『この機会をつかむ』 TOP HAT News 143号

 ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のピーター・ピオット学長は、エボラウイルス発見者の一人であり、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長として最も繰しい時期に世界のエイズ対策を牽引してきました。ウイルス感染症対策の分野では世界有数の権威の一人なのですが、フランクな性格で日本にも友人、知人がたくさんいます。

 実は私も来日時の記者会見の司会を何度かしたり、著書2冊の翻訳をお手伝いしたりということもあって、友人の一人ではないかと自分では思っています。

 そのピオット博士が今年3月、新型コロナウイルス感染症COVID-19でロンドンの病院に入院し、サイトカインストームも経験するなど、かなり厳しい闘病生活を強いられました。いまは回復し、欧州委員会委員長のコロナウイルスおよびCOVID-19対策特別顧問として、ワクチン開発政策の推進役を務めています。

 BBC放送の日本語サイトには『COVID-19につかまったウイルスハンター』のタイトルで、ピオット博士のインタビューが掲載されています。

 TOP-HAT News第143号(2020年7月)の『はじめに』は、そのピオット博士の紹介です。タイトルもBBCの『COVID-19につかまったウイルスハンター』を拝借しましたが、ちょっと刺激的すぎるかなと思い、このブログのタイトルには2番目に紹介したUNAIDSの年次報告書のタイトルを採用しました。悪しからず。 

 

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         TOP-HAT News(トップ・ハット・ニュース)

        第143 号(2020年7月)

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エイズ&ソサエティ研究会議 TOP-HAT News編集部

 

 

◆◇◆ 目次 ◇◆◇◆

 

1 はじめに 『COVID-19につかまったウイルスハンター』

 

2 UNAIDSが年次報告書『Seizing the moment(この機会をつかむ)』発表

 

3 世界のHIV陽性者数は3800万人 UNAIDS推計

 

4 今こそ!"Living Together"

 

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1 はじめに  『COVID-19につかまったウイルスハンター』

 ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(LSHTM)は公衆衛生と感染症分野の研究では、世界屈指の教育・研究機関として知られています。長崎大学熱帯医学研究所とパートナーシップ協定を結ぶなど日本の研究者・研究機関との交流も盛んです。

 欧州連合EU)の政策執行機関である欧州委員会は5月7日、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長の「コロナウイルスおよびCOVID-19対策特別顧問」にそのLHSTMのピーター・ピオット学長を任命しました。

 ピオット博士は国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長として1995年から14年間、世界のHIV/エイズ対策を牽引してきた国際的指導者であり、研究者としては1976年にエボラウイルスが発見された際に発見者の一人だったことでも知られています。2013年には第2回野口英世賞を受賞しました。大の親日家でもあり、新宿二丁目のコミュニティセンターaktaを訪れるなどHIV/エイズ分野のアクティビストにも数多く友人、知人がいます。

 その知人の多くが欧州委員会の発表を聞いて「よかった」と胸をなでおろしました。実はピオット博士自身が3月19日に急な発熱と極度の疲労を訴え、COVID-19を発症していたのです。12日間の自宅療養のあと、症状の悪化から一時はロンドン市内の病院に入院していました。4月9日には退院したものの、その後の自宅療養中もサイトカインストームに襲われるなど、かなり厳しい闘病生活が続いたようです。

 日本からエイズソサエティ研究会議のメンバーが退院してよかったという趣旨のメールを送った時にも、「このウイルスはnasty(相当たちが悪い)です」と短く返事があっただけで、体力的にも、精神的にも、かなりまいっている様子でした。

そのピオット博士が、欧州委員長の特別顧問に就任したことは、体調が戻りCOVID-19対策に本格的に取り組むという事実上の宣言でもあったのです。

英国放送協会BBC)の日本語サイトには6月23日付けで『COVID-19につかまったウイルスハンター』というインタビューが掲載されています。

www.bbc.com

 ピオット博士はその中で『自分がこれまで診てきた人を思わざるを得ませんでした』と語っています。エボラのような致死率の高い感染症の診療にあたる医療従事者は完全防備で臨みます。患者は医師や看護師の顔を見ることもできません。ピオット博士がCOVID-19で入院していた時も同じような状態でした。

 『完全に一人で亡くなった人の孤独はこの病気による本当に大きな重荷です』

 自宅に戻ったとき、ピオット博士は、何もかもが噴き出し、涙があふれだした。インタビューではそう語っています。

 また、科学雑誌Scienceのウェブサイトには5月8日付けでインタビュー記事が掲載され、その中ではこう語っています。

『ワクチンが世界に普及しない限り、この危機の真の出口はない。つまり、何十億ドースというワクチンが必要で、それ自体が製造上のとてつもない課題となる』

 欧州委員長特別顧問に就任したピオット博士にとっての最大の任務も、世界のワクチン開発を加速させることです。

 誰が有効なワクチンを開発するのか。世界の研究者がいま、しのぎを削っています。しかし、その開発されたワクチンを必要とするのは誰なのか。この点にも目配りが必要です。多くの人がワクチン開発の恩恵を受けられるようにするには、競争とともに協力が必要です。

 HIV/エイズの場合、有効なワクチンの開発はいまなお、大きな困難に直面していますが、治療薬の開発は大きく進み、抗レトロウイルス薬の普及が『公衆衛生上の脅威としての流行』を終結に導けるかどうかのカギを握っていると指摘されようになりました。

 もちろん、道はまだ半ばではあります。成果に満足していられる状態ではありません。最近はCOVID-19という新たなパンデミックの影響で、HIV/エイズ対策もまた、深刻な打撃を受ける懸念が広がっています。

 それでも、1980年代や90年代に比べると、希望は大きく開けています。UNAIDSの事務局長時代に治療薬普及の国際的な流れ作ったピオット博士が、自らも患者の孤独を体験し、今度はCOVID-19対策にどう取り組むのか。期待を込めて日本からもエールを送りたいところです。

 

 

 

2 UNAIDSが年次報告書『Seizing the moment(この機会をつかむ)』発表

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)の公式サイトに年次報告書GLOBAL AIDS UPDATE 2020が掲載されています。タイトルは『Seizing the moment(この機会をつかむ)』です。

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https://aids2020.unaids.org/report/

 COVID-19の影響でバーチャル会議となった第23回国際エイズ会議(AIDS2020)の開幕に合わせて7月6日に発表されました。報告書のPDF版だけでなく、各章のポイントやプレスリリース、ソーシャル・メディア用の資料、データ集なども見ることができます。

 プレスリリースはエイズソサエティ研究会議が日本語仮訳を作成し、HATプロジェクトのブログに掲載しました。合わせてご覧ください。

 https://asajp.at.webry.info/202007/article_1.html

 

 

3 世界のHIV陽性者数は3800万人 UNAIDS推計

 GLOBAL AIDS UPDATE 2020には世界のHIV陽性者数などの最新推計(2019年末現在)も公表されています。UNAIDSの公式サイトに掲載されているファクトシートからその一部を紹介しておきましょう。世界全体の推計です。

 

HIV陽性者数           3800万人 [3160万–4450万人]

年間新規HIV感染者数         170万人 [120万–220万人]

エイズ関連疾病による年間死者数     69万人 [50万–97万人]

ARTを受けているHIV陽性者数   2540万人 [2450万–2560万人]

 (ART=抗レトロウイルス治療)

流行開始以来のHIV感染者数     7570万人 [5590万–1億人]

エイズ関連疾病による死者数      3270万人 [2480万–4220万人]

 

 ファクトシートはPDF版の日本語訳がAPI-Net(エイズ予防情報ネット)に掲載されています。

https://api-net.jfap.or.jp/status/world/sheet2020.html

 

 

4 今こそ!"Living Together"

新型コロナウイルス感染症COVID-19の流行とは長くおつきあいすることになりそうですね。特定非営利活動法人ぷれいす東京の公式サイトに大阪大学大学院人間科学研究科の野坂祐子准教授(臨床心理士)が『今こそ!“Living Together”~STAY SAFE のためのストレス・マネジメント~』というコラムを執筆しています。 

ptokyo.org

野坂さんによると『COVID-19を取り巻く社会の状況は、まるでHIV/AIDSの歴史と現状をみているようだ』ということです。逆にいえば、この社会状況だからこそ『HIV/AIDSを通して学んだ知恵と経験』が貴重になるともいえます。

 『「新しい生活様式」なんていうけれど、要は“Living with COVID-19”ってことでしょう? “Living with HIV/AIDS”で暮らしてきた私たちには、ちっとも「新しい」ことじゃない』

 そうだ、そうだ、と納得。Living Togetherというのは、考えてみれば当たり前のことなのですが、いまは(そして以前からずっと)貴重です。

同時に『その“Living with COVID-19”にはストレスがつきもの』でもあります。コラムではHIV陽性者を対象に『ストレス・マネジメント講座』を担当する野坂さんが『ちょっとした対処法をたくさんとるのもポイント』ということで、ストレス対処の様々な知恵を伝授しています。『ちょっとした』というのがいいですね。具体的な方法は、ぜひコラムで。