HIVとオリンピック・パラリンピック 7 『「ギャグ」ではすまない現実』

 

◆「ギャグ」ではすまない現実

エイズの流行は政治的課題としてとらえなければならない。流行の初期段階から常に指摘され続けてきたことではあるが、国際エイズ学会(IAS)は2018年の年次書簡で、この古くて新しい課題をあえて取り上げ、(いまなお)と強調した。どうしてなのか。

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少し遠回りの説明になるかもしれないが、「グローバル・ギャグ・ルール」を紹介しておこう。妊娠中絶を支援する組織には国際援助資金を提供しないという米国政府の政策で、レーガン政権時代の19848月、メキシコシティで第2回国際人口会議が開かれたときにはじめて登場したことから「メキシコシティポリシー」とも呼ばれている。政権が交代して民主党選出の大統領が就任すると廃止され、共和党政権に戻ると復活するということを繰り返してきた極めて党派色の強い政策でもある。

このギャグ・ルールの「ギャグ」は日本での使われ方とはやや異なり、「さるぐつわ」とか「かん口令」といった意味があるという。モノ言えば唇寒し・・・といったところだろうか。

 2018年の年次書簡の中で、IASは今後の課題としてHIV/エイズ対策を他の保健、社会課題と統合して進める必要があることを指摘している。治療が進歩し、HIV陽性者が長く生きられるようになれば、生活上のすべてのニーズをHIV/エイズ対策として抱え込むことはできないからだ。また、予防の観点からは、例えば『性的指向による差別の禁止』を五輪憲章に盛り込んだIOCなどとの連携も一層、必要になる。

ただし、「統合」や「連携」に関し、書簡は次のように警告もしている。

 『どのように「統合」をはかるのかに関わらず、すべての人々の健康に負の影響を与えるような政治的、イデオロギー的な動きには、注意を怠ってはなりません。米国政府によるグローバル・ギャグ・ルールの再開が、その一例です。米国政府がこのルールを同国が支援するグローバルヘルスのプログラム全体に広げたことは、クリニックや他の保健プロジェクトの資金不足を一段と深刻化させ、困難を広げる結果しかもたらしていません』

 従来のギャグルールは対象が家族計画の資金に限られていたが、トランプ政権は米国の看板政策である米大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)を含め、グローバルヘルス分野の二国間援助のほとんどすべてに適用する方針を打ち出しているため、拡大版グローバル・ギャグ・ルールと呼ばれることもある。

 そのトランプ政権の発足から1年半が経過した20187月、オランドのアムステルダムで第22回国際エイズ会議(AIDS2018)が開かれ、PEPFARに支援されていた数百組織がすでに拡大版ルールの影響を受け、プログラムの縮小などに追い込まれていると報告があった。

(注17 22回国際エイズ会議(AIDS2018)プレスリリース 

www.aids2018.org

 

 東京オリンピックパラリンピックが開かれる2020年は、米国の大統領選挙の年でもある。夏季オリンピック米大統領選はどちらも4年に1度なので、夏の五輪の前後には必ず米国で民主、共和両党の大統領候補指名のための党大会がある。現職大統領が再選を目指すとすれば、人気取りの政策に走りやすい時期でもある。

 一方で20207月には米西海岸のサンフランシスコとオークランドで第23回国際エイズ会議(AIDS2020)が予定されている。

このためアムステルダム会議では、トランプ大統領のもとで国際エイズ会議は開けないとして、開催都市を米国外に移すよう求める人たちが閉会式などで抗議行動を展開している。実はアムステルダムで国際エイズ会議が開かれたのは1992年の第8回会議に次いでこれが2回目だった。しかも、前回会議はもともと米国のボストンで開催することになっていたが、当時のブッシュ政権(父親の方)がHIV陽性者に対する入国規制政策を撤廃しなかったため、会場を急遽、アムステルダムに移したという経緯がある。

したがって、今回も米国内では開けないという主張にも説得力はあるのだが、逆に地元ではだからこそ何としてもサンフランシスコ・オークランドで開かなければ、トランプ政権に屈したことになるとする意見も強い。その代表格であるバーバラ・リー米下院議員(民主党)はアムステルダムAIDS2018閉会式で「いま、しり込みしてはならない」と演説した。グローバル・ギャグ・ルールを含むトランプ政権の一連の社会政策の不当性を示して見せる機会を逃し、敗走することなどできないという呼びかけである。こちらも十分に説得力がある。

2020年夏の国際エイズ会議は、米国の大統領選という政治の季節の真っただ中で開かれ、会議の閉幕から2週間後には、太平洋を挟んで対岸の東京でオリンピックが開会する。その時、何が起きているのか。わずか1年半後のことではあっても予測は難しい。

五輪もエイズも「(いまなお)政治的課題」であることの意味は、40年の経験を踏まえ、改めてとらえ直す時期にきているようだ。