ほぼ5年おきに行われるエイズ予防指針の見直し作業が始まりました。今回はエイズ予防指針と性感染症予防指針が改正に向け、厚生科学審議会感染症部会のエイズ・性感染症小委員会(岩本愛吉委員長)で同時に検討されています。
第1回エイズ・性感染症に関する小委員会は12月20日(火)午後2時から、東京・霞ヶ関の厚生労働省共用第6会議室で行われました。
最初なので背景を簡単に説明しておきましょう。エイズ予防指針と性感染症予防指針は1999年に施行された感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)に基づく厚生労働大臣告示の指針です。伝染病予防法、性病予防法、エイズ予防法という3つの法律を廃止統合して成立した感染症法のもとで、エイズ対策、性感染症対策をさらに進めていくための根拠として、指針が必要とされました。とくにエイズ予防指針の場合、HIVに感染した人、HIV感染の高いリスクにさらされている人への治療やケア、支援の提供も視野に入れた広いコンセプトで「予防」をとらえ直す先駆的な考え方が打ち出されています。
ただし、その内実は心許なく、具体的に何をしてほしいか分からないといった批判は常にありました。行政側の対応は指針の理念を具現化するには十分とは言えず、見直しの度に「今度こそ絵に描いた餅に終わらせてはいけない」と言いつつ、5年後には「やっぱり絵に描いた餅だったなあ」という苦い述懐で次の見直しが始まることの繰り返しだったという面も否定できません。
それでも何とか日本国内のHIV/エイズの流行は年間新規HIV感染者・エイズ患者報告数が1500件前後で抑えられてきました。社会の関心の低さと行政側のありきたり程度の対応にもかかわらず、世界でもまれにみる「低流行」状態が維持されてきたのです。これはひとつには、国内の保健医療のインフラが整い、かなり高いレベルでの医療提供が可能なこと、そして(しつこく繰り返しますが)社会の関心の低さと行政側のありきたり程度の対応にもかかわらず、こつこつと努力をしてきた人たちが一方でいたからだと思います。
したがて、指針についてはそれなりの成果はあげてきたけれど、何とか感染の拡大を抑え、新規感染の報告は横ばいの状態を保っているという状態であり、そこから大きく感染の減少に向かう軌道が見えているわけではありません。
前置きが長くなりました。すいません。小委員会報告に戻りましょう。今回の小委員会は岩本委員長以下10人の委員で構成されています。エイズ医療分野4人、性感染症分野4人、教育分野1人、飾りとして新聞社から1人といった構成でしょうか。前回に比べるとお医者さん中心の布陣という印象を受けますが、岩本委員長をはじめとする委員の顔ぶれから判断すると、狭い意味での「医療」のみでなく社会的対応や人権重視の姿勢に対する目配りも十分にきく方々ではないかと思います。
第1回では厚生労働省の担当者がHIV/エイズの流行、および性感染症の流行とその対策について概要を説明した後、エイズ分野の4人の参考人が意見陳述を行いました。
その一人、はばたき福祉事業団の大平勝美理事長は、HIVに感染した人たちへの人権侵害や社会的な差別は現在も続いていることを指摘し、「人権の尊重と医療の提供、それに基づく予防の推進がセットになっていないとエイズへの対応は難しい」と延べています。
また、日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの高久陽介代表理事も「日本のエイズ対策で最も遅れているのは差別、偏見の解消」と指摘し、「恐い病気のイメージから早く検査を受ければ得ですよというようにイメージを変えてほしい」と語っています。
大阪薬害訴訟原告団の森戸克則理事も「人権の尊重が最も必要」と延べ、課題のひとつとして医療現場から伝わる差別、偏見の解消をあげました。
厚労省の「HIV感染症予防指針に関する研究」の研究代表者である熊本大学エイズ研究センターの松下修三教授は「T as P(治療による予防)を踏まえHIV感染の早期発見・早期治療開始のため、検査機会の拡大を推進すべき」としてopt-out検査などの必要性を指摘するとともに「感染リスクの高い人たちにはPrEP(曝露前予防)を柱とする感染予防キャンペーンを行うべきである」と提言しました。
PrEPについては大平氏も検討の必要性を指摘しましたが、高久氏は「コンドームを使わずにアナルセックスをする人たちにいかに届けるか。カウンセリング、定期的検査、服薬管理といったことができる人物像が思い浮かばない」と懐疑的な見方を示しています。
一方、性感染症では、委員の一人で、「性感染症に関する特定感染症予防指針に基づく対策の推進に関する研究(2012~15年)」の研究代表者である三田市民病院の荒川創一病院長が指針改定への提言を行いました。感染症では性感染症のうち淋菌感染症、性器クラミジア感染症、性器ヘルペスウイルス感染症、尖圭コンジローマの4疾患が定点把握、梅毒が全数把握の5類感染症となっており、法に基づく報告では、全数把握の梅毒がここ数年、増加を続けているのに対し、定点把握の4疾患は減少しているとされていました。
しかし、研究班がモデル県における10月の性感染症全数調査結果を集計し、それをもとに全国の年間感染者数を推計したところ、すべての疾患で増加の傾向にあったということです。
これまでは、若者のセックスレス傾向により、性感染症が減少しているという議論の一方で、梅毒だけは増えているというやや矛盾した状態をどうとらえていいか、なかなか説明がつかない面もあっただけに、この推計結果は予防指針の見直し内容にも大きく影響してきそうです。
小委員会による検討は4月ぐらいまで続けられるのではないかと思います。エイズ予防指針に戻ると、今回は予防の新たな選択肢であるT as PやPrEPを日本の現実の中でどう位置づけるのかというところが一つの論点になりそうです。
松下教授が導入論の論拠としてあげたのは、セーファーセックスなどの努力による予防の成果を認めつつも、それではもうこれ以上は減らせないという点でした。間違った指摘ではありません。
ただし、私の受け止め方は少し異なります。日本のエイズ対策の現場を傍観者的に見てきただけの感想なので、根拠は薄弱ですが、予防や支援、啓発などの大きな担い手であった全国のNPOの活動を振り返ると、なけなしの資金と献身的な人材により、何とかその場をしのぐように続けてきた結果が現在の成果をもたらしてきました。重要なのは、そうした活動の(とくに財源面の)規模拡大、充実強化があればさらに成果が期待できる。そうした期待値というか、のびしろがまだ十分あるのではないでしょうか。
もちろん治療の進歩がもたらした新しい予防の選択肢は重要です。ただし、それはこれまでのやり方にとってかわるという意味ではなく、これまでのやり方に加えて、さらに新たな選択肢が増えるという意味で重要だととらえるべきでしょう。その中で、それぞれの国、それぞれのまちが現実を踏まえて最適の組み合わせを実現していく。それが国際的なコンビネーション予防の潮流でもあります。
このほかにも、拠点病院体制をこのまま維持していくことが合理的かどうか、予防や啓発活動の担い手としての公益財団法人エイズ予防財団をどのように位置づけるかといったことも、前回の指針見直し以来の懸案です。
これまでの予防指針の検討経過を見ると、指針の実効性をどう確保するかということももちろん重要ですが、それと同時に、かなり率直な論戦が交わされることで、医療分野の専門家とHIV陽性者のグループやエイズ関連NPOなどの信頼関係が醸成されてきたプロセスも大切です。今回もまた多様な立場の人が議論に参加することで新たな関係性を発見する出会いがたくさん生まれるのではないか。そんなことを期待して指針改定作業をフォローしていきたいと思っています。