『エイズの流行は終わるのか キーワードで見るHIV/エイズの現状と課題』

(注)2017年6月3日午後、釧路労災病院で開催された道東HIV拠点病院等連絡協議会研修会の講演原稿です。事前に用意していたものですが、参考までにアップします。

 寄る年波と言いますか、老眼が進み、演壇上では字があまりよく読めなかったので、実際の講演は原稿とはかなり異なっていますが、趣旨は変わっていません。長いので2回に分けて掲載します。

 

エイズの流行は終わるのか キーワードで見るHIV/エイズの現状と課題』

 私は1973年に産経新聞社に入り、以来44年間、新聞記者でした。もうすぐ退職します。この間、ニューヨーク支局長や編集長、論説委員なども経験し、つらいことや泣きたくなることも人並みにありましたが、振り返って見れば、けっこう楽しかったのではないかと今は思っています。

 HIV/エイズについて取材を始めたのは今から30年前の1987年でした。国内でエイズパニックと呼ばれる大混乱が起き、そのときにたまたま社会部の厚生省担当記者だったからです。

 「なんでエイズの取材をしているのですか」と聞かれることがときどきあります。

でも、最初はどうしてもこうしてもない、否応なくという感じでした。

 記者生活の一方で、NPO法人エイズソサエティ研究会議の事務局長、公益財団法人エイズ予防財団の理事としてもエイズ対策にかかわってきました。

 ニューヨークにいたころは、稲田頼太郎先生にも助けていただき、JAWSという日本人向けのエイズ対策団体を作ってワークショップや日本語の電話相談などを行っています。

 エイズの流行という世界史的現象に遭遇し、様々な場面で悩んだり、迷ったりしてきたその30年の経験も、できればどこかににじませながら、本日はHIV/エイズの現状と課題について私なりにお話ししたいと思います。

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 真ん中のバナーは12月1日の世界エイズデー前後に行われる「東京エイズウィークス」というキャンペーンのキャッチコピーです。

 エイズはまだ流行っているんですかと聞かれることがよくあります。もう終わったと思っていたと率直に言う人もいます。

 「いや終わっていませんよ」とこちらが勢い込んで話し始めても、あまり興味はなさそうです。

 ああ、そうか、と改めて思います。「エイズはもういいだろう」とまではっきりとは言わないけれど、社会の関心は以前ほど高くない。

 もちろん、社会が関心を持たなければ、流行が下火になるわけではありません。ウイルスが遠慮して感染を控えるようなこともありません。

 むしろ社会的な関心の低下は感染の新たな拡大要因なのではないかと個人的には心配しています。どうやって現状を伝えれば、関心をもってもらえるのか。そんなことも考えます。

  2015年末現在のUNAIDS推計で世界の現状を確認しておきましょう。

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 世界のHIV陽性者のほぼ半数にあたる1820万人が抗レトロウイルス治療を受けています。年間のエイズ対策資金は現在、190億ドルですが、必要額は262億ドルと試算されています。この72億ドルのギャップが解消すれば、流行は終結に向かうということでしょうか。

 16年前の2001年には、国連エイズ特別総会で当時のコフィ・アナン事務総長がこう語っていました。

《世界がエイズと闘うには70億~100億ドルの「戦費」が必要だ》

 2003年12月1日に世界保健機関(WHO)と国連合同エイズ計画(UNAIDS)が発表した「3by5」計画は、緊急に治療が必要な人を600万人と推定し、2005年末までに、その半数にあたる300万人に治療を提供する計画でした。

 21世紀に入ってからグローバルファンド(世界エイズ結核マラリア対策基金)や米国の大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)が創設され、国際的なHIV/エイズ対策への投資は劇的に拡大し、治療の普及も進みました。

 それでも普及率はいまなお50%です。

 HIVの感染はいまも続いていること、そして早期治療の重要性が確認され、治療の対象が増えていること。この2つが普及率50%の背景にはあります。

 努力が足りないわけではありません。治療の観点からも、予防の観点からも早期検査、早期治療の重要性が強調され、世界は相当がんばってきました。

 それでもまだ、エイズは終わっていません。

 この現状をどうしたらうまく伝えられるのか、治療の進歩を背景にして、最近は聞きなれない言葉が次々に登場します。一部の専門家にしか理解できない話を聞かされた挙げ句、「エイズはみんなの問題です」などと言われても関心は持てませんよね。

聞きかじりの知識しかありませんが、最近のキーワードをできるだけ分かりやすく説明してみます。

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 「流行の終結」が目指しているのは、エイズが存在しない世界、HIV陽性者がいない世界ではありません。流行を「公衆衛生上の脅威」とならない状態にすることです。

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 政治の指導者には「少なくとも公衆衛生上の脅威ではなくなりました」という逃げ道が用意されることになります。

 ただし、国際政治のそうした「ずるさ」を差し引いても、「エイズが存在しない世界」や「HIV陽性者がいない世界」を目標にしていないことには意味があると思います。UNAIDSは「エイズ流行終結」を次のように定義しています。

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 ちょっとわかりにくいですね。箇条書きにしてみましょう。

  1. HIV感染を制御または封じ込め、社会と個人の生命に対するウイルスの影響が小さくなって、健康障害や偏見、死亡、孤児などが大きく減少する。→感染が広がらない。
  2. エイズの影響が低下し平均余命が伸びる。→感染しても長く生きられる。
  3. 人々の多様なあり方や権利が無条件に受け入れられ、生産性が向上してコストが下がる。→社会的な影響が小さくなる。

 

 そのためにはまず、2020年までに90-90-90を実現しよう。昨年6月の「エイズ流行終結に関する国連総会ハイレベル会合」では、このことも国際的な了解事項として政治宣言に盛り込まれています。

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 UNAIDSの試算によると90-90-90を実現すれば世界の年間HIV新規感染件数は現在の4分の1の50万件以下に減ります。さらに目標を上げ95-95-95を達成すれば新規感染は10分の1の20万件以下になる(あくまで試算です)。

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 このあたりで流行終結ということにしよう。これが国際社会の約束です。ハードルをかなり低く設定している印象ですが、それでも実現は容易ではない。

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 こうした目標は「予防としての治療」の効果に期待がかけられるようになったからです。90-90-90だと治療を受けているHIV陽性者が90×90で81%、ウイルスが検出限界以下の人はさらに90をかけて73%になります。

 現状は60-80-75ぐらいでしょうか。意外にがんばっているとは思いますが、道はまだ遠い。

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 英語で「治療」と「予防」の頭文字をとって「T as P」とも呼ばれています。コンセンサス声明は米国を中心に著名な医学者、アクティビストらが賛同者となって発表された声明です。治療によって感染した人の体内のウイルス量を減らせば他の人に性行為などで感染することもなくなるのだから、治療の普及こそが有効な予防対策であるという考え方を強く打ち出しています。

 U=Uというのもあります。《Undetectable=Untransmittable》の略称です。

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 重要なメッセージですが、治療は誰のためのものかという点で、大きな課題を抱えてもいます。