18日付けビジネスアイ紙に掲載されたコラムです。
【視点】 世界が注目した2つのスピーチ
第86回アカデミー賞の授賞式が行われた2日(日本時間3日)、最初のオスカーを手にしたのは助演男優賞のジャレッド・レトだった。1980年代後半の米国を舞台に未承認のエイズ治療薬密売組織の経営者を描いた映画「ダラス・バイヤーズクラブ」で、トランスジェンダー(性同一障害)のレイヨン役を演じている。
主人公ロン・ウッドルーフのビジネスパートナーであり、ロンのホモフォビア(同性愛嫌い)を少しずつ変えていく重要な役どころである。
ロンもレイヨンもともに、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染し、エイズを発症して入院した病院で知り合う。エイズが「不治の病」とされ、有効な治療法がなかった時代の話だ。
ジャレッド・レトは18キロ、同じく主演男優賞を獲得したロン役のマシュー・マコノヒーは21キロも減量したという。もちろん、役作りのための減量も大変ではあるが、2人に対する評価はそのためだけではなかっただろう。短い受賞のスピーチをレトはこんな言葉で締めくくっている。
「これはエイズとの闘いで亡くなった3600万人に捧げられた賞です。そして、自分が何者であり、誰を愛しているかという、そのことのために不当な扱いを受けたあなたたちの賞です。世界が注視する中で私はいま、あなたとともに、そしてあなたのために、ここに立っています」
感動的ですね。授賞式を直接、観ていたわけではないが、スピーチの英文を日本語に訳そうと試みただけで、純情なおじさんの目は涙でうるうるとしてくる。
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国連合同エイズ計画(UNAIDS)の昨年9月の発表によると、世界のHIV陽性者数は推計3530万人に達しており、過去30年余の世界的なエイズの流行の中ではそれを上回る3600万もの人がすでにエイズ関連の原因で死亡している。
ダラスにバイヤーズクラブができたのは世界の医学者が治療法の開発に取り組み、それでもなかなか有効な治療薬が見いだせないでいた時期だ。致死率の極めて高い未知の感染症に対する恐怖に加え、米国では男性の同性間の性行為による感染が多く報告されていたことから、性的少数者を排除しようとする意識も強かった。
エイズの流行との闘いは、そうした偏見や差別と闘いでもある。米国に限った話ではない。エイズで亡くなった3600万人を追悼し、レトがレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーといった性的少数者とともにオスカーを受ける意思を明確にしたのも、映画の舞台となった時代のそうした背景があったからだ。
いまはどうか。「自分が何者であり、誰を愛しているか」という、そのことのために不当な扱いを受けている人は世界の至るところにいる。性的指向を理由に死刑や終身刑を科すような法律を保持し、罰則を強化する国もある。そうした国家の政策や社会の意識がHIV感染の予防対策を妨げ、エイズの流行との闘いを困難にしていることも、国際会議の場では、繰り返し指摘されてきた。治療は進歩したものの、困難な状況は依然、続いているのだ。もう一つ最近のスピーチを紹介しよう。
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「少しずつアフリカのいくつかの国や日本の東京で、私は長谷川博史さんのようなHIV陽性者と知り合い、一緒に活動するようになりました。HIV陽性者とどのように交流していくのか、あるいは目を背けるのか。それは私たち自身の姿を映し出す鏡であると思うようにもなりました」
エイズ対策と途上国の開発について検討する「UNAIDS/ランセット委員会」の最終会合が2月13、14日にロンドンで開かれ、日本からは安倍首相夫人、昭恵さんが委員として参加した。その会合における彼女のスピーチも、アカデミー賞の授賞式でレトが訴えようとしたことと、趣旨は共通しているのではないかと思う。長谷川博史さんという具体名をあげ、日本にも困難なエイズとの闘いを続ける人たちがいることを示した。その意味も小さくない。
UNAIDSの公式サイトには「ムービング(感動的)」という賛辞とともにその英文スピーチの全文が掲載されている。