『感染症医が教える性の話』(岩田健太郎著)  読後感想文

 世の中には苦手なものがごまんとあって、苦手じゃないものを探す方が早いくらいだが、ひょっとすると「感染症医」と「性教育」は数多ある苦手品目の双璧といえるかもしれない。そんな私のもとに筑摩書房から一冊の本が送られてきた。

感染症医が教える性の話』(岩田健太郎著)

 

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 まいったなあ。著者の岩田先生は神戸大学教授であり、わが国有数の感染症医として知られている。その名医が性教育について書かれたご著書を私のような者に送っていただいた。感謝感激であると同時に、苦手だなどと言わずにしっかりと読んで、読後感想を報告しなければ・・・そのプレッシャーたるや大変なものでした。本書の一時間目「性と感染症」にはこう書かれている。

 

 《日本で性教育が始まったのは「エイズ・パニック」が起きたからだ。当時はアメリカなどでエイズが流行して大問題になっていた。日本でエイズが蔓延したら大変だからエイズ教育をしようって話になったんだ》

 

 実は私がエイズ取材を本格的に始めたのも日本で「エイズ・パニック」が起きた1987年だった。そうですか、性教育と私の記者生活は浅からぬ因縁で結ばれていましたか。変なところで感心している場合ではないが、興味がわいてきた。感染症医がどうやって性教育の話を書くのだろうか。

 

 感染予防の話をとうとうと聞かされるのかといった予想は裏切られたことをまず報告しておきたい。もちろん性感染症の話は専門家として、分かりやすく、しかも、きちんと説明されている。

 

 だが、それだけではない。なんというか、性に関して興味津々で、なおかつ必要な情報は得られそうで、なかなか得られない。そんな中学生、高校生の兄貴分のようなかたちで、

二時間目「中高生はセックスをしてよいのか?―性って何だろう」

三時間目「性を伝えにくくしているものとは―タブーにまつわる問題」

四時間目「正しいセックスなんてない」

五時間目「絶対恋愛という可能性」

と続く。これだけの話をするのは、かなり大変だ。

 

 キーワードは本の帯にもあるように「生き延びるためのスキル」である。私のようなおじさん層が「まあ、なんだ。その辺はいろいろあってな」などと言って逃げたくなる領域にも果敢に踏み込んでいく。まさに若い人たちが生き延びるために伝えたい、伝える必要がある。そうした思いが読む者にも伝わってくる快著だと思う。

 「性」について、英語では「セックス」のほかに「ジェンダー」という用語が使われることもある。それぞれに理由があるからこそ、「セックス」も「ジェンダー」も言葉として流通しているのだが、中高生に対し、岩田先生はざくっとこんな説明をする。この突破力は貴重です。

 

《もうひとつ、ジェンダー(gender)という言葉もあるんだけど、この言葉は差し当たって知らなくてもかまわない。専門用語に精通しなくても、君たちにとって大切なコンセプト(つまり、学ばなくてはならないこと)が理解できればそれでいいからだ》

 

 こんな記述もある。どのような文脈で、何について書いているのかは、ぜひ本書を読んで確かめてほしい。

 

性教育をやれば「寝た子を起こす」というのは事実に基づかないナイーブな臆見だ。かといって「なんでもかんでも提供すればよい」という逆向きの極論も間違っている》

 

 性器の名称についても《女性の生殖器はしばしば「アソコ」と呼ばれる。でも、こういう婉曲な言い方はよくないという批判もある》と紹介したうえで、こう書いている。

 

 《ぼくは別にアソコでいいじゃないか、と思う》

 

 正しい用語とは何か。正しく教えるとはどういうことか。「アソコ」以外の名称は心理的に使うのがためらわれるおじさん層としては、ついつい読みながら力が入る。「正しさ」をめぐる議論は刺激的だ。

 

 リスクに関する議論も興味深い。エイズの病原ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)は、性行為で感染する。その性感染のリスクを大きく減らす方法として例えばコンドーム使用がある。ただし、リスクはゼロにはならない。性感染のリスクゼロを重視するなら他の人とセックスしない(アブスチネンス)という選択肢もある。

 

《「冒さないリスク」はリスクをゼロにしてくれる。だから、アブスチネンスはもっとも有効なリスク回避方法なんだ》

 

 いったん、こう持ち上げておいて。でも、それでいいのかという疑問を投げかける。

 

《みんなが家に閉じこもっていれば、インフルエンザのリスクは回避できる。しかし、それは別のリスクを生んでしまう。学校での授業は阻害され、会社での仕事はできなくなり、商売は滞り、経済は停滞する。そんな選択、できないよね》

 

 じゃあ、どうするという答えは用意されたものではなく、自分で考えることが大切だ。本書は性をめぐる様々な論点に果敢に切り込んでいくが、答えは読む人(あるいは性教育を受ける中高生)が自分で見つけていく必要があるという考え方で貫かれている。その意味では、見かけとは異なり(失礼!)、ぎりぎりのところで控えめな本でもある。