未来に向けて AIDS文化フォーラムin横浜開幕 エイズと社会ウェブ版655

 AIDS文化フォーラムin 横浜は毎年8月の最初の週末(金~日曜)に開かれています。夏の一番、暑い時期です。今年は7日(金)午前10時から、かながわ県民センター(横浜駅西口徒歩5分)で30回目の開会式を迎えました。期待にたがわず、暑かったあ~。ハイブリッド方式ではありますが、本格的な対面の会場開催は久しぶりとあって、このあつぁうの中でなお100人近い人がに集まったのはさすが。蓄積の厚みでしょうね。

第30回のテーマは『未来をみつめて』。灼熱の朝、私も久々に鎌倉から横浜まで大遠征を敢行しました。横須賀線は冷房が、がんがん効いていて肌寒いくらい。

 開会式では「第30回は希望が見えるテーマにしたいということで『未来を見つめて』にしました」とテーマの説明があり、30回の節目の記念品として不織布のトートバッグと団扇が紹介されました。

  

   (AIDS文化フォーラムin横浜Facebookから)

 参考までに団扇は発足時からの運営委員である岩室紳也医師の推しだったという説明もありました。『空気の流れを作り、エアロゾルを拡散させようというメッセージを託した』ということです。コロナウイルスの感染防止にも細かく気を配ったうえでの開催。久々の本格的対面会場の準備に当たった人たちのご苦労がしのばれます。

 オープニングセッションの司会も務めた岩室さんは自己紹介でまず「30回も続くとは誰も思わなかった」と述べています。エイズ文化フォーラムは1994年8月にスタート。岩室さんは当時すでに医師ではあったものの、エイズの診療はしていませんでした。1994年に横浜で第10回国際エイズ会議が開かれた直後に、当時の都立駒込病院感染症科部長、根岸昌功さんから、「ひとり患者さんを診てね」と連絡があったのが最初だったそうです。AIDS文化フォーラム自体が、国際エイズ会議開催にあわせて計画されたイベントですが、一人の医師の人生にも大きな転機になりました。

 後藤智己さん(はばたき福祉事業団)は血友病治療の血液製剤で感染し、「35年前からこの病気と付き合っている」「感染が分かったときには、本人への告知はなかった」と語っています。

 白阪琢磨さん(エイズ予防財団理事長)は岩室さんと同じ1981年に医師になり、1988年から米国立衛生研究所(NIH)の満屋裕明博士の研究室でエイズ診療と研究に打ち込みました。90年代に帰国後は国立病院機構大阪医療センターエイズ診療を続けています。

 北山翔子さん(神様がくれたHIV著者)は1996年にHIV感染の告知を受けています。告知前にアフリカで支援活動をしており、その時パートナーから感染したと思うということです。プログラムにも紹介されている『神様がくれたHIV』は若い人たちに必読の書。

 奥井裕斗さん(HIVと共に生きる会社員)は2016年に帯状疱疹を発症して念のためにとHIV検査を受け、感染が分かりました。セクシャリティがゲイであることから、HIV情報は身近に得られる状況でしたが、その情報は自分ではなく他の人のためだと思い、スルーしていたということです。

 オープニングセッションは「まず、エイズの歴史を振り返り、未来につなげよう」ということで、HIV感染の時期も感染経路も異なる3人のHIV陽性者、そして司会の岩室さんを含めた医師2人による対談です。

 奥井さんの場合、予防に関する情報はすでにたくさんあったのに、なぜ自分のこととして入ってこなかったのか。白阪さんは自らの経験も踏まえ「それは生活習慣病に関する自分自身の受け止め方とも共通している」と説明しています。お医者さんですら、と思うと、啓発の難しさを改めて感じます。

 エイズ予防財団理事長でもある白阪さんからは、今年のエイズデーのテーマも紹介されました。『あなたが変わればエイズのイメージが変わる。UPDATE HIV!』です。どこまで、どんなかたちで、このメッセージが届くのか、あるいは届かないのか。

 ということで、ここまでは実はまだ、話の導入部です。さらに個別施策層をめぐる議論など、興味深い話題が次々に登場するのですが、メモを取るスピードが追い付かなくなってしまいました。すいません。

 AIDS文化フォーラムは土、日曜にも開催されます。You tubeで配信されるプログラムも多く、遠方の方もオンライン参加が可能です。

 公式サイトのプログラム一覧を見ながら関心のあるセッションの視聴を検討していただくことをお勧めします。プログラムはこちら

https://abf-yokohama.org/wp-content/uploads/2023/07/2023abfprogramhp1.pdf