4302 エイズは「不死の病」か エイズと社会ウエブ版139

 

 ここで紹介する『エイズは不死の病か』は2005年6月6日の産経新聞に掲載されたコラムです。現在のエイズ予防指針のそのまた前の予防指針が策定された際の検討会の議論を紹介しています。その中では、2005年当時の「現状の問題点」のひとつとして「若い世代や同性愛者における感染の拡大への対応が十分ではない」ということも指摘されています。 

 振り返って見ると、その頃から(あるいはその少し前から)わが国では、大都市圏のMSM(男性とセックスをする男性)のコミュニティを中心にHIV感染予防のための努力がかなり集約的になされ、その結果として当時懸念されていた男性同性間の性感染の急拡大を回避することができました。十分ではないという認識のもとに、「何とかしなければ」と動き出していた人たちがすでにいたわけですね。

 その中心になったのはおそらく5年間の戦略研究だったのではないでしょうか。もちろん、それがすべてではありませんが、戦略研究の存在が求心力になり、大都市圏のMSMのコミュニティが自らの内部にHIV感染の拡大に対応するための体制を整えていくことができた。この点は非常に重要です。

 あえて言わずもがなのことを付け加えておけば、こうしたとらえ方は私のオリジナルというわけではなく、MSMコミュニティの中でエイズ対策に取り組んできた人たちにも共通した認識があったように思います。より正確に言えば、現場で行動してきた人たちに教えていただき、私もようやくそうした認識に立てるようになったということかもしれません。

 したがって、一部の専門家がいまなお、「巨額の予算を投入したのに結局、男性同性間の性感染による感染報告は減っていない。効果などあがっていないではないか」と繰り返しているのも、必ずしも意地悪だったり、嫉妬に基づく理不尽な指摘だったりというようなことではなさそうです。見ようとしなければ、いまここにある劇的な変化もなかなか見えてはこないということでしょうね。

 21世紀初頭から顕著になり始めた報告の増加カーブに歯止めがかかり、感染の急拡大を防ぐ成果をあげたことはきちんと評価する必要があります。最近は「もうそろそろエイズ対策はいいだろう」とか「一部の特定の人たちだけに予算をかけるのはいかがなものか」といった議論が出はじめています。聞いただけでよろけてしまいそうですが、そうした成果が研究者間で共有されていないことの結果かもしれません。

 そもそも細かく見ていけば、当時だってそんなに巨額の予算がかけられていたわけではないのですが、それでも一定の資金の支えがあり、感染の拡大に直面するコミュニティの内部と研究者との信頼感に基づく行動があれば、高い成果が得られることが証明されたのではないかと私は考えています。

 一方で、現状を見ると、せっかくのそうした努力が行政面からはきちんと評価されず、貴重な成果も結局は一時的なものに終わってしまうのではないか。そんあ懸念もなしとはしません。なしとはしないどころか、何で、この大事なときに打ち切っちゃうのといったアラームが鳴り響いている感じもします。短く、また拙いコラムではありますすが、そうした現状も含め、この10年で変わったこと、変わっていないことを検証していただくきっかけになれば幸いです。


エイズは「不死の病」か (2005年06月06日産経新聞)

 わが国のエイズ対策の基本となるエイズ予防指針について、厚生労働省が告示後五年をめどにした見直し作業を進めている。今年二月に発足した厚生科学審議会のエイズ予防指針見直し検討会では七回の会合を経て、先月三十日に議論を集約した報告書案が事務局の同省疾病対策課から示された。
 検討会は国立国際医療センターの木村哲エイズ治療・研究センター長を座長に研究者やエイズの原因ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染したHIV陽性者、エイズ対策の非営利特定法人(NPO)、教育関係者ら計十七人で構成されている。
 国際的に見ると、日本はエイズの流行が比較的、抑えられてきた国だが、最近は流行の拡大傾向が顕著で、今年四月には累積のエイズ患者・HIV感染者報告数が一万人を突破した。
 報告書案は現状の問題点として(1)診断時にはすでにエイズを発症している事例が30%を占めている(2)若い世代や同性愛者における感染の拡大への対応が十分ではない(3)一部の医療機関への感染者・患者の集中が生じている(4)国と地方自治体の役割分担が明確ではない-などをあげている。この点には委員の間でもあまり大きな意見の食い違いはない。
 ただし、その問題点を踏まえた「対策の見直しの方向」はちょっと議論になった。「発生動向および疾患特性の変化を踏まえた施策の展開」として、次のような記述があるからだ。
 ≪我が国における性行動の変化等に伴い、感染のリスクは増加しつつある一方、「多剤併用療法」の進歩により、死亡率は著しく減少したことから、いわば「不治の病」から「不死の病」へ、「特別な病」から、誰もが感染のリスクを有しうる「一般的な病」へと変化しつつある。「不治の特別な病」から「不死の一般的な病」、即(すなわ)ち慢性感染症へと変化しつつあると言える≫
 HIVの増殖を抑える抗レトロウイルス薬を組み合わせて使う多剤併用療法が十年ほど前に登場して以来、エイズで亡くなる人は激減した。入院患者が回復し、会社で働けるようにもなった。
 少なくとも先進国では、医学の進歩がエイズを「死に直面する病気」から「いかに長く生きていくかを考える病気」に変えた。その成果を強調したいという気持ちは分かる。厚労省は「不治から不死に変わり、一般的な病気になったという認識が広がれば、差別や偏見がなくなり、検査を受ける人が増えるのでは」と説明した。
 そうかもしれない。だが、そうではないのかもしれない。
 HIV陽性の委員は「良質な医療が提供されない限り、病気としては重い。治療薬といっても完治はしない」という。決まった時間に薬を飲む。それを月に何回か忘れただけで、薬の効かない耐性ウイルス出現の可能性が高まる。
 副作用もある。鬱(うつ)症状に悩み服薬を一時、中断した知人は「薬をやめると、どうしてこんなに気持ちが晴れ晴れするんだろう」と語っていた。治療が長期化するにつれ、いつ発症しないとも限らないという不安も蓄積していく。死はいつも隣り合わせだ。
 世の中が関心を失えば、エイズにまつわる偏見が減るわけでもない。「勤め先で感染していることを言えない陽性者が多い。不利益を受けるのではないかという不安は大きい」とNPOの委員は指摘する。「不死で一般的」という記述が現実と噛み合わない。
 では、どう表現するのか。そうしたことが検討会の外に話題として広がっていかない点にも、日本のエイズ対策の困難さがある。