脆弱性とは何か サリム・アブドル・カリム博士講演会から エイズと社会ウェブ版283

 南アフリカエイズ研究センター長で、米国のコロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院教授でもあるサリム・アブドル・カリム博士のセミナー(講演会)が823日夕、東京・築地の聖路加国際大学日野原ホールで開かれました。

 

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博士には肩書がたくさんあり過ぎてとても全部は紹介できませんが、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の科学技術パネルの議長でもあります。世界のHIV予防・治療戦略の推進役とされる研究者であり、これはぜひお話をうかがわなくてはということで、はるばる鎌倉から、猛暑の戻った東京に繰り出しました。

 講演は英語で、しかも通訳なしという私には過酷な環境でしたが、それでもゆっくりと噛んで含めるように話していただいたおかげでしょうね、「そうだったのか」と理解できる部分もそれなりにありました。聞いてよかったと思います。

 ということで、これから書くことは、言語の障壁もあり、かなり不正確、かつ随所に誤解がちりばめられている(に違いない)私的なメモ程度の内容と受け止めてください。あとで「あ、そうか、あの時はこういうことを話していたのか」と納得したり、人知れず赤面したりするようなことがあるかもしれない。それを覚悟の備忘録的な感想メモです。ブログに載せておかないと、どこに行ったかも分からなくなっちゃうので、悪しからず。

 

予防手段の新技術

 博士はCAPRISA004試験という研究で知られています。私の素人説明なので間違えているかもしれませんが、テノフォビルという抗レトロウイルス薬の入ったゼリー状の物質を性行為の前に女性が自らの膣内に塗布しておくとHIVの感染防止効果があることを示した研究です。マイクロビサイドという性感染予防手段の有効性を確かめる研究ですね。

効果といっても感染リスクを39%下げるといった程度なので、その後の予防対策の展開の中で主流にはならなかったようにも思いますが、抗レトロウイルス薬がHIVの性感染リスクを下げることを示したという点で重要な先駆的研究だったようです。

 研究名になっている「CAPRISA」は、博士がセンター長を務めるThe Centre for the AIDS Programme of Research in South Africaの略称で、日本では南アフリカエイズ対策プログラム研究センターなどと訳されていますが、研究機関名などというものはなるべく短い方がいいので、ここはずばり、南アフリカエイズ研究センターでいきましょう。

 講演はわずか1時間足らずの間に、HIV/エイズの歴史と現状、そして新たな予防手段の成果が2011年以降次々に報告され、技術革新によるHIV/エイズ対策の転機が訪れていること、それにも関わらず予防対策は立ち遅れていること、自らの研究とその展望・・・などを手際よく、しかも私のような(朝の連続テレビ小説のセリフでさえ、ぼそぼそしゃべられると聞き取れない)老人でもなんとかついていける程度にゆっくりと分かりやすく説明し、質問時間も残すという神業のようなプレゼンテーションでした。さすがです。

 「え、そうだったの」と私が思ったところだけメモ風に書いておきましょう。

 HIVはアフリカでサルから人に感染し、それが世界に広がったということはいまや、世界の共通理解になっているそうで、その最初の接点は1931年のキンシャサだったということです。

 

8つの接点

HIVにはHIV1HIV2の二つのタイプのウイルスがあり、HIV1はさらにいくつかのサブタイプに分かれています。

このHIV1の方はモンキー、チンパンジー、ゴリラなどと人との接点として8つの異なるポイントがあったそうで(つまり1回の接触ではなく8通りの接点があり)、このこともサブタイプが多い背景になっているようです(あいまいな書き方ですいません。このあたりは、そういうことを言っているのかなあといった程度の理解でした)。

 HIV2の方は西アフリカの別の系統のサルとの接触だったそうです。

 歴史と現状については、私にとってすでに知っている内容も多かったので、大幅にカットします。ただし、いまも毎週35000人がHIVに感染している状態で、依然として世界で最も深刻な課題のひとつである、と強調されていたことは、付け加えておきましょう。

 2010年ごろから抗レトロウイルス治療の予防効果に関する新たな成果が次々に報告され、予防新技術によって過去7年間で8倍もの予防効果が期待できるようになっている。それでも、予防は依然、立ち遅れていると博士は言います。

HIV/エイズ対策の資金は2000年から2015年の間に大きく増加し、抗レトロウイルス治療も普及している。2005年に抗レトロウイルス治療を受けていた人は世界で200万人だったが、2016年には1900万人に増えている。だが、さらに普及を進める必要があるということです。

 

高速対応戦略

 UNAIDS90-90-90ターゲットは3つの90が焦点になっています。その3つを2020年までに達成し、HIV陽性者の73%が体内のウイルス量を低く抑えることができれば、その人たちから他の人に感染するリスクはなくなるので、新規感染は大きく減る。それがいま、世界が目指している高速対応戦略です。

 しかし、現実はシナリオ通りにはいっていません。HIV新規感染は2013年~2016年にはほとんど減っていません。UNAIDS推計では2013年の年間新規感染者数は190万人、2016年は180万人だそうです。

 この辺りの推計値の比較は微妙ですね。6月にUNAIDSが発表した90-90-90進捗報告書では2016年の年間新規HIV感染数を2010年当時と比較しています。そうすると、かなり減った印象になり、成果はそれなりに上がったと強調することも可能になります。

 ただし、UNAIDS90-90-90ターゲットを掲げて対策に取り組むのは2014年からです。つまり2017年はすでに高速対応の折り返し点ということもできるので、成果の判断には2010年と16年の比較より、2013年と16年の比較の方が妥当かなあとも思います。

つまり、物差しの取りようで、成果はあがっているようにも、上がっていないようにも見える。これはないんじゃないの、と私などは思いますが、むしろこれがキャンペーンの常道なのかもしれません。

でも、これはないんじゃないの・・・と、やっぱり思うわね。

 

アフリカの感染サイクル

 ちょっと話が脱線しました。戻りましょう。

博士が指摘する現在の最大のチャレンジは、アフリカの若い女性の受ける影響が極端に大きいことです。平たく言えば、アフリカの若い女性、特に10代の女性が極めて高い感染のリスクにさらされている状態にある。この状態を何とか変えなければいけないというのが、博士をはじめ、アフリカでHIV/エイズ対策に取り組む人たちの最大の課題です。

 アフリカの新規HIV感染は10代後半から20歳前後の若い女性で最も多く起きている。一方、男性は30代が感染のピークです。10代の少女の感染は同年代の男性からではなく、もっと年長の30歳前後あるいはそれ以上の年齢の男性との間で起きている。そして、男性の方は、その女性たちが成長して30歳前後になったときに、同年代の女性から感染する。

図式的に示すと、女性は10代または20代前半に年長の男性から感染し、その女性たちが成長して2540歳になったときに今度は、その女性たちと同年代の男性たちの間に感染するというサイクルになります。

この成長の時間差を含んだサイクルをどこかで断たなければならない。そのためには若い女性の感染を減らさなければならない。これが現在のアフリカの最も大きな課題であり、実はCAPRISA004試験のような研究も、やみくもにいろいろやってみましたという結果ではなく、現状の分析から導き出された必要性に基づく戦略的選択だったようです。

 

CAPRISA256研究

ただし、この日の講演で博士が強調したのはそのCAPRISA004ではなく、CAPRISA256でした。

 CAPRISA256南アフリカのクワズル・ナタール州に住む小学校の女性教諭です。この女性はHIVの細胞内への侵入を阻む抗体を持っていることが判明し、博士らの研究グループはさらにその抗体を複製し、サルによる実験で複製した抗体を投与すればHIV感染を防ぐ効果があることも確認しました。この効果を受動免疫(Passive immunization)というそうです。

それでは、その受動免疫は人でも有効かどうか。それを確かめることが当面の課題になっている。さらに、体内でその抗体を生み出すようにする抗原も特定できれば、それがワクチンの有力な候補になる。まだまだ先の話だが、そうした展望も持ちつつ研究は進められているようです。 

 こうした成果については、HIVの研究者なら前から知っている、つまり旧聞に属することなのかもしれませんが、現在進行形でもあり、私には「へえ、そうなんだ」とかなり新鮮でした。

 なによりも予防対策を進めるうえで、HIV感染に対し、社会の中で脆弱性の最も高い人たちはどのような人たちなのか。その人たちが感染を防げるようにする手段として、いま、あるいは近い将来、何が使えるのか。そうしたことを一つ一つ積み上げて考えていくことで戦略の方向性が定まっていきます。

 

lack of rights(権利の不在)」

 その脆弱性は当面、アフリカでは若い女性が最も大きいということになります。しかし、場所が変われば事情も異なってきます。その脆弱性は「lack of rights(権利の不在)」によって決まるとも博士は指摘しました。

 世界の動向を視野に入れつつ、日本ではどうかということを考えることも日本の社会に身を置く研究者や対策現場の人たちにとっては大切ですね。

 脆弱性にからむ議論で、博士はロシアにも触れ、いまロシアで最も高い脆弱性を抱える集団としてMSM(男性とセックスをする男性)をあげています。プーチン政権がすべてのMSMクリニックを閉鎖し、ロシアのMSM層の人たちはHIV感染予防に必要な情報もケアも得られないということです。

 本当かなあ。ロシアのHIV/エイズ対策に詳しい方がいらしたら現状をお聞きしたいですね。その文脈で考えると、最近の米国はどうなのか、そのあたりも気になりますね。