一本刀土俵入りといいましょうか 米トランプ大統領演説の背景 エイズと社会ウェブ版369

 先日もお伝えしたように米国のトランプ大統領が2月5日の一般教書演説の中で、国内の新規HIV感染を10年以内になくしますと約束しました。長い演説の中で1パラグラフ分だけ言及しているだけなので、日本ではHIV/エイズ対策関係者(のそのまた一部の方々)しか関心は持たなかったでしょうね。

 ただし、トランプ大統領も思い付きで「なくします」と言ったわけではなさそうです。 米国政府のHIV/エイズ啓発サイトHIV.govには、一般教書演説があった同じ5日付けでアレックス・アザ―ル保健福祉長官がEnding the HIV Epidemic: A Plan for America(HIV流行終結へ:アメリカ国内計画)という新しい政府イニシアティブについて説明しています。日本語でその要旨を作成しました。エイズソサエティ研究会議HATプロジェクトのブログに掲載してあるのでご覧ください。

asajp.at.webry.info

  ということで、少し補足の感想です。

 トランプさんの演説も、政府部内で政策的な検討を重ね、その裏打ちがあることを踏まえて少し派手目の表現でお披露目したということでしょうね。プロパガンダというと悪いイメージが付きまとってしまいますが、このあたりの政策啓発術のあざとさ・・・じゃなかった鮮やかさはわが国のエイズ対策関係者も学びたいところです。

 ただし、官僚主導で変に目端を利かせると、またズルをしそうな嫌な予感もあります。この辺りが昨今の日本社会のつらいところですね・・・おっと、脱線しました。

 米国の新予防戦略『HIV流行終結へ:アメリカ国内計画』とは何か、先ほどのHATプロジェクトの日本語要旨から抜き書き的に紹介しておきましょう。

 『HIVの流行を終結させる時がきました。アメリカ国内におけるHIVの新規感染をなくすための一世代に一度の機会です』

 一本刀土俵入りではありませんが、一世一代と訳してもいいかもしれません。大見得を切ったところで、いよ!トランプさん・・・といった掛け声がかかるかもしれませんね。ただし、よく見ると、なくすというのはゼロにするということではなさそうです。

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 抗レトロウイルス治療の普及や曝露前予防服薬(PrEP)など、治療と予防の新しいツールを生かし、なおかつ新規感染がいま最も多く発生している地域に集中的に資金を投入すれば、米国内のHIV感染は劇的に減らすことができる。こう主張しています。

 どれくらい劇的かというと次のような数値目標が示されています。

 《大統領イニシアティブは今後5年で新規感染を75%減らし、10年間では90%減らすことを目指しています。この間に25万件のHIV感染が防がれることになります》

 目標ですらゼロではありません。米国の新規感染は、以前よりかなり減少していますが、それでも年間約4万件と推定されています。つまり、このままの状態なら10年で40万件の新規感染が発生することになります。この期間に25万件の新規感染を減らすということは、単純に計算すると、10年間のHIV感染が15万件に減るということになります。

 ははは、君の計算は単純すぎるねと笑われてしまうかもしれませんが、少なくともゼロにはなりません。うまくいったとしても、10年間で3割程度にまで減らせるといったレベルでしょうか。10年後に90%減が実現したとしても年間新規感染は4000件、現在の日本の年間報告数のほぼ3倍です。

トランプさんはそれをなくすと言い切って細かい説明はせず、さっさと次の話題に移ってしまう。さすが、ツィターで鍛えられたアメリカファーストの大統領であります。

 再びアザ―ル長官の説明に戻りましょう。新しいイニシアティブは『互いに機能することで、米国内のHIV流行を終結に導く、診断、治療、プロテクト、対応の基本4戦略に焦点を当てます』ということです。

 診断では、自らの感染を知らないでいる米国内のHIV陽性者は約16万5000人と推定し、この人たちが早期に感染を把握し、治療につながれるようにすることに力点が置かれています。『HIV検査を簡素化し、誰もが受けられるようにし、ルーティン化していきます』ということで、ルーティン化とは何を指すのか、少々、気がかりです。

 治療の項では、年間の新規HIV感染の87%は、HIVケアと治療を受けていない人から感染していますということで、検査と治療の早期開始、および治療継続によるウイルス量の抑制の重要性が指摘されています。

 プロテクトではHIV感染の高いリスクに曝されている人たちの予防策としてPrEPの普及が強調されています。

 対応はどこで感染が起きているかを素早く把握し、そのデータをもとに対策を速やかに実行できるようにすることを目指しています。

 もちろん、次のような指摘もあります。

 《そして、HIVを取り巻くスティグマはいまなお悲劇的なまでに存在し、HIV陽性者やHIV感染の高いリスクに曝されている人たちが保健医療や社会保障サービスを受けることを妨げ、この人たちの尊厳や尊重も損なわれています。医学だけで対応できる問題ではなく、社会が取り組むべき課題なのです》

 でも何というか、微妙に管理指向が強いというか。社会が取り組むべき課題を医学で解決してしまうために、利用できるものなら協力を仰ぎましょうといったニュアンスもあり、「新規感染をなくします」という威勢のいい掛け声にはうっかり乗れないぞというアラームのようなものが遠くの方から聞こえてくる印象もあります。

 《HIVで亡くなったアメリカ人は1981年以来、70万人に達しています。今後10年以内に次の世代のHIV流行を終結させるチャンスを私たちは手にしています。そうしないわけにはいきません:この新たな対策が取られなければ、新規感染は今後も続き、拡大を続けていくでしょう。さらに多くの人の命が奪われ、HIV予防と治療にかかる直接の費用だけでも、米国政府の負担は2000億ドルを超えることになります》

 HIVで亡くなった人は米国だけで70万人に達している。HIV流行を終結させるチャンスを生かさないわけにはいかない。その通りだと思います。$200 billionは2000億ドルだから日本円にすると20兆円を超えるよね・・・と思わず指折り数えて計算もし直してしまいました。でも、このやり方でうまくいくのだろうかという疑問も素人目には残ります。勢いに乗せられて日本のHIV/エイズ対策関係者が都合のいい部分だけ強調して取り入れようとするような傾向が強まってくるかもしれません。

 日本の場合は、これまで何とか機能してきたコミュニティレベルの努力をつぶすことなく新たな変化に対応していけるような戦略眼を失わずに対策が進むことを老兵はささやかに、かつ改めて期待します。