2つの指針はどう違う 第1回エイズ・性感染症に関する小委員会 傍聴記続編

 昨日のエイズ性感染症に関する小委員会の続きです。厚労省の冒頭説明には現在のエイズ予防指針と性感染症予防指針のそれぞれの項目も示されています。

 どちらも2012年1月19日に直近の改正大臣告示があり、エイズ予防指針は9項目立て、性感染症予防指針は6項目立てになっているので、その項目を表にして比較しましょう。

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  エイズ予防指針にはあって性感染症予防指針にはない3項目は以下の通りです。

 「普及啓発及び教育」

 「検査相談体制の充実」

 「人権の尊重」

 どちらが正しいとか誤っているといった議論をここで持ち出したいわけではないのですが、性感染症予防指針ではいままで数次の見直しを経ても必要とされなかった項目がエイズ予防指針には3つあった。このことは再認識しておきたいと思います。

 感染症の流行に医療だけで対応することはできない。極めて致死性の高い新興感染症が比較的短期間のうちにパンデミックの水準にまで拡大し、しかも定着してしまうという人類史上においても経験したことない危機的な事態に直面したとき、世界は、そして日本も、そのことを痛切に思い知り、じゃあどうしたらいいのかということを懸命に考えました。

 日本国内の、エイズの流行への対応には国際的なエイズ対策の動向が大きく反映されています。そのことがいまなお、総体としては国内のHIV感染の拡大が「低流行期」のレベルになんとか踏みとどまっている大きな理由の一つではないかと私はこれまでの取材体験から感じてもいます。

 過去の予防指針の議論にもそれは反映されていました。今回はどうも構成が変わっているようですが、過去2回の見直しに際してはHIV陽性者のグループやエイズ関連のNGO/NPO関係者が委員に加わり、かなり積極的に発言を続けてきた経緯があります。

 今回も委員にこそ名を連ねていないものの、初回会合にはHIV陽性であることを明らかにしている複数の方たちが参考人として意見陳述を行い、わが国のエイズ対策が抱える最大の課題が「差別、偏見の解消」であり、人権を重視した施策展開の必要性を強調していました。決して口裏を合わせたということではなく、それぞれの方がそれぞれの立場から現実を直視した結果、そうなったのだと私は思っています。

 このことはこれまでのエイズ予防指針をめぐる議論が充実したものであったことの証左ではあるのですが、同時に指針の問題点を露呈するものであるともいえます。これほどに課題を正確にとらえ、しかも、ほぼ5年に一度の改正を重ねてきたにもかかわらず、なお最大の課題が「差別、偏見の解消」であるとはどういうことなんだという反論もまたありうるからです。

 「指針を絵に描いた餅にしてはいけない」と見直しの検討の機会があるごとに指摘されるのもこのためです。

 今回は性感染予防指針とエイズ予防指針の見直しが同一の小委員会で同時に進められていくかたちをとっています。手抜き感がないわけではありませんが、一方で、今年6月に採択されたエイズ終結に関する国連ハイレベル会合の政治宣言にも、「エイズの孤立を脱する」という項目が盛り込まれています。エイズ対策だけが独自の境地を極めるというわけにはいきません。

 性感染症予防指針との比較を行う視点を得ることで、エイズ予防指針がこれまでやっとの思いで積み上げ、大きな広がりと可能性を持つ指針であることを再認識する契機が生まれるかもしれません。

 一方で、最近の国際的なエイズ対策の趨勢を見ると、治療の進歩で妙にハイになってしまったお医者さんたちが、あられもないことを言い募り、それが何となく新しい動きを生み出しているような危うい印象も受けます。

 エイズ対策の医療化といったかたちで批判される動きでもあります。

 忌憚のない自由な意見の交換によって小委員会の議論が深まることに水を差すつもりは毛頭ありませんが、初回の会合では、医師である委員の一人から、「人権の尊重」に関し、「予防指針で背負うべき範囲を示してほしい」といった発言があったように思います。

 あやふやな言い方ですいません。たぶん私の聞き間違いだと思うのですが、「すべてを盛り込んでしまうと医療としては荷が重い。医療本来の役割にかかわるものに絞ってほしい」といった趣旨の発言だったように聞こえ、遠く離れた傍聴席から「歳をとったせいか、最近は耳が遠くなったなあ」と改めて感じました。

 繰り返しますが、これはたぶん聞き間違えだったのだと思います。エイズ対策は医師の専有物みたいな感覚で対策に関与するお医者さんが、1994年の第10回国際エイズ会議(横浜)の準備段階ならともかく、それから四半世紀近くにもなろうとしている現在も絶滅危惧種のように存在するとは、少なくとも私には思えません。聞き間違いでしょう。

 そうでないとすれば、今回の予防指針の見直し作業は、大きな期待と背中合わせに由々しいリスクも抱えながら進むことになりますが、おそらくそれは私の杞憂に過ぎなかったという結果になるのではないかと思います。