得ました。

 ファイナルに参加できなかったことは返す返すも残念です。

 

 20年におよぶイルファー釧路の歴史は公式サイトの「イルファー釧路について」というページに短くまとめられています。ケニアのナイロビで稲田頼太郎博士が日本を含む各国のスタッフと共に2000年から続けてきた無償診療活動(フリーメディカルキャンプ)に宮城島代表や鍼灸師である須藤隆昭事務局長が参加したのがきっかけになり、釧路で暮らす人たちの参加を得て20年も続いてきました。

 HIV/エイズパンデミックという世界史的な課題に対し、地元の活動を丹念に積み上げ、理解を広げていく。まさにThink globally, Act locally(地球規模で考え、地域で行動する)の見本と言うべきでしょう。

 イルファー釧路のファイナルとなった師走講演会では、その宮城島代表と須藤事務局長が壇上に立ち、『HIV/AIDS今昔物語、そして未来へ』(宮城島代表)、『イルファー釧路誕生秘話、そして明日への橋渡し』(須藤事務局長)というタイトルで講演を行いました。まさに温故知新。

 宮城島さんはブログで、その総括として『こうやってHIVエイズは人類の性(さが)による蔓延、偏見差別から、人類の英知による感染症の克服へ40年かけて進んできました。すべてが解決したわけではありませんが、イルファー釧路としての市民へのHIV予防啓発はそろそろ終わってもいいころではないかと思われる所以でもあります』と書いています。

 HIV/エイズの流行は、世界全体で見ても、日本の国内でも、すべてが解決し、克服されたわけではありません。しかし、イルファー釧路のAct locallyに関しては、「やり切った」という充実感と手ごたえも伝わってきます。外野席から恐縮ですが、ありがとう、ご苦労様でしたと申し上げたい。

 なお、イルファー釧路はファイナルを迎えましたが、師走講演会については『今回を限りに終わったわけではありません』ということです。

 『来年からはHIV中核拠点病院である釧路ろうさい病院の活動として引き継いでいく所存であります』

 その意気やよし。HIV/エイズを通して得られた一人一人の経験と知識は、国際保健と地域医療の両方に様々な教訓と成果をもたらしつつ、なお未解決の課題でもあり続けています。来年の講演会はきっと同窓会として貴重な出会いを提供する機会にもなるのでしょうね。