令和の残党としては、極めて面目ないぞ、杉作っ!

  駅構内に入らずに鎌倉駅の東口と西口を往来できる地下通路(ガード)があります。正式名称は何と呼ぶのでしょうか。なんか愛称があるといいですね。本当はあるのだけど、私が知らないだけかもしれません。

かつての鎌倉カーニバルの様子を描いた横山隆一さんの壁画があるので、カーニバル通路? ちょっと違うか。あるいは横山さんの有名な新聞連載漫画の主人公、♪誰にもらった大学帽子~のフクちゃんの姿もあるので、フクちゃんガードとか・・・。 

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 この際だから、ウォーリー、じゃなかった、フクちゃんはどこにいるか、探してください。

 壁画の両脇には展示コーナーがあり、鎌倉市が折々の話題を選んで行政資料や市民の作品などの展示を行っています。今日も暑いなあと、汗を拭きふき、何となく通り抜けようとすると・・・お、新聞記事の切り抜きですね。

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 昭和40年2月8日(月)から12日(金)までの5日間、朝日新聞に掲載された作家、大佛次郎さんの連載寄稿『破壊される自然』です。インベーダーゲームみたいに切り抜かれた5回分記事の隣には『御谷騒動』の説明があります。

 御谷は『おやつ』と読むのですね。鶴岡八幡宮の裏山の緑豊かな史跡でしたが、ここに住宅開発の話が出て、鎌倉の『一般市民、学者、僧侶までがブルドーザーの前に立ちはだかり』(展示コーナーの説明から)、一大反対運動が起きました。

 その中にあって『昭和の鎌倉攻め』と言われた当時の宅地開発ラッシュに歯止めをかけ、鎌倉の地元レベルの反対運動を一気に全国区に広げたのが大佛さんの朝日新聞連載でした(という話を鎌倉の歴史に詳しい方から聞いた覚えがあります。たぶんそうだったんでしょうね)。どんな寄稿だったのか。ちょっと第1回だけでもアップにしてみましょう。当時は新聞の活字が小さく、1行15字の時代なので、これだけのスペースだとかなりの分量です。いまは1行12字ですね。 

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 見出しは『鎌倉攻め』『ブルドーザーで侵入』『削られ行く頼朝の遺産』とけっこう激しい。杉作っ、ニッポンの夜明けは近いぞ・・・といったかどうかは分かりませんが、天狗のおいちゃん・・・じゃなかった作者は、さすがにかっちょいいですね。

 2回目以降、話は京都、奈良に跳び、ポーランドやフランスにもおよび、イギリスのナショナルトラスト運動も紹介し・・・と縦横無尽の活躍です。その結果、鎌倉は日本のナショナルトラスト運動発祥の地となり、風致保存会が生まれ、なおかつ国政まで動かして古都保存法も生まれました。

 実は鎌倉は将軍を擁する政治都市ではありましたが、天皇のいる都であったことは歴史上ありません。それでも奈良や京都と並んで堂々の古都と呼ばれ、鎌倉の人たちがいまなお、古都だもんねと胸を張れるのは、こうした経緯があるからです。

 もちろん、その大きなうねりは大佛さん一人の功績ではなく、鎌倉の人たちの力が集まったからこそではありますが、その重要な契機となったのが、大佛さんの寄稿だったことは間違いないでしょう。

 それにつけても・・・と最近はつくづく思う。鎌倉の世界遺産挑戦。いったい、どうなっちゃったんでしょうか。平成の鎌倉攻めを何とか落ち延びたものの、令和の残党気分だよ、あたしゃ。倉田典膳氏、面目ない。このあたりの愚痴はいずれまた。