昭和と令和がつながった 『Dr.ミヤタクの研修医養成ギプス』

 Dr.ミヤタクこと釧路ろうさい病院の宮城島拓人副院長から新著『Dr.ミヤタクの研修医養成ギプス』(金鳳堂)を送っていただいた。ありがとうございます。

 

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 宮城島さんとはケニア在住の稲田頼太郎博士を通じて知り合い、HIV/エイズ対策分野で何かとお教えいただくことが多い。イルファー釧路の師走講演会に講師としてお招きいただき、冷や汗もののお話しをしたこともある。冷汗が氷柱となって鼻先で凍らずに済んだのはイルファー釧路の皆さんに暖かく迎えていただいたおかげだと、いまも感謝している。

 さて、新著である。研修医養成に関しては、まったくの素人、何も知りません。ただし、養成ギプスという単語にはついつい「懐かしいなあ」と惹かれてしまう。読み始めてそうかそうかと膝を打ち、まったく知らない世界なのに、なぜか共感することも多くあった。この点をまず強調しておきたい。

 輝く星を目指して毎週、少年マガジンを愛読していた昭和のおじさん層には、なにかと琴線に触れる記述が多く、同時に日本の医療の現状と課題も分かる。しかも、医師としてこれから荒波に漕ぎ出そうとする若い人たちへの愛と育成への情熱に満ち溢れ、研修の現場がどんなものなのかも、私のような門外漢にすんなり伝わってくる。恐るべき怪著・・・おっと、快著である。

 医療の提供者側だけでなく、医療の受益者である(潜在的な)患者層としても、これは知っておくと便利だねという知恵が随所にちりばめられている。

 EBMは一般に「エビデンスに基づく医療」と訳されているが、宮城島さんの場合は「エクスペリエンス(経験)に基づくEBM」がより重視される。

 研修医養成ギプスによる30項目の鍛錬には、そのエクスペリエンスに基づく教訓がぎっしりつまっており、同じく昭和の伝説で言えば、1000本ノックに匹敵するのではないか。なおかつ、エピローグでは研修医の指導について『自分の受けた教育システムの全否定から始めなければならなかった』と書く。

 『昭和の時代に医師になった私は医局制度の強固なヒエラルキーの中で先達の背中を見て育った。そんな医師が、新しい臨床研修制度で送り込まれてきた研修医をどう指導し、教育するか』

 改革の情熱もあふれんばかりですね。医療界には野村再生工場ならぬ、宮城島再生工場という言葉もあるようだ。コロナ禍で本音を引き出す夜のカンファレンスもままならぬ中、Dr.ミヤタクの奮闘と暗中模索はいまも続く。

 消える魔球を生み出したあの主人公はどうなったのか。残念ながら連載漫画の最後の方の記憶が私にはあいまいだ。ただし、ほぼ同時期に連載されていたもう一つの人気漫画のラストならいまも覚えている。その記憶に頼って書けば、幸いなことにDr.ミヤタクはまだ「まっ白」にはなっていない。わっかるかなあ、イェーイ、シャバダバ