HIV内定取り消し訴訟に関連して、ハフポストとバズフィードの以下の2のつの記事はどちらも大変、勉強になりました。
《病院がHIV差別はナンセンス 普通に働き、生活できる時代です》
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/gahivhanansensunikidekirudesu
時間がある方は両方とも読むことをお勧めしたい。そのうえで、どちらか一方しか読む時間がないという方には、あえてバズフィードの記事の方を読まれることをお勧めします。
HIV治療を受け体内のウイルス量が検出限界値以下かどうかに関わりなく、医療機関がHIV陽性者を採用できない理由はまったくないという基本中の基本を明確に示しているからです。優れたライターによる優れた記事だと思います。
ハフィントンポストの記事も専門家にじっくりと話を聞き、治療や感染のリスクについて詳しい情報を提供しています。ただし、T as PやU=Uの成果を強調しようとするあまり、どこか危うい議論を含んでいるようにも感じられます。
最近は「ミスリードにならなければいいんだけれど」と感じる場面に遭遇することがしばしばあります。
ある医療関係者がHIV陽性の患者さんについて「診療拒否をするつもりはまったくありませんので、受診をされる方は、あらかじめ抗レトロウイルス治療を受け、ウイルス量を減らしてからいらしてください」と公的な場で話をされている場面に出くわし、えっ、これって、と思考が大混乱したこともあります。検出限界以下になっていない人は来てほしくないということなの?
私があえてひねくれた読み方をしているのかもしれませんが、ハフポストの記事にもそんな危うさを微かに感じました。
こちらは2018年の世界エイズデー国内啓発キャンペーンのテーマです。
最新の情報に基づくUPDATEは大切です。治療のことも検査のことももっと知ってほしい。そう思います。
ただし、治療の進歩の名を借りて「これはもういいだろう」というようなかたちで、これまでに蓄積されてきた大切なものまで、UPDATEの対象にしかねないような雰囲気が広がってしまっては困ります。
誤解のないように言えば、ハフポストが取材した医師の方は、治療や予防の最も新しい知見についても非常に丁寧かつ真摯にお答えになっています。HIV診療の最前線に身を置く医師として、医療の成果を熱心に語られるのは当然のことです。
それなのに記事には残念な点が残ってしまった。どうしてなのか。酷なようですがそれは、記者、あるいは編集者の側の受け止め方の問題だったのではないでしょうか。
「正しい知識」などというものは、語る人の立場や文脈によっても変わってきます。したがって、知識に関しては「正しい」ものがあらかじめあるという前提をいったん取り払い、「その時点で妥当と考えられるかどうか」といった観点で情報を受け止めておいたうえで、他の情報ともすり合わせていく作業が必要になることもあるのではないでしょうか。
HIV/エイズに関しては、医療の専門家やUNAIDSのような専門機関でさえ、しばらく時間が経過すると、言っていることが変わってしまうこともしばしばあります。
でも、それはたぶん非難すべきことではありません。HIV/エイズの流行の歴史は浅く、しかも現在進行形の重大な現象であるからではないか、と私はひそかに思っています。
エイズは終わっていません。様々な変化と可能性の中にあります。世界中の大合唱にもかかわらず、終わりが見えているわけでもありません。
いま「正しい」とされていることが、実は「正しくなかった」という評価に変わることも、おそらくあるでしょう。
その困難な過程も含め、これほど劇的に歴史が展開し、いまもなお展開の過程にある現象の取材にあたるということは、ジャーナリズムの世界に身を置く人間にとっては、めったに得られない機会なのではないでしょうか。
したがって、記者の皆さんには、少々の批判にめげることなく、取材を継続していかれることをひそかに望みつつ、応援もしたいと思います。
バックグラウンドとなる情報の提供に関しては、後方からできる範囲で行ってもいるつもりです。最近は、エイズについて取材し、記事を書いたり、発言したりすることが、保健分野の方からでさえ、絶滅危惧種を見るような冷笑で迎えられることもないことはありませんが、皆さん、がんばってね。