『PWAは犠牲者ではない』 エイズと社会ウェブ版668

 現代性教育研究ジャーナルNo.152(2023年11月15日発行)に掲載された連載コラム『多様な性のゆくえ』第79回のタイトルです。前回に続き1983年のデンバー宣言について取り上げました。
 日本性教育協会のサイトでPDF版がダウンロードできます。13ページに載っているので、よかったらお読みください。
 https://www.jase.faje.or.jp/jigyo/journal/seikyoiku_journal_202311.pdf

 《「敗北」を意味する「犠牲者 victims」というレッテルを私たちに貼ろうとする試みを私たちは非難します。また、「患者」という言葉も、受動性や無力感、他者にケアを依存する存在を暗示するものです。たまたまいまは患者と呼ばれているものの、私たちは People with AIDS(エイズとともに生きる人)なのです》
 コロラド州デンバーで開催された第5回全国レズビアン・ゲイ保健会議兼第2回全国エイズフォーラムで最終日に読み上げられた宣言文は冒頭にこう書かれています。
 しつこいようですが、1983年のことです。エイズという病気をめぐる世の中の受け止め方は現在とは大きく異なっていました。恐怖と不安が増幅され、米国社会は混乱の渦中にあったのです。
 PWAという言葉はすでにその少し前から使われていたとは思いますが、公式の文書として登場したのは、おそらくこの時が初めてだったのはないでしょうか。

 インパクトは大きく、いまでもデンバー宣言と聞くと、ああ、PWA宣言ですね、と確認する人もいます。
 どんな反応が返ってくるのか。壇上に立った11人のPWAも不安だったと思います。非難や罵倒が返ってくるかもしれません。
 《そして、会場はその行動を敵意と逆風で迎えたわけではなく、PWA に対する 10 分間のスタンディングオベーションで締めくくられたという》
 もちろん、その後も苦難の道は続きます。それでもこの時、歴史の歯車は確実に一つ、回ったのです。