逆転の発想で世界を結ぶ イルファー釧路師走講演会 エイズと社会ウェッブ版534

 毎年12月の恒例イベントとなっているイルファー釧路の師走講演会が12月13日(日)午後4時から、釧路ろうさい病院の会場とウェッブによるハイブリッド開催で実施された。司会を担当したイルファー釧路の宮城島拓人代表(釧路ろうさい病院副院長)によると、イルファー釧路は今年、新型コロナウイルス感染症COVID-19の流行のためほとんど活動できなかったという。

 それでも師走講演会は「今年最後の大一番」として何とか実現したいと開催の可能性を探り、これなら、ということで企画したのがハイブリッド開催だった。

f:id:miyatak:20201214205808j:plain

 リモートによる参加登録者は65人、ケニアベイルート、そして日本全国のいたるところから申し込みがあった。私の場合、釧路で開かれる講演会にはなかなか参加できないが、今回は鎌倉で居ながらにして参加が可能になる。こりゃあ、いいね!ということで早速、申込みました。

 講演会の冒頭、「コロナを逆手に取って、ユニバーサルな講演会が実現できました」と宮城島さんはあいさつした。コロナに対しては皆さん、恐れや不安を感じます。それは30年前にHIV/エイズの流行で感じたのと同じこと。HIV/エイズから学んだ教訓は新型コロナにも生かせます・・・。

 うろ覚えで恐縮だが、おおむねそんな趣旨のあいさつだった。

 講師は、横浜に住む岩室紳也医師とケニア在住の稲田頼太郎博士のお二人。

 稲田さんは1993年にニューヨークで設立されたイルファー(ILFAR)の創設者であり、2000年以降はケニアのナイロビ近郊にあるスラムで、HIV/エイズ関連の医療支援を続けてきた。2010年からはケニアに常駐してイルファーの活動を続けている。

 イルファー釧路はそのイルファーの医療支援活動に加わった宮城島代表が「これは遠い世界の問題ではない」と感じたことがきっかけになり、2004年に釧路で発足。充実した活動を続けている。イルファー釧路の公式サイトには、イルファーおよびイルファー釧路について分かりやすく説明してあるので、詳しくはこちらをご覧いただこう。

 https://bsystem-jp.com/ilfar946/aboutus.html

 最初に講演を行った岩室さんは、前回の東京オリンピック開催時をはさみ、小学生時代の6年間をケニアで過ごしている。国内で医師としてHIV診療やHIV/エイズ対策の普及啓発活動を長く続けてきた。

 現在はその経験を生かし、COVID-19対策でも、いわゆる夜の街の飲食店などの要請に応じ、協力と信頼の関係を確立しながら感染防止策の普及に取り組んでいる。

 講演の中で岩室さんは、それぞれの場面や条件に応じ、具体的にリスクを減らしていく方策の重要性を指摘し、それを実現するには、健康づくりの基本となるソーシャルキャピタル(社会資本)としての「つながり」を大切にする必要があることを強調した。

 COVID-19の感染防止対策にあたる担当者や専門家が、実際に「夜の街」と総称される業種の店舗を訪れ、経営者や従業員、場合によっては顧客もまじえて現場の課題を共有する。それが「信頼関係」の萌芽となって、感染防止対策に協力して取り組む。そこに「お互い様」の意識が生まれ、具体的な行動を通じた「つながり」が成立することで「信頼」の意識が一段と強まる。そうしたサイクルができれば通常の社会生活を続けながら感染防止に効果をあげるための道筋もさらに開けてくる。

 日本国内の大都市繁華街の現場におけるこうした(「お互い様」と「つながり」と「信頼」の)好循環の蓄積が、コロナ対策には極めて重要な意味を持つという。

 このことは、期せずして、次の講演者である稲田さんのケニアにおけるHIV/エイズ活動の成果にもつながるものだった。蛇足ながら付け加えておけば、「期せずして」というのはあくまでリモートで講演会に加わっていた私の感想であり、企画者にとっては、狙い通りだったのかもしれない。

 稲田さんの講演は、1 ケニアにおけるCOVID-19の流行と対策の現状、2 ナイロビ近郊のプムワニ、コロブッチョという二つのスラムにおけるイルファーのHIV/エイズ対策活動の成果と展望、の二部構成だった。

 ケニアでは今年3月に初めて新型コロナの感染者が確認され、その後、ほどなくして厳しい外出禁止令が出された。また、ナイロビの刑務所では受刑者を解放するなど、かなり思い切った感染防止策がとられている。

 しかし、流行はそれでも続き、ケニア国内におけるCOVID-19による死者は12月9日現在で1552人となった。6月には経済活動を重視する観点から外出制限が一部、緩和され、11月には第3波が訪れる中でさらなる制限緩和が行われた。その影響がどう出るのか、懸念されるところだという。それぞれの国には、それぞれの事情があることを踏まえたうえで、あえて一般化したことを言えば、どの国も社会や経済の動きを止めず、なおかつ感染の拡大を抑えるという課題の克服には苦労している。

 イルファーの活動については、UNAIDSが2020年末を達成期限としていた90-90-90ターゲットの高速対応目標について報告があった。

 90-90-90とは、HIV陽性者の90%が検査を受けて自らの感染を知り、そのうちの90%が抗レトロウイルス治療を受けられるようになり、さらに治療を受けている人の90%が自らの体内のHIV量を検出限界未満に抑えた状態を維持できるようになるという目標である。

 2030年までに「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行終結」を実現するという大目標に向けて、2020年末には中間目標として、この90-90-90ターゲットを達成するというのが、国連加盟国の共通約束だった。

 ただし、すでに締め切りは目前に迫っており、世界全体でみれば達成は不可能だという結論を国連合同エイズ計画(UNAIDS)は出している。

 また、こういう時の常套手段として、UNAIDSはつい先日、2025年に向けて90-90-90を超える新ターゲットを提唱した。この新ターゲットでは、90-90-90に相当する部分のハードルを一段上げ、95-95-95という数値も盛り込まれている。

 当然のことながら、90-90-90がクリアできなければそもそも95-95-95も成立はしない。締め切りは過ぎても、実現を急ぐべきターゲットとしての90-90-90は今後も課題として残ることになる。

 そうしたことを頭の片隅に置いて、稲田さんの報告を聞くと、驚くことにイルファーがHIV医療の支援活動を行っている2つの地区では、90-90-90ターゲットはすでにほぼ達成しているという。

 例えば、プムワニ地区の調査ではHIV検査の受検率が97%、検査で陽性と分かった人は100%が治療につながり、さらに治療を受けている患者250人を調査したところ、87%はウイルス量が検出限界未満(20コピー未満)だった。コロブッチョ地区では少し下がるが、ほぼ同等のデータだという。

 治療を継続してウイルス量が検出限界未満の状態を維持できれば、HIVに感染している人から他の人への性感染のリスクはなくなることが、これまで世界中の様々な研究調査の結果として報告されている。U=U(検出限界未満=感染しない)というキャンペーンはそうしたエビデンスに基づくものだし、90-90-90ターゲットも治療の普及がもたらす予防効果に着目した数値目標だった。

 つまり、90-90-90を達成できているということは、90%×90%×90%で、HIVに感染している人の72.9%からはHIVが性行為で他の人に感染しないということになる。

 UNAIDSの推計では、2019年には世界で年間170万人が新たにHIVに感染しているが、90-90-90が実現すれば年間50万人以下にまで減少する(はずだった)。これがさらに95-95-95になれば、年間の新規感染者数は20万人以下となる。

 ここまでくれば「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行は終結したとみなしましょう」というのが国際社会の了解事項とされている。「エイズ流行終結」はHIVに感染する人がゼロになる世界ではなく、HIVの新規感染を大きく減らし、HIVに感染した人が長期にわたって医学的に、そして社会的にも心理的にも、安定した暮らしを維持していける。実はそんな世界を目指しているのだ。

 この点もきちんと認識しておく必要がある・・・と私は思う。

 少し脱線しましたね。軌道を元に戻して、稲田さんの報告を続けよう。

 稲田さんから紹介された数字でプムワニ地区の現状を90-90-90ターゲットに当てはめてみると97-100-87。つまり、掛け算をすると84.39%になる。最後の87はわずかに目標の90に届いていないが、トータルとしてはターゲットを十分に達成している。

 この87の部分は、稲田さんたちが続けてきた服薬継続指導というコンサルテーション医療活動の大きな成果といえそうだ。長期にわたる医療支援の結果、あの人たちなら・・・ということでスラムの人たちからの信頼の輪が広がっていった。

 その中で、稲田さんを中心とするイルファーのメンバーも、抗レトロウイルス治療を受けている人たちに服薬継続の必要性を何度も何度も倦むことなく、納得できるように説明し続けたという。

 また、稲田さんが行うのはあくまでコンサルテーションであり、直接の医療提供は現地の医療機関が行うので、医療従事者に対し抗レトロウイルス薬の使用に必要な情報を提供することも大切だった。体内のウイルス量を定期的に測定することがなぜ必要なのかといったことを納得できるよう辛抱強く説明したという。こうした納得コミュニケーションの成果が信頼関係をさらに高めたようだ。

 しかし・・・と稲田さんの話は続く。プムワニ地区やコロブッチョ地区での成功は、あくまで首都ナイロビの近郊における点の成果にとどまっている。ケニア全体でみると、2019年には4万2000人がHIVに新規感染し、2万1000人がエイズで死亡している。そして、新規感染の65%はケニア西部の9県に集中しているという。

 「そこで稲田青年は考えた」

 まいったね。稲田さんはもう70代の半ばを過ぎているはずだが、自らを「青年」と呼ぶ。

 「薬剤の真の恩恵をケニアにもたらすため、あと10年がんばります。感染者の平和な生涯にチャンスを」

 あと10年とは、公衆衛生上の脅威としてのエイズ終結を約束した国際社会の達成目標年である。その2030年まで、イルファーは新規感染者の多いケニア西部地区で活動することを計画している。残念ながら現在は、コロナ流行の影響でなかなか活動ができない状態だが、準備は着々と進められているという。