4210  『UNITED IN ANGER -ACT UPの歴史-』 エイズと社会ウエッブ版122


 ACT UPは1987年4月、ニューヨーク・マンハッタンのチェルシー地区にあるゲイ&レズビアン・コミュニティセンターで劇作家のラリー・クレーマー氏がエイズの流行に対する米国政府の対応(というか無対応)を激しく非難したことをきっかけに発足しました。昨年4月に25周年を迎え、国連合同エイズ計画(UNAIDS)も公式サイトでそのことを紹介しています。日本語仮訳がHATプロジェクトのブログに載っているので、ご覧ください。 

 《ACT UP 25周年 エイズ活動の四半世紀》
 
http://asajp.at.webry.info/201204/article_7.html

  記事の書き出しはこんな調子です。

  《名前よりも前に、声があった。治療法が開発される前に、活動は開始されていた。エイズ活動は、世界の保健アプローチに変革をもたらしてきた。エイズの流行の 30 年の歴史の中で、エイズ活動家たちは、何百万もの人々のより良い健康と公正、社会正義のための想像力を刺激し、行動を引き起こしてきた》

  こうした認識は、世界のエイズ対策関係者の間ではかなり定着しているのではないでしょうか。昨年7月には、世界銀行のジム・ヨン・キム総会がワシントンで開かれた第19回国際エイズ会議の開会式で演説し、ACT UPや南アフリカのTAGなどの名前を具体的にあげて、エイズ対策におけるアクティビズムの貢献に賛辞を贈っています。ちょっとUNAIDSの記事の続きも引用しておきましょう。

  《エイズ活動はACT UP(the AIDS Coalition to Unleash Power)のようなグループとともに始まった。25年前の4月、ラリー・クレーマーがニューヨークで渾身の演説を行い、多くの人々の心を奮い立たせた。その人々がエイズの流行を克服する動きを巻き起こすために政治的に活動する最初のグループとなった》

  ACT UPがエイズ対策分野で政治的に活動する最初のグループだったという認識はおおむね妥当だと思いますが、エイズ活動はACT UPのようなグループとともに始まったとまで言ってしまうと、ちょっと言い過ぎ。「ようなグループ」というかたちでうまく逃げていますが、それ以前にも、やはりラリー・クレーマー氏が創設者の一人であるGMHCなどは活動していたし、ボストンでもエイズ・アクション・コミッティーは1982年ごろから動き始めていたと思います。クレーマー氏はGMHCとケンカ別れし、もっと政府と対決しろということでACT UPの設立を呼びかけたわけですね。そのACT UPとも後にケンカ別れしてしまうのだけど・・・。

  ま、大変な人だわ。最近では、エイズ対策関係者からも、もう、そんな時代じゃないんだから・・・などといって煙たがられる昔話を始めたのは他でもありません。そのACT UPの記録映画が明日、東京で上映されます。

  《『UNITED IN ANGER -ACT UPの歴史-』上映会&トーク》
 
http://www.ca-aids.jp/event/131005_united_in_anger.html

  ACT UP NYの活動はジェームズ・ウェンジーが克明にビデオに記録しています。ニューヨーク・パブリック・ライブラリーにはそのコレクションもあるほど。明日、上映される映画にもジェームズの記録がかなり使われるのではないかと思います。

 そういえばジェームズ、どうしているのかなと思って検索したら、今年5月27日のニューヨークタイムズに記事が掲載されていました。
 
http://cityroom.blogs.nytimes.com/2013/05/27/after-chronicling-history-soho-artist-is-losing-a-vantage-point/?_r=0

  家主が替わってしまったので、32年間、使っていたソーホーのビルの地下のスタジオ兼自宅を明け渡さなければならないという記事でした。私などは、あのスタジオがまだ使われていたのかと、ある意味でそちらの方も驚きでした。南定四郎さんを案内して、初めてジェームズのスタジオを訪れたのは確か、1994年の6月だったと思います。あれからもう20年近くもたっているのですね。

  ジェームズが運営していたDIVA TVのサイトには実は当時の私の記事も保存されています。
 
http://www.actupny.org/divatv/printed.html

 左の柱の目次をずっと下に行って、下から3、4番目くらいのところにあります。1994年8月6日付、つまり横浜の第10回国際エイズ会議の直前でした。新聞の名前が「SANDEI SHIMBUN」になっているのはちょっと悲しいけれど、まあ、致し方ないでしょう。