理論構築は寺院にシフト、でもそれだけでいいのか 今度こそ、遙かなる世界遺産2

 鎌倉風致保存会の会議室で開かれた6月29日(水)の「鎌倉の世界遺産をめざす市民の会」の総会では、開会に先立ち、鎌倉市の担当職員から1時間ほどの「出前講座」を開講していただきました。

 前回も書いたように鎌倉の世界遺産登録はユネスコの専門家機関から「不記載勧告」という最低ランクの評価を受け、一度、挫折しています。ただし、それは「もうギブアップ、断念します」という結論ではありません。ユネスコ世界遺産登録委員会の審議にかかるまえに登録を取り下げ、再チャレンジを期すというのが鎌倉市のそのときの決断であり、世界遺産登録を応援していた市内関係者もおおむねその方向性を了承していたのではないかと(少なくとも私は)思います。

 落胆の気分があまりにも大きかったせいか、その後は世界遺産の話題に触れるのもはばかられるような雰囲気が市内には広がってしまいました。それでも再チャレンジの動きは消えたわけではありません。

 人生、楽ありゃ、苦もあるさ・・・と鎌倉にはそれなりにゆかりの深い水戸のご老公もおっしゃっているではありませんか。えっ、ご本人はおっしゃっていない? そうかも知れませんが、後の世のドラマの主題歌では歌われています。いまは逆境にあるとしても、諦めないぞ!という思いは忘れてはいけませんね。

 派手な動きではありませんが、鎌倉市は2013年の申請いったん取り下げ以来、再チャレンジに向けて、「比較研究」を続けてきました。不記載相当の評価になった最大の原因が「顕著な普遍的価値」を示す比較研究が不足していたとの判断に基づく対応です。ほぼ3年におよぶその研究の成果は実は、市内で5回に分けて報告会を開いて公表している途中であり、残念ながら報告会は聞き逃したという人たちのために、鎌倉市は要請があればその報告の成果をコンパクトにまとめた出前講座も実施しています。

 「世界遺産登録をめざす市民の会」のメンバーは、私を除けば、市の担当者以上に世界遺産登録に詳しい方がそろってはいるのですが、現在進行形の動きは重要です。「そういうものがあるのなら、ぜひ受講してみたい」ということで、総会を機に担当部長さんにご足労をお願いしました。

 どうも、前置きが長くてすいません。それでは講座の中身について、少しだけですが紹介しましょう。

 

 ユネスコの委託を受けた専門家機関イコモス(国際記念物遺跡会議)は2013年4月、「武家の古都・鎌倉」に対し、世界遺産登録不記載(登録しない)という勧告を行いました。鎌倉市はその勧告を分析した結果、原因は次の3点にあったと考えています。

1 都市全体が構成資産とみなされ、武家政権および政権都市を示す物的証拠の不足を指摘された。

2 社寺などの個々の文化遺産と国内外の文化財との比較研究に基づく価値の説明が不足とされた。

3 国内的価値にとどまらない世界的普遍性を訴える説明が不足していた。

 このうち最大のマイナス要因は比較研究の不足だったという判断から、この3年間は比較研究に力を入れてきたということです。具体的には、文献調査、意見聴取、現地調査などにより、寺院の伽藍や建築・庭園などの個々の要素を国内や海外の同じような文化遺産と比較し、どこが違うのかを明らかにすることで、価値を示せるようにしていこうというベーシックな作業です。

 比較研究の報告会は全部で5回行われる予定で、まだ終わっていない回もあるので、出前講座ではそのうちの3回分について説明していただきました。谷戸の奥へと一直線に延びる建長寺の伽藍配置、禅宗様式の建築物としての完成形ともいうべき円覚寺舎利殿、そして高徳院の露座の大仏について、国内や中国、韓国の寺院や遺跡との比較を踏まえ、その歴史的な位置づけと独自性を検証しています。

 調査に対する詳細な評価については私の出る幕ではないので、専門知識豊かな他のメンバーにおまかせするとして、大づかみな印象でいうと、「武家の古都・鎌倉」のときと比べると、コンセプトの力点が仏教寺院、それも禅宗寺院に大きくシフトしていく印象です。

 これは、全体としては不記載勧告だったイコモスの指摘の中にも、鎌倉を評価する記述はあったとの分析に基づいているようです。具体的には、社寺に対し勧告は「今日、鎌倉が十分な物証を示しているのは、寺院に関連した精神的文化的側面のみであり」と指摘しています。これは「のみであり」の部分を外して読めば、「寺院に関連した精神的文化的側面」に関しては「今日、鎌倉が十分な物証を示している」ということになります。また、切通とやぐらも比較的、評価されたということです。

 ここを見逃す手はないでしょうということは、素人の私でも思います。専門家ならなおさらでしょう。ただし、イコモスの言っていることを真に受けていたのでは、鎌倉という現代に息づいてなおかつ歴史的価値を発揮している希有な都市の魅力が逆にがんがん失われていくのではないか。そうした危惧もまた、外野席の応援団としては、そこはかとなく感じてしまいます。

 もちろん、相手が浅はかな専門家である以上、それに見合った対応で臨まざるを得ないといった程度のことは私にも分かります。世界遺産登録向けに学者同士の議論みたいなレベルで文句を言わさない申請書をかちっと作って欲しい。すでに挫折の苦い経験を味わっている以上、「今度は勝ちに行くぞ」みたいな感覚もあります。その部分はあまりがたがた言わず専門家にお任せしましょう

 でも、それだけでは「何のために世界遺産登録をめざすの」というずっと以前からストリートでもやもやとわだかまっている疑問にはなかなか答えられない。そもそも世界遺産登録に関する鎌倉の最大の欠点は、地元から「世界遺産登録をめざすぞ」と盛り上がるような・・・というか、吹き上げるような・・・といいますか、そうした躍動感、ワクワク感に欠けているのではないか、そうした指摘は以前からすっとありました。世界遺産登録を確実にするための理論武装作業と町の盛り上がり、この2つは相互に補完すべきものでありながら、相反する力学が働くこともあります。

 地道な比較研究や理論構築の作業を見守る一方で、あえて強い言葉を使えば「世界遺産に対する忌避感」のようなものがどことなく町に流れる現状にどう対応していくのか。

 そして誰もいなくなった状態の中で、かろうじて「いなくならないぞ」と踏みとどまり、細々と存続してきた「鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会」はおそらくいま、その後者の役割を担いうるポジションにあり、気持ちとしても担いたいところではありますが、落ち着いて考えて見れば、組織的にも財政的にもそのような状態には遠く及ばない、正直言って力不足という現実的な感覚も激しくあります。どうするかなあ。