本日の産経新聞の主張(社説)です。あまたある競技の中で、なぜ、ラグビーなのかという疑問は当然あるでしょうね。書いた人に聞いてみなければ分からないことかもしれませんが、あえて推測すれば、変化の時代における伝統と革新といったものを動的にとらえてみたかったのではないでしょうか。
競技スポーツの世界では、大量のデータを駆使した緻密な戦略でとりつく島もないような常勝チームが登場することもあるし、自由奔放なプレーでその常勝戦略をあっさり打ち破ってしまう個性派チームもある。7人制ラグビーという発展途上の競技がこれからどのような進化を遂げていくのか。
リオ五輪の男子7人制ラグビーの日本、フィジー、それぞれの存在感は時代の暗喩としても示唆的でした。残念ながらリオにおける直接対決では、フィジーのはちゃめちゃな強さが目立ちました。歯が立たない、そう感じた人も多かったかもしれません。
それでも大会前の素人予想では、ニュージーランド戦も、イギリス戦も、ケニア戦も、フランス戦も、一方的な試合にならないでほしいと祈るような気持ちでした。それを思えば、東京はどうなるか分からんぞという期待が、かすかながら持てた。勇気凛々のリオの夏(冬か)だったのではないかと思います。
7人制ラグビー 温故知新でさらに進化を
http://www.sankei.com/column/news/160818/clm1608180001-n1.html
リオデジャネイロ五輪の後半戦を盛り上げているのは、日本の球技の健闘だろう。
卓球は男女団体と水谷隼がメダルを獲得し、バドミントン女子はダブルスとシングルスで金に手が届きそうだ。表彰台は逃したがバスケットボール女子は強豪フランスを破り、世界ランク2位の豪州に冷や汗をかかせた。
そして7人制ラグビーの初戦で日本男子はニュージーランドを破り、世界を驚かせた。昨秋の15人制W杯イングランド大会で日本が南アフリカに勝ち、W杯史上最大の番狂わせといわれた試合に匹敵する衝撃だった。
五輪の歴史をさかのぼると、ラグビーは1900年の第2回大会から24年第8回大会までの間に4回、公式競技になっている。ただし4回とも15人制だった。リオ五輪は7人制なので新競技といってもいい。日本はその最初の大会でベスト4に残る大健闘だった。
7人制は15人制と同じ広さのグラウンドを使い、半分以下の人数で戦う。選手の消耗度が激しいので試合時間は短い。スピーディーで面白いと感じた人も多く、7人制の魅力に賭けたラグビー界の選択は、ひとまず成功した。
7人制は人数が少ない分、防御が手薄になり、攻撃側は間隙(かんげき)を見つけやすい。その結果、選手個人の走力や体格差で勝負が決まってしまうようだと、大味なゲームになってしまう恐れもある。
この点でも日本セブンズの活躍は重要だった。7人の連携力と戦略理解度の高さで体力差を埋め、執拗(しつよう)なタックルで大きな選手を止め続けた。攻撃でも数的優位を作り出す努力を続け、少ないチャンスをトライにつなげた。
初代金メダルは、個人技を生かした自由奔放なプレーが身上のフィジーが手にした。倒れながらボールをつなぐオフロードパス、密集の人数を減らして次に備えるFWプレーなどは、最近の15人制でもよく見られる。7人制の動きが15人制の新たな戦略のヒントになっている面もかなりある。
その対極が日本だったろう。15人制の戦略的発想を7人制に生かす工夫が随所に見られた。温故知新も創造的破壊もともに重要で、そこに観戦の妙味もある。
10位に終わった女子とともに、2019年のW杯日本大会と20年東京五輪に向けて、日本ラグビーのさらなる進化を期待したい。