T as Pについて、もう一回、箇条書きにして整理します。
できるだけ早く検査を受けて感染を知り、治療を始める。それが本人にも社会にも利益をもたらす。
それなら・・・ということで米CDCは2006年、OPT-OUT検査に踏み切るよう全米の医療機関に勧告を出しました。
積極的に検査を受けたくないという意思表示をする人以外はすべてにHIVのスクリーニング検査を行うという方式です。
日本ではどうか。私はお勧めできないと思いますが、医療分野の専門家を中心に導入を求める声もあります。最近の話題のPrEPも含め考えてみます。
HIVに感染していない人がHIV治療のための薬を毎日、服用していれば、HIV感染を防ぐことができる。これがPrEPの考え方です。
誰でも、というわけではなく、あくまで「相当のHIV感染リスクを持つ非感染者」が対象です。
エイズ・性感染症に関する小委員会は、エイズ予防指針と性感染症予防指針の見直しを検討している有識者委員会です。PrEPも取り上げられていますが、とりあえず「相当の感染リスクを持つ人々に曝露前予防投与を行うことが適当かどうか研究を進める」といった方針になりそうです。
エイズ動向委員会報告は2007年まで右肩上がりで報告数が増え、その後はほぼ横ばいです。数字で示すとこうなります。
世の中には心配事がいろいろあるせいか、エイズに対する社会的な関心はこのところ、あまり高くありません。社会的関心の低下は感染の拡大要因の一つなのですが、それでも国内の新規HIV感染者、エイズ患者報告は2007年以降、年間1500件前後の状態で持ちこたえてきました。NGO、NPOの持続的な活動の成果が大きいと私は考えています。
スタンダードプリコーションは医療機関の院内感染防止策として広く採用されています。80年代に米国でエイズ患者の診療拒否が相次ぎ、その反省からユニバーサルプリコーションという考え方が生まれました。必要な治療が安心して受けられなければ、感染を心配する人は検査を受ける気になれない。その反省が現在の院内感染対策の基本になり、介護の現場でも広く採用されています。
こうした考え方はエイズの流行を経験して生まれ、いまはHIV感染の予防だけでなく。より広範な危機管理策となっています。
例えば、新興感染症が流行しても医療機関はパニックに陥ることなく対応できます。高齢化社会を迎え、介護施設などで様々な集団感染を未然に防ぐ手立てにもなります。
未知の病原体による新たな感染症の流行が社会を襲った場合、初期段階でそれを把握することは困難です。
エイズもそうだったように、なんだかよく分からないけれど人々が倒れていくといった事態にどう対応するか。そうした危機への社会的な安全保障基盤にもなります。
世界人口を70億、日本の人口を1億で計算すると、90-90-90達成時の日本の新規HIV感染件数は7000件余り、95-95-95だと3000件弱になります。
あれあれ?と思いませんか。
国内の新規HIV感染者・エイズ患者報告はこの10年、毎年1500件前後で推移しています。こうした傾向が10年も続いているということは、実際の感染件数も報告数と大きくかけ離れているわけではないと私は思っています。
ケアカスケードは日本でも重要な指標として受け止められています。現状が80-90-90だとすれば、最初の80を90に引き上げることは大切です。現状で十分というわけではありません。
それでも、新規感染に限定すれば日本はすでに「流行終結」のレベルを下回っています。エイズによる死者も少ない。つまり、この2つの指標からみれば、日本ではすでに「流行終結後の社会」が実現していることになります。
この点を抜きにして、諸外国との海外比較をやりはじめると、議論が変な方向に行ってしまいそうです。
一方で、先行の2指標とは対照的に、スティグマや差別はゼロではない。この点も見過ごすわけにはいきません。
もう一度、「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行の終結」について整理してみましょう。
繰り返しになりますが、「流行終結」が目指すのはHIV陽性者がいない世界ではありません。
そうではなく、HIVに感染している人も、していない人も安心して社会生活を続け、HIV感染を心配する人が検査を受けやすくなるような条件を整える。そのことによって、HIV感染の流行が「公衆衛生上の脅威」とならない状態を維持していける。そうした世界です。
「排除」や「撲滅」といったスローガンとは対極にある世界といってもいいでしょう。
UNAIDSが昨年7月に発表した『予防ギャップ』報告書によると、成人の年間新規感染者数はこの5年間、世界全体で見ると200万人前後でほぼ横ばいのままです。世界全体で見れば、治療の普及にもかかわらず、期待したほど「T as P」の成果は現れていません。時間がかかるのかもしれませんね。
一方で、最近の世界の動きを見ていると、さまざまな場面で「排除」の選択を待望するような雰囲気が強くなっている印象も受けます。そうしたことがHIV/エイズ対策にも影響しているのかどうか、私には分かりません。
分からないけれど、そうかなとも少し感じています。
治療の進歩は重要です。HIVに感染している人にも、感染している人を含めた社会にも、その進歩が予防につながることを歓迎しない理由はありません。
ただし、治療の進歩を活かすには、必要な人に必要な検査と治療を届ける条件を整えていくための支援が大きな意味を持っている。そのことも忘れるわけにはいきません。
『予防ギャップ』の存在は、改めてこの点を示しているのではないでしょうか。『T as P』は『S as P』、つまりSupport as Prevention(予防としての支援)の重要性を再認識するきっかけにもなっています。
治療で感染が減るのだから、支援などもういらないというわけにはいかない。ごくごく当たり前のことですが、それに気づくのに5年もかかったのです。
エイズの流行は終わったわけでも、過去のものでもありません。治療の進歩は重要です。予防対策にも大きな影響を与えています。
ただし、そのメッセージが「エイズはもういいだろう、治療もあるし」といった社会的雰囲気を広げてしまうことになると、それは逆に負の効果をもたらし、流行の拡大要因になるリスクもはらんでいます。
《治療の進歩を生かすには、継続的な社会の対応、とりわけ「支援」の重要性を再認識しなければならない》
S as Pはずっと前から、最も費用対効果の高いHIV/エイズ対策でした。様々な立場の人がそれぞれの立場を生かして参加してきたし、過去形でなく現在進行形でそうであり続けてもいる。長いエイズ取材の体験を経て、いま改めてそのことを感じています。
最後にポスターを2枚、紹介しておきましょう。
それぞれのポスターのメッセージに対しては、私はどちらかというと批判的です。誤解を招きやすい。
ただし、それは簡潔かつ印象的なメッセージを伝えようとする際の宿命かもしれないなと最近は思うようになりました。
したがって、個人的にはこんなポスターは無視しろとか、抹殺しろといった議論にも与しません。
短いフレーズではすべてを言い尽くすことはできない。マイナスの効果を生み出してしまうこともある。
その負の側面を批判することは簡単です。でも、あれもダメ、これもダメと言い始めたら、何も伝えられなくなってしまう。
どうしたらいいのか。むしろ話題にして、ああでもない、こうでもないと言ってみる方がいいのではないか。肴にして楽しむというと、一生懸命アイデアを絞り出した人には申し訳ないのですが、最近はそう思っています。
様々な議論のきっかけとなる素材提供の努力には敬意を払い、なおかつ忌憚のない意見をどんどん出すということで、できれば皆さんの感想もうかがえれば幸いです。