病院跡地にエイズメモリアル エイズと社会ウェブ版509

 劇作家のラリー・クレイマー氏が亡くなった翌日つまり今年5月28日、にマンハッタンのエイズメモリアル公園にACT UPの新旧メンバーが集まり、追悼の集会がありました。連載コラムOne side/No side41《病院跡地にエイズメモリアル》。現代性教育研究ジャーナルNo.114(2020年9月15日)の8ページに掲載されています。 

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《クレイマー氏の激越な演説がきっかけとなって1987年に生まれたニューヨークのACT UP (AIDS Coalition To Unleash Power)は、亡くなったその日のうちに『ラリーは私たちにとって、指針であり、鼓舞する者であり、そして時には宿敵でした』とする声明を公式サイトに掲載し、翌28日午後8時から7番街12丁目のニューヨーク・エイズメモリアル公園で追悼の集会を開くことを発表した》

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 クレイマー氏は享年84。ACT UP創設のきっかけとなった演説を行った当時は51歳だったということでしょうか。HIVに感染すれば、ほとんどの人が10年前後でエイズを発症し、亡くなっていくという時代でした。30年以上前のことです。そういえば、私がエイズについて取材を始めたのも1987年でした。

 つい昨日のことであり、ずいぶん昔のことであるような印象でもあります。

《えっ、エイズメモリアル公園? 恥ずかしながら初耳である。エイズ対策には関心があるものの、そのような施設がマンハッタンにあることは知らなかった》

 あわててネットで調べると、その公園は、かつてニューヨークのHIV診療の拠点だったセント・ビンセント病院があった敷地の一部に作られ、2017年に跡地の住宅開発管理会社がニューヨーク市に寄贈したそうです。詳しくはコラムをお読みください。

 今回のOne side/Nosideは、クレイマー氏のことを書こうと思って書き始めたのですが、途中から公園の紹介が中心になってしまいました。ACT UPにとって『指針であり、鼓舞する者であり、そして時には宿敵』でもあったクレイマー氏の話は次号で改めて。