◆コンドーム配布の理由
ロス五輪の次の1988年ソウル夏季五輪では、選手村でコンドームが配布された。米国のウェブマガジン『SLATE』によると、8500個のコンドームが用意されている。配布規模はその後、拡大を続け、2012年のロンドン五輪で15万個、16年リオ五輪では45万個に達したという。
(注4) Gold, Silver, Bronze, Latex A history of condoms in the Olympic Village, from 8,500 in Seoul to 450,000 in Rio.
ソウルの8500個はおそらく、選手や大会関係者の直接の性感染予防を想定したものだろう。HIV感染に対する恐怖と不安はそれほどに強く、性行為の際のコンドーム使用が公の場でも語られるようになったことをこの数字は示している。
だが、ここで同時に強調しておきたいのは、恐怖や不安の感情にまかせてHIVに感染した人の登校を拒否したり、ともに働くことを拒んだり、移動を制限したり、性行為を禁じたりするような対応の不合理もまた、指摘されるようになったことだ。
「口にするのをためらっている場合ではない」という認識が、徐々にではあるが国際的に共有されるようになってきた。その結果とみるべきだろう。
『セーファー(より安全な)セックス』の考え方は、流行の初期に聞かれた「HIVに感染した人は一生、セックスをするな」という極論に異を唱え、HIV陽性者やその周囲の人たちがやっとの思いで示した具体的な予防の選択肢だった。存在をかけた主張という意味では哲学といってもいい。
つまり、その有力な方法の一つであるコンドームの使用は、不合理な感情に基づく反応を克服する手段でもあった。
HIV感染にまつわる差別や偏見を克服しない限り対策は成り立たない。1980年代の半ばにはそうした認識が徐々に広がり、それがソウル以降の五輪選手村におけるコンドーム配布につながったことも忘れてはならない。
1988年は1月にロンドンでエイズ対策のための国際保健大臣会議が開かれ、12月1日を世界エイズデーとすることが決まった年であり、国際エイズ学会(IAS)が創設された年でもある。この辺りでHIV/エイズ対策はひとつの転機を迎え、治療薬の進歩を待つ長い時間を耐えつつ、致死的な感染症に対する恐怖や不安、性にまつわる社会的な差別やスティグマといった負の感情を克服する困難な闘いを続けていくことになる。
治療の普及によるHIV感染の予防効果が強調される現在に至っても、五輪選手村におけるコンドーム配布の開始をそうした文脈でとらえる視点は貴重だし、大切でもあると私は思っている。
21世紀に入ってからの話だが、国連合同エイズ計画(UNAIDS)と国際オリンピック委員会(IOC)は2004年6月、若者のHIV/エイズ教育に協力して取り組む合意文書を交わしている。さらに2010年10月には、UNAIDSのミシェル・シディベ事務局長がスイスのローザンヌにあるIOC本部を訪れ、当時のジャック・ロゲ会長とHIV予防に向けた協力の強化を確認した。
UNAIDSは2008年の北京五輪について『選手村では、良質のコンドーム10万個およびHIV予防や差別との闘いに理解を求めるリーフレット5万枚が、パッケージにして配布された』とこの時の報告記事で伝えている。
(注5)UNAIDS and International Olympic Committee strengthen partnership
http://asajp.at.webry.info/201309/article_4.html
つまり、選手にはリーフレットとコンドーム2個をパッケージにした啓発資材が計5万セット配られたことになる。選手村で使われたのはその一部で、お土産として持ち帰る選手も多かったに違いない。選手村はセックス天国などといった興味本位の見出し的な推定をもとに10万個ものコンドームが用意されたわけではなく、それは『HIV予防や差別との闘いに理解を求める』ための重要なメッセージ媒体でもあった。
五輪で活躍したアスリートが「選手村で配っていたよ」とパッケージを示しながら話せば、そのメッセージは少年や少女にも説得力をもって受け入れられただろう。
IOCの『スポーツを通じたHIV&AIDSの予防』というファクトシートからも3つの重要な指摘を要約して紹介しておこう。
(注6) FACTSHEET HIV & AIDS PREVENTION THROUGH SPORT
https://stillmed.olympic.org/Documents/Reference_documents_Factsheets/HIV_and_AIDS_prevention.pdf