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 北京愛知行研究所創立者、万延海氏に聞く エイズと社会ウェブ版241

エイズと社会 国際感染症関係論

 中国のHIV人権活動家で、現在は米国在住の万延海氏が8月上旬、東京を訪れた。来日は昨年秋に続き2回目。8月5日(金)夜には新宿二丁目のコミュニティセンターaktaを訪問し、ゲイコミュニティを中心にHIV/エイズ対策と取り組むaktaスタッフと意見交換を行った。また、7日(日)午後、滝野川文化センター(北区)で開かれた講演会『中国市民活動の20年間と今後 北京愛知行研究所創設者・万延海氏を招いて』では、これまでの活動や米国に渡った経緯などを語るとともに、可能なら中国に戻り活動を続けたいとの意向を明らかにした。

 (注:5日のaktaスタッフとの話し合い、7日の万氏の講演、および講演会で配布された資料をもとにまとめた取材メモですが、公表は差し支えないと判断し、ブログにも掲載します)。

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  写真右が万延海氏。左はたまたまaktaにいたどこかのおじさん(2016年8月5日夜、コミュニティセンターakta)

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 講演会のチラシから万氏の略歴を紹介しよう。

《万延海(ワン・イエンハイ) HIV人権活動家、北京愛知行研究所創立者。1963年安徽省天長県出身。上海医科大学公共衛生学院卒業(健康教育専攻)。1994年にNGO「北京愛知行研究所」を設立。同研究所を通じて同性愛者の健康や人権問題および河南省の汚染血液によるHIV陽性者の人権擁護や知識普及に努め、この分野のパイオニア的存在として早くから注目される。2010年よりアメリカ在住。エール大学ロースクール客員研究員》

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 万氏自身の話をもとに少し補足したい。北京愛知行研究所は、1993年末に『北京愛知行動プロジェクト』として創設され、翌94年3月にプロジェクト発足が発表されている。当時、万氏は中国衛生部傘下の中国健康教育研究所の職員(つまり政府職員)だったが、公衆衛生学者として健康教育の観点からHIVや性の問題、同性愛者の権利の擁護などに取り組んでいたことが問題視され、閑職に追いやられていた。「HIVの予防や治療に関するいかなる教育や性関連のいかなる研究にも関わることを禁止された状態だった」という。

 北京愛知行動は、あえてプロジェクトと名乗った。組織にしなかったのは、非合法組織として扱われると行動がしにくくなるからだった。そうではなく、あくまで「人民に奉仕する活動を行うプロジェクト」と位置づけ、名称にも気を配った。中国語でエイズを表わす艾滋病、愛滋病は使わず、似てはいるが少し異なる愛(人に対する思いやり、人道主義)、知(教育、科学)という文字を使った。それでも万氏は中国公安部のブラックリストに載り、要注意人物として扱われたという。 

 愛知行動プロジェクトは同性愛者の権利擁護やHIV教育、安全な性行為に関する啓発活動を行ってきた。また、衛生管理のずさんな売血により、多数の血液提供者がHIVに感染した中国河南省の事件について2000年から調査し、HIVに感染した人たちへの支援活動も行ってきた。このことで2002年8月24日には北京市国家安全局に拘束され、9月20日までほぼ1カ月にわたり取り調べを受けている。

 このときは、民間のHIV/エイズ対策指導者が突如として行方不明になったことが中国国外にも伝えられ、万氏の安否に対する懸念が国際的にも高まった。河南省売血によるHIV感染は当時、中国政府の機密に関わる(つまり、隠したかった)情報であり、その国家機密漏洩の疑いが万氏にかけられたようだ。

 愛知行動プロジェクトが愛知行研究所に変わったのはこの事件の後で、万氏によると、釈放時に予防活動を制限するような条件はとくにつけられなかった。また、万氏も政府と協力してHIV感染の予防活動に取り組む姿勢を示し、公認の会社組織として登録して名称も愛知行研究所となった。

 ただし、予防のためのコンドーム配布、パンフレット配布などは問題なくできたが、河南省売血によるHIV感染に関する活動を行おうとすると妨害が入った。予防については問題ないが、HIV陽性者の人権に関する活動はできないという状況だったという。愛知行研究所は当時、活動資金の大半が米国の財団からの助成金で占められていたので、そのことも中国政府が警戒感を強める要因だったのかもしれない。

 とくに2008年の北京五輪開催前半年ほどは、中国の人権状況に対する国際批判が強まり、逆に中国政府は国内の人権活動団体の動きを強権的に封じる動きを強めていた。このため、愛知行研究所に対する当局の監視も2008年から厳しくなり、銀行口座が凍結されたり、警察の立ち入りや税務調査、消防調査が繰り返されたりする状態となった。そして2010年には資金が底をつき、スタッフの給料も払えなくなるなど活動継続が困難になったという。万氏は2010年1月、香港に移り、そこで民間組織の口座を作り、愛知行動が中国で活動を存続させるための最小限の体制を整えたうえで、同年5月に米国に渡った。

 以後6年間、万氏自身は中国に戻れずにいるが、愛知行研究所は北京や昆明で活動を続けているという。

 また、万氏は香港、台湾のHIV/エイズ対策関係者とも連携するようになり、今回の来日も香港、台湾訪れた帰途に立ち寄ったという。

 話をうかがった範囲では、万氏は必ずしも反体制活動家として中国政府との対立を望んでいるわけではなく、中国に戻ってHIV/エイズの予防活動やHIV陽性者、性的少数者の支援活動を継続させることを求めているようだった。また、河南省(および他のいくつかの省)でずさんな衛生管理による売血HIV感染が広がった事件については、中国国内でもまだ何が起きたのか、感染はどこまで広がったのか、感染した人たちはどのような処遇を受けてきたのかといったことが十分に明らかにされているわけではない。このため、万氏は「中国血液汚染HIV蔓延・感染者人権擁護歴史資料館」を米国内に建設し、将来は大学と共同運営する構想も明らかにしており、日本で関心のある人たちにも協力を呼びかけている。