HIVとオリンピック・パラリンピック 4 『最終走者のその先に』

 

◆最終走者のその先に

 個人的な話で恐縮だが、1996年夏のアトランタは記者生活で唯一、五輪を現場で取材する機会だった。産経新聞アトランタ五輪取材班のキャップとして取材の総指揮を執った・・・というと聞こえはいいが、実際は他の記者の取材配置や食事、車の手配などプレスセンターに陣取って雑用係に終始していた気もする。その中で個人的に最も印象に残ったのは開会式だった。

アトランタはマルチン・ルーサー・キング牧師の出身地であり、開会式では、有名な『I have a dream(私には夢がある)』という演説が強調された。開幕の前日にはキング演説のさわりの部分が報道用資料として配られ、当日の原稿に引用した記憶もある。

それとは対照的に組織委員会が最後まで公表しなかったのが聖火リレーの最終ランナーだった。おそらく野村萬斎さんも固く口を閉ざし続けると思うが、聖火台に点火するのはだれか、これは開会式最大の見せ場であり、最後まで秘密にしておくのが演出の鉄則である。

少し話がそれるが、アトランタのプレスセンターでご一緒したフジテレビの坂井義則さんは、1964年の東京五輪当時19歳。聖火リレーの最終ランナーをつとめ、国立競技場の階段を駆け上がって聖火台に点火したあの青年だ。

坂井さんは広島に原爆が投下された日、爆心地から70キロ離れた広島県三次市で生まれ、2013年に69歳で亡くなっている。1964東京五輪の聖火に託されたメッセージが「平和への願い」だったように、米国南部の中心都市アトランタでも開会式で聖火に点火する人物が五輪のメッセージを体現することになる。

では、その人物は誰なのか。

隠されれば隠されるほど知りたくなるのもまた人情というものだろう。地元の新聞やテレビでも予想が飛び交い、結果はすべて外れていた。いや、半分しか当たらなかった(半分は当たった)といった方がいいかもしれない。

最終走者はメディア予想でも名前が挙がった女子競泳のジャネッ ト・エバンス選手だったが、その先にはさらに最終点火者が待ち受けていたからだ。

話が少し先に飛ぶが、2020年の東京オリンピック724日に開会式が行われ、約1か月後の825日には「障がいのあるトップアスリートが出場できる世界最高峰の国際競技大会」であるパラリンピックが開幕する。

オリンピックとパラリンピックが同一都市で、ほぼ1カ月の時間差で開かれるようになったのは88年のソウルからだという。その8年後にアトランタ五輪開会式でエバンスからトーチを受け取ったのは、1960年ローマ大会のボクシング・ライトヘビー級で金メダルを獲得したモハメド・アリだった。

1996年の時点でアリはすでにパーキンソン病の症状が進行し、トーチを持つ手は震えていた。走ることはかなわない。だが、歩いて聖火台に点火することはできる。開会式のプロデューサーは、点火の方法も含め、考えに考え抜いてアリの起用を決断したに違いない。

いまの自分に誇りを持ち、最善を尽くすこと。アリの姿はオリンピックとパラリンピックをつなぐメッセージの点火者であるように私には思えた。

日本パラリンピック委員会の公式サイトには「パラリンピックの意義」が掲げられている。

 

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(注9日本パラリンピック委員会公式サイト

http://www.jsad.or.jp/paralympic/what/index.html

 

2020年の東京オリンピックパラリンピックHIV陽性の選手が活躍するかどうかはまだ分からない。しかし、出場の有無に関わらず、HIV/エイズ対策の観点からも『重要なヒントが詰まっている大会』であることは認識しておくべきだろう。