ビジュアル・エイズの創設者、パトリック・オコンネル氏のご冥福を祈ります(UNAIDS) エイズと社会ウェブ版565 

  ビジュアル・エイズの創設者の一人(founding director)で、レッドリボンプロジェクトの中心的人物だったパトリック・オコンネル氏が亡くなり、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の公式サイトに《UNAIDS is saddened by the death of Patrick O’Connell, the founding director of Visual AIDS》という追悼文が掲載されました。

 レッドリボンはあまりにも有名ですが、いつ、誰が、何のために始めたのかということはそれほど広く知られているわけではないようです。私も「ニューヨークのビジュアル・エイズが始めたんだよね」という程度のことは知っていましたが、パトリック・オコンネルという方のお名前は存じ上げませんでした。

 そもそも、ビジュアル・エイズが1988年に設立され、レッドリボンは『湾岸戦争に従軍した米国兵士を称えるイエローリボン』にヒントを得て1991年に考案されたという話についても聞いたことはあるものの詳しく知っているわけではありません・・・と思っていたら、2006年のHATプロジェクトのブログにUNAIDSのレッドリボンに関する説明の日本語仮訳が掲載されており、振り返ってみれば、それを訳していたのも実は私でした。

 https://asajp.at.webry.info/200612/article_1.html

 自分で記録に残したものでさえ、最近はどんどん忘れてしまいます。やばいね。

ま、それはともかくとして、故人を偲ぶ機会に不謹慎かもしれませんが、情報を整理する意味もあって、UNAIDSの追悼文を改めて訳してみました。日本語仮訳を後ろに載せておきますので参考にしてください。

 私が知らなかっただけで、パトリック・オコンネル氏は米国のエイズ対策史における重要人物の一人でした。調べてみるとニューヨークタイムズ紙などにも死亡記事が掲載されています。公表は5月に入ってからですが、3月23日にマンハッタンの病院でエイズ関連の原因により亡くなったそうです。67歳でした。40年近く前にエイズを発症し、HIV陽性者として生きてきたということなので、まさにエイズの歴史を歩んできた方ですね。

 オコンネル氏は1991年、ニューヨークでレッドリボン作りの集まりを組織し、多くの人が参加してキャンペーン用に大量のリボンを供給しました。その年のトニー賞の授賞式では出席者全員に手紙とレッドリボンを送り、授賞式のホストの一人であるジェレミー・アイアンズ上着の襟に目立つようにリボンを着けたことから注目率が高まったようです。

 以下、UNAIDSの追悼文の日本語仮訳です。

 

www.unaids.org

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ビジュアル・エイズの創設者、パトリック・オコンネル氏のご冥福を祈ります 国連合同エイズ計画(UNAIDS) 

  UNAIDSは、パトリック・オコンネル氏がエイズで亡くなったことを知り、深い悲しみに沈んでいます。オコンネル氏はビジュアル・エイズの創設者であり、40年近く前からHIV陽性者として生きてきました。

 ビジュアル・エイズは1988年に設立されました。アートのコミュニティがエイズの流行に立ち向かい、芸術家と芸術機関、芸術の鑑賞者といった人たちがHIVに対し直接的な行動をとることを組織化する手段を得るためです。HIV陽性のアーティストの支援も行っています。とりわけ注目される成果は、毎年12月1日の世界エイズデー前後になると、世界中で何百万、何千万という人たちが着用するレッドリボンをデザインし、広めたことです。

 ビジュアル・エイズのアーティストたちは1991年、HIV陽性者およびその介護者への思いやりを示すビジュアルなシンボルを生み出すために集まりました。湾岸戦争に従軍した米国兵士を称えるイエローリボンに触発され、アーティストたちが選んだのは、HIV陽性者への支援と連帯、そしてエイズ関連の病気で亡くなった人たちへの追悼の思いを表すために赤いリボンを作成することでした。プロジェクトの創設者は「血液とのつながり、および情熱-怒りだけでなく、バレンタインのような愛も含む情熱のアイデア」を示すために赤が選ばれたと語っています。このプロジェクトはレッドリボンプロジェクトとして広く世界に知られるようになりました。

オコンネル氏は、自らの出身地であるニューヨーク一帯で何千、何万ものリボンを切断し、折り畳み、配布する指揮を執っています。ニューヨークで開催された1991年のトニー賞授賞式では、すべての参加者にレッドリボンと手紙を配るキャンペーンに加わり、俳優のジェレミー・アイアンズ上着の襟に目立つようにレッドリボンを着けた姿が全米のテレビネットワークで放映されました。

UNAIDSはオコンネル氏の積極果敢な擁護活動を忘れません。いまや米国内だけでなく、国際的にHIVと陽性者への連帯と支援の象徴となったレッドリボンは、オコンネル氏がいなければ存在しなかったでしょう。 

 

 

UNAIDS is saddened by the death of Patrick O’Connell, the founding director of Visual AIDS

04 MAY 2021

https://www.unaids.org/en/resources/presscentre/featurestories/2021/may/20250504_patrick-o-connell

 

 

UNAIDS is saddened by the death from AIDS-related causes of Patrick O’Connell. Mr O’Connell, who lived with HIV for nearly four decades, was the founding director of Visual AIDS.

Visual AIDS was founded in 1988 by arts professionals as a response to the effects of AIDS on the arts community and as a way of organizing artists, arts institutions and arts audiences towards direct action on HIV. The organization also assists artists living with HIV. Perhaps its most high-profile achievement, however, was designing the red ribbon worn by millions of people around the world every World AIDS Day, 1 December.

In 1991, Visual AIDS artists came together to design a visual symbol to demonstrate compassion for people living with HIV and their caregivers. Inspired by the yellow ribbons honouring American soldiers serving in the Gulf War, the artists chose to create a red ribbon to symbolize support and solidarity for people living with HIV and to remember those who had died from AIDS-related illnesses. The colour red was chosen for its, “connection to blood and the idea of passion—not only anger, but love, like a valentine,” the project founders said. The project became known as the Red Ribbon Project.

Mr O’Connell was instrumental in helping to organize the cutting, folding and distribution of thousands of ribbons around his home city, New York. He was part of the campaign to send letters and red ribbons to all the attendees of the 1991 Tony Awards in the United States of America, where actor Jeremy Irons stepped out on national television with a red ribbon pinned prominently on his lapel.

UNAIDS remembers Mr O’Connell for his vital advocacy work. The red ribbon, which today is a symbol of solidarity and support for people living with HIV not only in the United States but internationally, would not have existed without him.