米国映画「ダラス・バイヤーズクラブ」が22日から国内でも公開されます。主人公のロン・ウッドルーフは1980年代から90年代の初めにかけて、米国でHIV治療の未承認薬を密輸してエイズ患者に提供する組織を運営していた実在の男性で、1992年にエイズの合併症で亡くなっています。
映画はこのウッドルーフの話に基づいて作られていますが、ノンフィクションではありません。さまざまな劇的要素も盛り込まれたドラマです。ただし、そのことは作品の評価を下げるわけではなく、ドラマでなければ表現できないものもおそらくはあるのではないか。試写を観て、そんな印象も受けました。主演と助演の男優2人がゴールデングローブ賞を受賞し、第86回アカデミー賞に6部門でノミネートされている話題作でもあります。
エイズ&ソサエティ研究会議のTOP HAT News第65号(2014年1月)に掲載されている「希望を買おうとした男」という文章はこの映画の試写を見た段階での感想です。日本語版字幕では最後に「エイズ撲滅の日はまだ遠い」みたいなひと言が出てきてあれあれと思いました。(ちらっと見ただけなので正確な文章はわかりません)。
この点は残念であり、できれば日本語版字幕に相当する英文はどのように書かれていたのかということも知りたいですね。スクリーンに最後に映し出された英文メッセージと日本語版字幕の間には差異があるのではないかという印象も作品全体を振り返ってみると残りました。この辺も議論できる機会があれば取り上げてみたいと思いますが、今回は最後の日本語版字幕には触れずに書いてあります。以下再掲します。
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「希望を買おうとした男」
米国の映画芸術科学アカデミーが1月16日、第86回アカデミー賞の候補作、候補者を発表しました。宮崎駿監督の『風立ちぬ』が長編アニメ賞にノミネートされたこともあって、日本でもけっこう報道されましたね。受賞作、受賞者の発表と授賞式は3月2日(日本時間3日)です。宮崎監督にとっては03年の『千と千尋の神隠し』以来となる朗報が届くことを期待するとして、ここではHIV/エイズの流行を取り上げたもう一つの話題作を取り上げます。
日本では2月22日封切り予定の米国映画『ダラス・バイヤーズクラブ』は、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、編集賞、メイク・ヘアスタイリング賞の6部門にノミネートされています。ノミネートに関しては10部門の『ゼログラビティ』『アメリカン・ハッスル』の2作品に及ばなかったものの、本番はまだこれから。マルチ受賞もあるかもしれません。アカデミー賞の前哨戦とも言われるゴールデングローブ賞では、主人公でエイズを発症したカウボーイ、ロン役のマシュー・マコノヒーが主演男優賞、同じくエイズ患者でバイヤーズクラブの相棒となるトランスジェンダーのレイヨン役ジャレッド・レトが助演男優賞を受賞しています。
《1985年、アメリカで最も保守的とされるテキサス州で、HIV陽性により余命30日と宣告された男がいた。男の名前はロン・ウッドルーフ。同性愛者でもないのになぜ!? と怒りを周囲にぶつけるロン》
映画の公式サイトは、このような書き出しで作品について説明しています。かなり刺激的ですね。「同性愛者でもないのになぜ」という怒りは1985年当時の米国の異性愛中心社会では、すんなりと受け止められてしまう種類の「怒り」でもありました。映画の名誉のために付け加えておけば、ロンの性的少数者に対するまなざしは自らの経験を通して少しずつ変化していきます。その控えめな変化の描写を通じ、観客はおそらく最初の怒りそのものの不当性にも気付いていくのではないでしょうか。
ただし、映画ではこの点はサイドストーリー的な位置づけで、話の中心になるのはHIV/エイズの有効な治療法がまだ確立されていなかった80年代後半の厳しい現実でしょう。バイヤーズクラブというのは、未承認薬であってもとにかく効きそうなものがあれば試してみたい、密輸でも何でもして手に入れたいという当時の絶望的ニーズに対応し、全米各地に生まれた会員制の薬の供給組織です。主人公ロン・ウッドルーフは実在した人物で、テキサス州ダラスにおけるクラブの創設者でした。
地元の有力紙ダラス・モーニングニュースの公式サイトには昨年11月1日付で《時間を買う:ロン・ウッドルーフ 世界をまたにかけ治療薬―とエイズ患者の希望―を密輸する男》という、おそろしく長文の記事が掲載されています。1992年8月9日のダラス・モーニングニュース紙の日曜版付録の雑誌に掲載された記事の再録ということなので、映画の公開を機に地元で(そしておそらくは全米で)、彼の存在とあの絶望的なまでに死と直面していたエイズの時代がもう一度、注目されることになったのでしょうか。
記事によると、ロン・ウッドルーフは1986年(映画の設定より1年遅い)にエイズと診断され、同時にHIV感染が判明したガールフレンドとともに「絶望的な時には絶望的な手段を選ぶこともある」とメキシコから未承認薬を密輸し、会員制のクラブ形式で会費を払ったメンバーに配布するビジネスを始めました。米国では最初のエイズ治療薬として1987年にAZTが承認されましたが、当初は用量が多かったこともあって副作用がきつかったうえ、単剤では1年ほどで薬剤耐性ウイルスが出てきて薬が効かなくなることもやがて分かってきます。
有効な治療薬が登場するまで生き残れるか、それとも死が先に訪れるか、HIV陽性者にとっては薬の開発と衰えゆく自らの身体が生き残りをかけたタイムレースを続けるような日々でした。
ロン・ウッドルーフは「リスクを取ることを望むか望まないかという問題ではない。取るしかなかったんだ」とインタビューに答えています。記事はまた、《あと何日か、何週間か生き延びるためにロン・ウッドルーフが密輸した薬を使う》ということには賛否の大きな議論があったことも紹介しています。米国には当時、大きなものだけでも9つのバイヤーズクラブがあり、ダラスはその中でも最も過激で危ない橋を渡るクラブという評判だったようです。新薬の承認を担当する連邦政府の食品医薬品局(FDA)や医学界などとの衝突もしばしばあり、手入れを受けたり、逆にFDAを訴えて裁判を起こしたりもしています。
ウッドルーフは、致死的な病を抱える患者を食い物にする米連邦政府と巨大製薬会社と医学界の陰謀といった主張も繰り返し行っています。映画は実在の人物を描いているとはいえ、話をドラマティックに盛り上げるための脚色は当然あるでしょうし、架空の人物も登場しています。善玉と悪玉のキャラクターを登場人物に振り分けていくような作劇手法もシナリオを練っていく段階で意識的に採用されていったようで、それが映画のテイストに反映されている面もあります。
したがって、何とか一人でも多くの人を助けたいという使命感から治療研究に取り組んでいた医師の中には余りにも不当に扱われていると心外に思う人もいるかもしれません。最初のエイズ治療承認薬であるAZTに関しても、前提条件を抜きにして毒を処方するかのように描写されていることに憤りを感じる研究者もいるのではないでしょうか。ロン・ウッドルーフ自身、毀誉褒貶の激しい人物だったことはダラス・モーニングニュースの記事からもうかがえます。
ただし、そうしたことも含め、映画は1980年代後半から90年代初めにかけての米国の困難なエイズの時代の雰囲気をよく伝えている印象は受けます。なぜHIVに感染した人たちはあれほど激しい怒りを持ったのか。ニューヨークでは1987年に劇作家ラリー・クレーマーが激越な演説を行い、アクトアップNYが生まれています。「沈黙=死」。それが政治的な抗議活動で状況を変えようとしたアクトアップのスローガンでした。黙っていたら殺されてしまう。ロン・ウッドルーフはその頃、地下ビジネスとして未承認薬の密輸を続けていました。立場は異なりますが、怒りの中身は共通していたように思います。
この30年の間にHIV/エイズとの闘いを通して、米国社会の様々な仕組みが変っていきました。その変化を動かす大きな力の少なくとも一つが(すべてではありません)、こうした怒りであったことは否定できません。
ロン・ウッドルーフは1992年9月に死去しました。今回の映画の脚本家の一人であるクレイグ・ボーテンはその死の直前にカリフォルニアからテキサスまで車を運転してウッドルーフのもとを訪れ、20時間に及ぶインタビューを行っています。そのとき、あなたの話が映画になったらどう思うとボーテンが尋ねると、ウッドルーフは「ぜひ観てみたいね」と答えたそうです。つまり、映画化の話はその時点からスタートしているのですが、紆余曲折を経て、脚本の手直しも重ね、ようやく完成にこぎつけたのは20年後でした。
なぜ20年もかかったのか。1990年代の初めにエイズで死んだ男の物語がどうしていま、これほど話題になるのか。もちろん映画の力が大きいのでしょうが、でも、それだけなのでしょうか。そして、現在の日本では、その映画に触発されてどんな議論が起きるのか、あるいは起きないのか。2月22日の日本国内封切り、そして日本時間3月3日のアカデミー賞発表は秘かに注目しておきたいところです。