フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演の映画『真昼の決闘』(1952年)は日本でもかなりヒットしたようです。私は公開当時、まだ3歳だったので、映画館に観に行くことはなかったし、どのくらい評判になったのかもよく分からないのですが、その後もテレビでたびたび放映されているので、それを観たことはあります。
どんなストーリーだったか? 戦後の日本では、米国から西部劇映画(特に決闘物)が次々に紹介されていることもあって、内容も登場人物もごちゃごちゃになってしまい、なかなか思い出せません。
ただし、タイトルはカッチョイイということで鮮明に覚えています。原題はHigh Noon(正午、真昼)なので、これに決闘を付けたのは配給会社の方たちの功績でしょうか。ご苦労がしのばれます。
そのおかげで、北丸雄二さんは近著『愛と差別と友情と LGBTQ+』で次のように書くことができるようになりました。
『セックスを諦めることはできません。かといってエイズの“隠喩”を暴走させておくわけにもいかない。夜戦をしかけてくる HIV に対して、欧米社会は真昼の決闘を挑むことになります』
時代の切なさ、苦しさ、そして決闘を挑んでカミングアウトした人たちの勇気、そうしたものが伝わってきます。私もこの名著の紹介にかこつけて、現代性教育研究ジャーナルの連載コラム『多様な性の行方 One side / No side』第56回のタイトル並びに本文中に『真昼の決闘』を引用させていただきました。
《エイズという病気そのもの、そしてHIVという病原ウイルスに対してよりも、まずは社会に向けて「真昼の決闘」に打って出なければならない。それがこの病気を一層、困難なものにし、同時に社会、およびその社会を構成する個人は、否応なくこの重大な新興感染症と立ち向かわざるを得なかった》
まさに歴史は繰り返すといいましょうか・・・ちょっと違うか。自分のコラムからの引用で恐縮ですが、この際もう少しだけ。
《「エイズは他人ごとではありません」とお題目のように繰り返されてきたメッセージは「あなたもいつ感染するか分かりませんよ」という脅しではなく、こうした文脈でとらえる必要がある》
コロナの場合はどうなのか、といったことも時節柄、考えてしまいますね。どれどれ、そこまでいうのなら・・・ということでご関心をお持ちいただいた方は(あまりいないかもしれないけれど)、現代性教育研究ジャーナルNo129をご覧ください。
https://www.jase.faje.or.jp/jigyo/journal/seikyoiku_journal_202112.pdf
コラムは11ページに掲載されています。