困難に直面したときの退行現象を超えて エイズと社会ウェブ版183

 

 細々とピーター・ピオット著『AIDS BETWEEN SIENCE AND POLITICS』の翻訳作業を開始。忘れた頃に日本語仮訳全文が完成すると思うので、それまでは同じ著者の『ノー・タイム・トゥ・ルーズ ― エボラとエイズと国際政治』(慶應義塾大学出版)をお読みいただき、気長にお待ちいただければ幸いです。

 

 とはいえ、『AIDS BETWEEN SIENCE AND POLITICS』にもintroduction(序文)からもうこういう指摘がばしばし出てくる。非常に重要だと思うのでほんのちょっとだけ日本語仮訳の先行紹介をしておきましょう。

 『よくある話だが、複雑な問題に対し、シンプルな解決策を望む専門家もいる。抗レトロウイルス治療がセロディスコーダントなカップル(1人がHIV陽性で1人は陰性のカップル)の間のHIV感染を95%以上減らすことができるとしても、生涯にわたる治療継続のための補給体制や他の制約要因を考えれば、早期治療が集団レベルでHIV感染をなくすとか、大きく減らすとかいったことが明らかにされたわけではまだない。抗レトロウイルス治療へのアクセスの改善は疑いもなくHIVに感染した人の生命を救うための最優先事項であるし、おそらくは新規感染を減らすことにも寄与はするだろう。しかし、エイズの「再医療化」は個人、および集団の行動や社会、文化の変化、そしてしばしば個人の行動を決定づける要因となる権力や地位の不平等な関係といった面からHIVを考えるという困難に直面したときの退行現象のようにも見える』

 

 一方で、エチオピアのアジスアベバで5月7、8日に開かれた「グローバルファンド・パートナーシップフォーラム」の閉会式では、世界エイズ結核マラリア対策基金(グローバルファンド)のナンバー2であるマライケ・ヴェインロクス官房長が「15年あれば、たくさんのことができる」と題して次のように閉会スピーチを行っています。
 http://fgfj.jcie.or.jp/topics/2015-05-20_global_fund_blog

『この目標は、気が遠くなるほど困難な課題です。しかも、2030年まではわずか15年しかありません。これほど野心的な目標を達成するのに十分な時間とは言えないでしょう。ほとんど不可能にさえ思えます。
 でも一方で、15年あればたくさんのことが可能でもあります。15年前を振り返ってください』

 『この15年間、力を合わせて、素晴らしい進歩を遂げ、国際保健の大きな改善という成果をあげてきました。歴史的にも例のない成果です。このエネルギーと約束遂行の意思、そして協力を持続させることができれば、次の15年間で必ず、HIV結核マラリアに打ち勝つことができると私は確信しています』

 目標に対するアプローチの仕方や立場による発言のニュアンスの違いがあるので、正反対の指摘がなされているように見えますが、私にはピオット博士もヴェインロクス官房長も同じことを別の表現で語っているように思えます。

 困難な現実に対応するにはあえて困難な目標を掲げる必要があること。中長期のスパンで掲げた目標に対し、ゆるぎなく努力を続けること。持続する意思を失わないこと。ピオット博士の冷静な分析にも、ヴェインロクス官房長の熱い確信にもこれらは共通しています。2030年を語る2015年の言葉の意味は、持続的な意思がなければHIV/エイズの流行には対応できないということに尽きます。

 ピオット博士の言を借りれば、退行している余裕は到底ありません。過去15年間の成功の体験も、過去30年余りに及ぶ成功よりはたぶん失敗の苦い経験の方が少し大きい歴史の教訓も、ともに生かし、新たな15年に進んでいく。そうした事情に対する了解はおそらく、日本のエイズ対策経験者の間にも、うすうすではありますが、共通の認識としてできているのではないかと思います。