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虎を放つのは誰か エイズと社会ウエブ版255

エイズと社会 国際感染症関係論

 2年前の明日(11月21日)は衆議院が解散した日でした。世の中が一気に総選挙に向けて走り出していく中で『虎を放つのは誰か エボラ報道と解散総選挙』という文章を書き、産経新聞のオピニオンサイトIRONNAに掲載してもらいました。
 http://ironna.jp/article/619

 掲載日は2014年11月19日ですから解散の2日前ですね。その年の秋には国内でデング熱感染症例が相次いで報告され、西アフリカではエボラの流行が広がっていました。

 エボラに関しては、国内での感染は確認されず、日本で流行が拡大する可能性は極めて低いかったにもかかわらず、「もしかしたら」ということで社会的な不安や恐怖が先行し、疑心暗鬼を増幅させるような報道も目立ちました。未知の事態に対し、可能性をできるだけ広くとらえて対応することは危機管理上、必要なことなのかもしれませんが、その問題点も落ち着いて考えられるときに整理しておく必要がありそうです。

 恐怖は構わない。
 しかし、野を駆ける虎のようにその恐怖を放ってはいけない。

 個人的な話で恐縮ですが、1989年から90年にかけて米国東海岸のボストンでエイズ対策の現場に身を置き、1年半を過ごしました。重大であり、かつ長期にわたる感染症の流行に直面した時、個人および社会は、その不安や恐怖にどう向き合うか。
 当時、米国ののエイズ対策において、このことは非常に大きな、そして差し迫った課題でした。上記メッセージはボストンでエイズ対策のボランティアとして研修を受けた際、真っ先に教えられ、長く心に残っている言葉です。
 いまはどうなのか。そんなことを考えながら、2年前に自分が書いたものを再掲します。言わずもがなで恐縮ですが、「虎」はトランプ氏の「トラ」に引っかけたわけではありません。2年前にトランプ氏の現在を想像することは到底できなかったし、時と場合をわきまえずにダジャレを連発するおじさんも、さすがにそこまでは・・・、英語じゃタイガーだし。

    ◇◆◇

虎を放つのは誰か エボラ報道と解散総選挙(2014年11月19日)

 Fear is OK. (恐怖は構わない)
 1989年にボストンのエイズ・アクション・コミッティ(AAC)で、ボランティア研修を受けたことがある。日本からやってきた新聞記者であることを告げたうえで、参加を認めてもらったのだが、その資料に太字で書かれていたのが冒頭の一行だった。

 恐怖は構わない。
 しかし、野を駆ける虎のようにその恐怖を放ってはいけない。

 AACは当時、全米で三番目の規模を持つエイズ対策団体であり、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染を防ぐための予防啓発やHIV陽性者への支援、医学研究や対策の充実を求める政策擁護など幅広い活動を行っていた。米国では1981年にゲイコミュニティを襲う謎の奇病としてエイズの最初の症例が報告されて以来、わずか数年で原因となるウイルスも感染経路も解明されていた。

 それでも、延命のための有効な治療法の開発にはまだ希望が持てず、初期のエイズ対策を担ってきたエイズアクティビストが次々に亡くなっていく。私がボストンに滞在していた1989年から90年にかけての米国は、そんな厳しいエイズの時代のまっただ中だった。大ヒットしたブロードウェーのミュージカル『RENT』やアカデミー賞主演、助演両男優賞を獲得した映画『ダラス・バイヤーズクラブ』の舞台となった頃といえば、その時代を生きた人たちの切なさと勇気を感じ取ってもらえるかもしれない。

 HIVの増殖を妨げる抗レトロウイルス薬(ARV)を単剤ではなく、3種類組み合わせて服用する抗レトロウイルス療法(ART、当時はカクテル療法とも呼ばれた)の劇的な延命効果が確認されるのは、先進国でも1996年以降だった。ただし、それ以前には希望がまったくなかったかというと、そうではない。HIVに感染した人たちは治療薬の開発が進むのを期待しつつ、少しでもエイズ発症の時期を遅らせ、発症しても何とか生き延びるための闘いを辛抱強く続けていたし、その闘いを支えるためにニューヨークのゲイメンズ・ヘルスクライシス(GMHC)やボストンのAACのような組織が全米で活動してもいた。

 すでにエイズの原因となるウイルスも、感染経路も分かっていたし、感染を防ぐにはどうしたらいいのかということも明らかになっていた。つまり、死の不安と最も果敢に闘っていたHIV陽性者を社会が拒む理由も、医療機関が受け入れを拒む理由もなかった。

 だが、それでもHIV陽性者と一緒に働くことを遠回しに拒んだり、一緒に食事をする機会を周到に避けたり、診療を拒否したりする事例はあった。日本でもあった。差別はいけないと思っていてもあったし、たぶんいまでもある。なぜなのか。理由にもならない理由を強いてあげるとすれば、それはHIVの最も大きな感染経路が性と深く関わっていること、そして、致死率の極めて高い感染症に対する社会的な不安と恐怖が強かったことだろう。

 困難な病気と闘うためのメッセージとして、AACは恐怖や不安への対処を重視した。そうした感情が理屈にあったものなのかどうか。いま心の中にあふれるほどの恐怖と不安を抱えながら、病気と懸命に闘っているのは、本当は誰なのか。得体の知れない怪物などでは決してない。ほんの少しの時間でいいから立ち止まって、あるいは走り出す前に一歩、踏みとどまって、考えてほしい。最も困難なエイズの時代をくぐり抜けてきたAACのスタッフがあの時、研修で最も伝えたかったのはこのメッセージだったように思う。

 HIV陽性者の支援に国内で取り組む「akta」と「ぷれいす東京」という2つの特定非営利活動法人が共同で進めるLiving Together計画は、HIVに感染している人やその周囲の人が書いた手記を別の人が読むというイベントをもう10年以上も続けている。手記を書く人と聞く人の間に読んで伝える人を配置する。それがこのイベントの重要なところだろう。伝える人は、手記に書かれていることを違えて読むことはできない。それでも、誰が読んでも同じというわけではない。同じものを読んでも、伝える人の存在は現実を構成する一つの要素として無色ではないのだ。

 手記を読んだ後で、読み手が感想を語る短い時間がある。手記についてどう感じ、何を考えたか。書いたのはどんな人なのか。匿名(イニシャルやニックネーム)なので書き手が誰なのかは、読み手にも聞き手にも分からない。

 HIVに感染していることは、21世紀になってもなお、なかなか社会の中で明らかにしにくい。社会生活を続けられなくなるのではないかという不安がある。もちろん、感染の有無をいちいち周囲の人に触れて回る必要はないのだが、HIVに感染している人がすでに周囲にいて、一緒に暮らしているという現実が社会的に見えにくくなると、そのことが逆にHIV陽性者に対する理解を妨げ、誤解や偏見を招く原因にもなる。

 手記リーディングは、手記を読むという行為によってそうした負の循環を裁ち切り、HIVに感染している人も、そうでない人も、もう社会の中で一緒に暮らしていることを再認識する装置であり、虎を野に放ち恐怖や不安を一人歩きさせないようにするためのささやかな工夫といってもいい。米国でも日本でも、そして流行の打撃を最も大きく受けてきたアフリカでも、そうした工夫を少しずつ積み重ね、経験を蓄積しながらエイズ対策を組み立て、抗レトロウイルス治療(ART)の進歩と相まって、HIVの新規感染を減らしつつある。

 この減少傾向がこれからも続くのかどうか、それは分からない。今後の努力次第という面もあるが、30年かけて、少なくともそうした希望をもてるころまでは漕ぎ着けた。だが、と最近は思う。HIV/エイズの流行という世界史的な事件に直面して積み上げてきた経験は、少なくともエボラ出血熱に関する国内の報道を見る限り、まったく生かされていない。惨憺たるものだ。

      ◇

 西アフリカのエボラの流行は国際社会が一致して取り組むべき公衆衛生上の重大な危機である。わが国もできる限りの人的、技術的、そして資金的な貢献を果たし、西アフリカが流行と闘えるように支援すべきである。ただし、それはエボラがパンデミック(世界的大流行)となり、いまにも国内で流行が広がるぞと目一杯、不安をあおってみせることとは話が違う。

 アフリカでは1976年にザイール(現コンゴ民主共和国)とスーダンで最初の流行が確認されてから38年の間に計25回の流行を経験している。今回を除けば、いずれも限定された地方レベルの小規模な流行だった。今回もギニア、リベリアシエラレオネの3カ国の流行は深刻だが、周辺のナイジェリアやセネガルなどは少数の患者が確認された段階でいち早く対応を取り、流行の早期封じ込めに成功して いる。

 この違いを世界エイズ結核マラリア対策基金(グローバルファンド)のマーク・ダイブル事務局長は「3カ国は紛争で破壊された保健システムが再建されていない。これに対し、周辺の国々は決して豊かではないが、保健システムが機能しているため流行を抑えられている」と説明する。エボラはすでに病原ウイルスも感染経路も特定され、38年間の流行の経験から感染を防ぐ方法も分かっている。一定以上の保健基盤が維持され、機能していれば、流行国からの訪問者や帰国者が国内で発症したとしても、治療を提供し、あわせて感染の拡大を防止することは可能なのだ。実際に世の中がひっくり返るほどの報道で動揺した米国ですら、国内感染は患者のケアに当たった看護師2人の病院における二次感染で止まっている。

 「空港をすり抜けた」だとか「保健所に連絡せずに診療所に行ったのが問題だ」といった医療の専門家の発言や新聞の記事、論説には、その端々に病を抱える人の心理を無視し、場合によっては非難しかねないような意識があるように私には感じられる。その後で「正しい知識」と「冷静な対応」の必要性を強調してどうしようというのか。実は、うっかりすると自分でも書いてしまいそうな感じがするので、ここは改めて自戒しておきたい。虎を野に放つ者がいるとすれば、それは誰なのか。

 一方、日本国内では患者が一人も確認されず、流行国からの入国者の発熱事例(いずれもエボラウイルスには感染していないことが後で判明した)が3件あった。それだけで発熱した人たちが何か重大な問題を引き起こしたかのように臨時のニュース速報が流され、病院に入る救急車を追いかけ回して車内の映像をとろうとする。いったい何が起きたというのだろうか。

 1976年にザイールで最初のエボラの流行が発生したとき、いち早く現地のヤンブク村を訪れ、調査と治療にあたったベルギーのピーター・ピオット博士(前国連合同エイズ計画事務局長)は今年10月に来日した際、「日本ではエボラが一般の市民の直接の脅威になることはない。ただし、医療機関が対応できるよう備えておくことは必要だ」と語っている。問題はエボラウイルスに感染した人を国内に入れないことではなく、エボラウイルスに感染した人がいたら早期にその感染を確認し、必要な治療を提供して生存の確率を高めるとともに、医療に従事する人への二次感染が起きないよう防護策を整えておくことなのだ。

      ◇

 社会不安を増幅させることで、感染を心配する人が医療機関で診てもらうことを躊躇したり、西アフリカの流行国を支援しようと考えていた医療関係者が帰国後にひどい仕打ちを受けるのなら行かないでおこうと思ったりするようなことはないのか。報道が逆に有効な対策を妨げる努力をしているような不本意な結果にならないのか。ここは思案のしどころだ。

 年の瀬が迫ってから解散総選挙が実施されるなどとは、ついこの間まで日本の国内のほとんどの人が思っていなかったのではないか。政界の常識に疎い私のような記者には、どうして解散しなければならなかったのか、その理由が未だに腑に落ちない。

 一つの方向に風が吹き出すと止まらない。バーチャルな現実に報道が煽られていく様は、国内での感染がまったく確認されていないのに、あたかも状況が激変したかのような雰囲気を生み出していったエボラ報道と同質の危うさを示しているように感じられる。それを社会の「病理」と呼びたい誘惑にも駆られるが、ここは総選挙が実施され、その結果が出るまで、つまり有権者がどのような判断を示すのかが明らかになるまで、踏みとどまって保留にしておこう。

 信頼の喪失や失望の思いもまた、野に放たれた虎であっていいはずはない。少々傍観者的な結論で恐縮だが、いまは高い投票率のもとで現実が再構築されることを望みつつ、じっくりと自分の一票を考えたいと思う。