『人権の観点からエイズ対策に取り組む』 エイズと社会ウェブ版679

 

TOP-HAT News 第186号(2024年2月)です。
巻頭の『人権の観点からエイズ対策に取り組む』は1月18日に亡くなったエイズソサエティ研究会議副代表、樽井正義さんの功績をエイズ研究に焦点を当てて紹介しました。感謝の言葉とともにご冥福をお祈りします。

 

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TOP-HAT News(トップ・ハット・ニュース)

        第186号(2024年2月)

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TOP-HAT Newsは特定非営利活動法人エイズソサエティ研究会議が東京都の委託を受けて発行するHIV/エイズ啓発マガジンです。企業、教育機関(大学、専門学校の事務局部門)をはじめ、HIV/エイズ対策や保健分野の社会貢献事業に関心をお持ちの方にエイズに関する情報を幅広く提供することを目指しています。

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エイズ&ソサエティ研究会議 TOP-HAT News編集部

 

 

◆◇◆ 目次 ◇◆◇◆

1 はじめに 人権の観点からエイズ対策に取り組む

2 『何事も夢から始まる』

3 ヤローページ2024 浅草・上野版

4 イルファー釧路ファイナル

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1 はじめに 人権の観点からエイズ対策に取り組む

エイズアクティビストでもあった樽井正義・慶應義塾大学名誉教授(倫理学)が1月18日、がんのため亡くなりました。76歳でした。洗礼名ベルナルド樽井正義さんの葬儀ミサは3日後の1月21日夕、東京都世田谷区のカソリック松原教会で営まれ、大学やHIV/エイズ分野の関係者を含む230人が参列しました。

樽井さんは特定非営利活動法人エイズソサエティ研究会議の副代表や認定非営利活動法人ぷれいす東京の理事を長く務めてきました。とくにエイズの流行に対応するうえで、人権に関する社会的な理解の共有とそれに基づいて人権に配慮する社会構造を構築することの重要性を強調し、研究および政策提言などの活動を続けてきました。

1999~2001年の『エイズに関する人権・社会構造に関する研究』では、厚労省研究班の研究代表者として『HIV/AIDSと人権に関するガイドライン』をまとめ、公表しています。

https://research-er.jp/projects/view/129972

このガイドラインは《A.抗体検査と告知、B.個人情報の取り扱い、C.診療、D.研究、E.外国人感染者医療という5つの領域に分けて提示》されています。

その中で重視されているのは《医療を受ける権利と医療における自己決定の権利》であり、《疾病に対する偏見・差別が、その範を示すべき医療機関から生じていることには、医療者自身の反省が求められる》と指摘しています。いまなお大切な視点でしょう。

研究はその後も『個別施策層に対する固有の対策に関する研究』(2002~2004)、『NGOによる個別施策層の支援とその評価に関する研究』(2005~2006)に引き継がれ、MSM(男性とセックスをする男性)、薬物使用者、在日外国人など個別施策層とされるコミュニティがHIV/エイズ対策の担い手となる活動に理論的な根拠を提供してきました。

 また、ぷれいす東京の生島嗣代表が研究代表者だった『地域におけるHIV陽性者等支援のための研究』(2008~2010)に分担研究者として加わった後、その成果を引き継ぐ『地域においてHIV陽性者等のメンタルヘルスを支援する研究』(2012~2014)などの研究では、薬物使用者を犯罪者として処罰の対象とするのではなく、メンタルヘルス支援を必要とする人として捉え直すことをコンセプトに、4期12年にわたって研究代表者として主導的役割を果たしてきました。

2000年代の初頭には、国内で男性同性間のHIV性感染報告が急増し、アウトブレークへの懸念が大きく高まった時期があります、その中で、こうした長期にわたる活動が、別の研究班による『エイズ予防のための戦略研究』(2006~2010)とともに、施策選択にも影響を与え、アウトブレーク回避につながる契機となったと考えられます。

このことは抗HIV治療の進歩に基づく2010年代の『T as P(予防としての治療)』の成果、および大都市圏におけるコミュニティ活動や自治体との施策協力の強化などと相まって、最近のHIV新規感染報告の大きな減少をもたらした基盤として評価する必要があります。

また、国際的にも1994年の第10回エイズ国際会議(横浜)、2005年の第7回アジア太平洋地域国際エイズ会議(神戸)などを通じて海外のエイズ研究者、アクティビストとの交流を深め、大きな存在感を発揮してきました。

とくに横浜会議の準備過程では、国際エイズ学会(IAS)理事長だったーター・ピオット博士と知り合い、ピオット博士が後に国連合同エイズ計画(UNAIDS)初代事務局長として14年間にわたって世界のエイズ対策を主導する立場になってからも強い信頼関係が続きました。

2002年1月に世界エイズ結核マラリア対策基金(グローバルファンド)が創設された前後には、この基金のよき理解者として発言を続け、国内のグローバルファンド応援団であるグローバルファンド日本委員会(FGFJ)のアドバイザリーボードのメンバーにも加わっています。

 

 

2 『何事も夢から始まる』

グローバルファンドの設立20周年を記念し、FGFJが2022年9月に公開したドキュメンタリーフィルムシリーズ『何事も夢から始まる』の特別編(世界の感染症対策の「今」と「未来」)には、樽井さんのインタビューが紹介されています。

https://www.youtube.com/watch?v=3F0BjQcgvh8

「伝統的に感染症対策は、感染している人を特定し、社会から切り離して隔離する手法をとってきた。ところが(エイズ対策は)その方法では失敗する。なぜなら感染していると思われる人が取り締まられること、差別されることを恐れ医療者の前に現れない」

樽井さんはこう語っています。20世紀から21世紀への移行期は、バルナラブルな人たち(社会的に弱い立場に置かれた人たち)が、キーポピュレーション(対策の鍵を握る人たち)へと自らの定義を変え、活動の枠を広げていくエイズ対策の転換期でもありました。

「感染している人、感染のリスクに直面している人と一緒に対策を進めていこう。つまり感染者は対策の対象ではなく対策の担い手なのだというように感染症への取り組みが変わってきた。その変化を端的に表しているものの一つがグローバルファンドの設立でした」

エイズ対策の歴史とともに歩んできた研究者としての重要な指摘と言うべきでしょう。

 

 

3 ヤローページ2024 浅草・上野版

 首都圏のゲイスポットガイドとHIV検査情報を掲載したヤローページの上野・浅草版が昨年暮れ、8年ぶりに改訂・発行されました。

 ヤローページは『ゲイのライフ(人生)には、バーやショップ、ハッテン場などで楽しむこととあわせて、HIV性感染症など性の健康についても一緒に知って欲しい!』という願いを込めてつくられたタウンマップです。新宿版に続き、リニューアルされた浅草・上野版は表紙が両A面(つまり、どちらから見ても表紙)で、浅草側の表紙には「ゆったり、しっぽり 味わい深い街へ』、上野側には『アットホームなオトナの街へ』のキャッチコピーとイラストがデザインされています。

 説明が少々、分かりにくくなってしまったので、詳細はコミュニティセンターaktaのサイトでご覧ください。

 https://akta.jp/yallowpage/5520/

 

 

4 イルファー釧路ファイナル

北海道釧路市HIV/エイズの予防啓発活動を続けてきたイルファー釧路が昨年(2023年)12月10日、釧路ろうさい病院講堂で開催した師走講演会ファイナルを最後に20年間の活動に終止符を打ちました。

イルファー釧路の設立は2004年8月でした。ケニアのナイロビで稲田頼太郎博士が日本を含む各国のスタッフと共に2000年から続けてきた無償診療活動(フリーメディカルキャンプ)に釧路ろうさい病院の医師である宮城島拓人代表や鍼灸師の須藤隆昭事務局長が参加したことがきっかけになり、釧路で暮らす人たちの協力を得て、イベント開催や講演会など様々な啓発活動を続けてきました。ファイナルと銘打った第20回師走講演会の様子は宮城島代表がブログで報告しています。

 http://blog.livedoor.jp/ilfar946/

イルファー釧路20年の歴史を振り返りながらの成人式でもあり、解散式でもありました。今回の師走講演会には、会場に80人超、ウエブに44人の実に120人以上のかたが、私どもと時間を共有してくれたのでした》

 なお、イルファー釧路はファイナルを迎えましたが、師走講演会は今後、「HIV中核拠点病院である釧路ろうさい病院の活動として引き継いでいく所存」ということです。