リオ五輪が開催された2016年には、春ごろからブラジルでジカ熱の流行拡大に対する懸念が大きくなり、一時は五輪の開催も無理なのではないかといった意見が聞かれました。結局は、流行拡大が限定的だったこともあってオリンピックもパラリンピックも予定通り開催されています。その2016年の秋の終わりも近い11月20日に当ブログで『虎を放つのは誰か』を掲載しました。
実は同名タイトルの記事はその2年前の2014年11月19日に産経新聞のオピニオンサイトironaに掲載されています。いまから6年前ですね。衆院解散の2日前でした。
振り返ればあの時も感染症の流行で、内外が動揺していた時期でしたね。国内では夏の終わりから首都圏を中心に蚊を媒介とするデング熱のアウトブレークが報告され、東京都は秋の間、その対応に追われていました。
私も初秋の午後に汗を拭きふきJR四谷駅で電車を待っていたら、ふらふらと飛んできた蚊が首筋に止まり、チクッと刺されてしまったことがあります。アウトブレークの一つの中心と目されていた代々木公園からもそれほど遠くはありません。根が小心者なので、その後しばらくは、平気平気と強がりを言いながらも、ずいぶん不安になった記憶があります。
国際的には西アフリカでエボラの流行拡大が深刻化し、国連やWHOが大慌てで対応の遅れを取り戻そうとしていた時期です。
2016年11月のブログでは2014年の記事も採録して紹介しました。
長文です。読み返してみると、ああでもない、こうでもないと書き連ねた挙句、最後はどっちつかずの指摘で結んでしまったようにも思えます。
『信頼の喪失や失望の思いもまた、野に放たれた虎であっていいはずはない』
そもそも結論が出しにくい課題なのかもしれません(言い訳)。したがって、問題は先送りに先送りを重ね、いまに至ってしまったといいますか・・・。
煮え切らない自己PRで恐縮ですが、STAY HOMEで時間を持て余しているようでしたら、どうぞ読んでやってください。
『困難な病気と闘うためのメッセージとして、AACは恐怖や不安への対処を重視した。そうした感情が理屈にあったものなのかどうか。いま心の中にあふれるほどの恐怖と不安を抱えながら、病気と懸命に闘っているのは、本当は誰なのか。得体の知れない怪物などでは決してない。ほんの少しの時間でいいから立ち止まって、あるいは走り出す前に一歩、踏みとどまって、考えてほしい。最も困難なエイズの時代をくぐり抜けてきたAACのスタッフがあの時、研修で最も伝えたかったのはこのメッセージだったように思う』
1989年から分かっていたはずのことなんだけど、経験の継承は個人の心の中でも、なかなか難しいということを蟄居の中で改めて感じます。