南アフリカのダーバンで7月18日(月)から開かれていた第21回国際エイズ会議(AIDS2016)が22日、閉幕しました。公式サイトのトップページには参加者に対し「THANK YOU TO EVRYONE」と大文字で書かれています。よっぽど嬉しかったんでしょうねえ。
http://www.aids2016.org/
16年ぶりに国際エイズ会議がダーバンに戻ってきたとあって注目度も高く、組織委員会の皆さんも準備に大変だったのではないかと思います。なにはともあれ、いまは会議が無事に終了し、ほっとしていることでしょう。
規模はかなり違いますが、私も2005年に神戸で第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議が開催された時には組織委員会の末席に加えていただき、開会式、閉会式や期間中の文化イベントなどを担当しました。まあ、その時の苦労といったらもう・・・。神戸会議からはすでに10年以上が経過していますが、日本国内ではその後、HIV/エイズ分野の国際会議を日本に招致しようなどという声がほとんど聞かれなくなってしまった。その一事をもってしてもお分かりいただけるのではないでしょうか。
横浜も神戸も素晴らしい会議であり、その後、それぞれの開催都市には大きな財産が残りました(注:1994年当時、私はNYにいたので、横浜で開かれた第10回国際エイズ会議に関しては伝聞ですが)。そうした成果をもってしてもなお、出しゃばりな新聞記者が、そろそろ・・・などと言い出そうものなら、いまだに、もってのほか!と厳しくたしなめられてしまいそうな雰囲気です(ま、言い出さないけど)。
おっと、少し脱線しました。第2次ダーバン会議の話に戻りましょう。終わったばかりですが、振り返って見て、この会議は何だったのか。
ほとんど地球の裏側といってもいいくらい遠く離れた日本にいると、お、やってるなとは思うものの、何をやっているのかはなかなかよく分かりません。公式サイトには会議の様子を伝える写真やビデオ、主なスピーチの原稿、各日の要約報告などが紹介されています。それも終わったところでようやく、あ、ここにあったのかと分かったような次第。EveryoneにThank youし、ハグしたくなる関係者のご苦労が改めてしのばれます。
ソーシャルメディアの発達により、サイトを通じて、かなり雰囲気が伝わってくる感じがしないこともないのですが、なにせ英語です。またしても言葉の壁が立ちはだかります。寄る年波で目も頭もしょぼしょぼしているおじさんには、けっこうフォローするのもつらいんだよねえ~と愚痴の一つも言いたくなります。
6月の国連総会ハイレベル会合、そして7月の第21回国際エイズ会議。この2カ月がたぶん、世界のHIV/エイズ対策の新たな転回点になるんだろうなという漠然とした感覚はあるものの、整理して考えていかないと、何がどう転換したのか、あるいは転換しようとしているのかが分からない。いまはそんな印象です。
暇があれば(ないけど)、日本語仮訳を作れるものはおいおい作っていきましょう。それが国内における議論の土台(の一部)として、少しはお役に立つことになるかもしれません。UNAIDSのレポートにもこう書かれているではありませんか。
miyatak.hatenablog.com《政治宣言と持続可能な開発目標のターゲットを達成するには、エイズ対策の高速対応が必要であり、そのために縦割りの壁を破り、すべての部門が政府全体として取り組むことが強調された》
♪あん時ゃどしゃ降り・・・じゃなかった、そん時ゃよろしく。