『HIV陽性者全員に抗レトロウイルス治療を提供できるよう治療拡大を急ごう』とWHOが声明 エイズと社会ウェブ版205

 

 抗レトロウイルス治療を世界中のHIV陽性者全員に提供するため治療拡大を急ぐべきである。世界エイズデー(12月1日)直前の11月30日、世界保健機関(WHO)がこんな内容の声明を発表しました。エイズソサエティ研究会議のHATプロジェクトのブログに声明の日本語仮訳を掲載してあるので、それも参考にしながらお読みください。

 http://asajp.at.webry.info/201512/article_1.html

 

 社会開発分野の国際的な流れの中で見ると、ミレニアム開発目標MDGs)から持続可能な開発目標(SDGs)への移行期に出された声明でもあります。もちろん、最近の医学研究の進歩に基づく科学的事実を反映したものなのでしょうが、科学的マインドには極端に乏しい文学部出身のおじさんとしては、科学的エビデンス以前に国連機関としてのWHOの政治的な動機の方が色濃く反映されている声明なのではないかという半ば以上勘ぐりに似た印象もついつい受けてしまいます。

 HIV陽性者全員に抗レトロウイルス治療を提供するには、(1)HIVに感染している人全員がその感染に気づくこと(つまりすべてのHIV陽性者が早期にHIV検査を受けること)、(2)感染が分かった人はその時点での免疫や健康の状態にかかわりなく、直ちに抗レトロウイルス治療を開始すること ― の実現を目指すという2つの大きな政策の柱があります。

 検査普及はこれまでにも指摘され続けてきましたが、もろもろの事情があってなかなか進まない面もあります。

 病気はできるだけ早く見つけた方がいいですよと言われたって、できることなら知りたくない、知らなければそれはないことなのではないか、そんな心理はHIV/エイズに限らず、病気を心配する人には少なからずあるのではないか。そのあたりからして、個人的には検査を受けない人の心理にも共感できる部分はあるように思います。

 蛇足ながら、エイズを発症したことでHIV感染が判明する人を「いきなりエイズ」などと無神経に呼ばわり、その無神経さを恥じることもないお医者さんがかりにいるとしたら(いないと思うけど)、あまりお付合いはしたくないと私などは秘かに思うこともあります。

 治療については、免疫の状態や副作用、耐性ウイルス出現の可能性などをにらみつつ、いつ開始すべきなのか、いつまで待つのか、このことは長い年月にわたって議論が重ねられてきました。いまは感染が分かったらすぐに治療を開始すべきだというのが趨勢ですね。

 WHOは今年9月30日に「HIVに感染している人は誰でも、感染が判明したらできるだけ早く抗レトロウイルス治療を開始すべきである」とする見解を勧告として発表しています。

『抗レトロウイルス開始時期とHIV曝露前予防に関する指針』(WHOニュースリリース

http://asajp.at.webry.info/201510/article_3.html

 

 この勧告は実は『HIV治療と感染予防における抗レトロウイルス薬使用に関するWHO総合指針』の全面改定作業の中で、緊急性が高いとの判断から行われています。『HIV感染のリスクが大きいと考えられる人には抗レトロウイルス薬の曝露前予防投与(PrEP)を受けられるようにすべきだ』とするPrEP促進勧告とともに、12月に予定されていた全体の勧告の発表を待たずに前倒しで発表されたのです。

 抗レトロウイルス治療を続けていればHIV陽性者の体内のHIV量は大きく減少し、他の人に性行為などで感染するリスクもほとんどなくなる。それならば、HIVに感染している人への治療を完全に普及させることによってHIV感染を予防し、エイズの流行を終結に導くことができるではないか。

 そうした発想に基づく「予防としての治療」(TasP)への傾斜は、世界的にがんがん強まっているようです。そのいけいけムードは11月30日と12月1日に東京で開かれた日本エイズ学会学術集会・総会でも、世界の有名どころの学者を集め、もうどうにも止まらない的印象でした。

 もちろん、治療の進歩を新たなHIV感染の予防につなげるという方向性自体に反対するわけではありません。そもそも私のような一介のおじさんが世界の有名どころを向こうに回して疑義を唱えるような余地はないのかもしれませんが、さまざま困難な条件に対応する息の長い努力をすっ飛ばし、エイズ流行の終結がすぐ目の前にあるかのごとく医療の専門家の言動が先鋭化し、ある種の熱に浮かされたような雰囲気が広がるとしたら、それはそれで背景に何があるのか、大いに気がかりでもあります。

 WHOの声明を読んだ範囲での感想では、国連合同エイズ計画(UNAIDS)が標榜する「3つのゼロ」ビジョン(HIV新規感染ゼロ、エイズ関連の死亡ゼロ、HIV/エイズにまつわる差別偏見ゼロ)のうち、3番目の差別偏見ゼロに関する言及がほとんどなかったことにやや奇異な印象を受けました。読み込み不足かも知れませんが、どうしてなんでしょうね。