日本のカスケードはどうなるのか エイズと社会ウェブ版193

 HIV予防の分野ではいま、カスケード戦略が世界の趨勢となっている印象です。感染症の治療や予防は、ある一つの段階だけに力を注ぐのではなく、感染の把握から治療の提供、およびその継続、そしてその結果としてのHIV陽性者の体内のウイルス量の低下といった各段階の成果を一連のものとして考えていく。いわば段々になった滝(カスケード)が上流から下流に流れて行くにしたがって枝分かれし、その枝分かれの結果、目的地点に到達するのは何%なのか。それが「カスケード」と呼ばれる所以であります。

 

 具体的には国連合同エイズ計画(UNAIDS)が昨年発表した90-90-90目標や今年7月の「米HIV/エイズ国家戦略:2020年に向けた更新版」がかなり明示的にこのカスケード戦略を取り入れています。

 

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《米HIV/エイズ国家戦略:2020年に向けた更新版について エイズと社会ウェブ版188》

 http://miyatak.hatenablog.com/entry/2015/08/05/221057

 

(注)90-90-90目標

HIVに感染している人のうち90%は自らのHIV感染を知り、そのうちの90%は抗レトロウイルス治療を受け、さらにそのうちの90%は治療継続の成果として体内のHIV量が抑制されている状態を目指す。

・90%×90%=81% (HIVに感染している人のうち、治療を受けている人の割合)

・81%×90%=72.9%(治療が継続でき、体内のHIV量が低く抑えられている人の割合)

ということで、90-90-90目標が達成できれば、HIVに感染している人の73%は治療継続により、自ら健康状態を良好に保ち、なおかつ他の人へのHIV性感染のリスクも大幅に低下するレベルにまで体内のウイルス量が減少する。したがって、HIV新規感染も大幅に減り、流行は終息への軌道に乗ることになる。

 

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米国家戦略のファクトシートによると、米国のHIV陽性者の8人中7人は自らの感染を知っている状態で、2013年にHIV感染が分かった人のうち82%は3カ月以内に医療ケアにつながっているということです。ただし、2012年時点で米国内の全HIV陽性者のうちケアを継続して受けている人はわずか39%であり、体内のウイルス量が抑制されている人はHIV陽性者全体の30%にとどまっていました。

 

 つまり、HIV陽性者のかなり多くが、検査で自らのHIV感染を知っており、一度は医療にもつながっているのですが、どこかの時点で医療ケアから離れてしまう人が多く、結果として「予防としての治療」の大目標である体内のウイルス量抑制を果たしている人は陽性者全体の3割にとどまっています。

 

 では、日本はどうかというと、米国のようなデータは出せません。「HIV陽性者のうちの何%が検査を受けてHIVに感染していることが分かっているか」という最初の部分が空白に近い状態です。エイズ動向委員会で検査を受けて(あるいは知らない間に検査をされてというケースもあるかもしれません)陽性と分かった人の数は、報告数にかなり近いと思われますが、検査を受けていないので、感染していても気付かない(あるいは気付きたくないので検査を受けない)という人がどのくらいいるのか。その推測データは手薄です。

 

 一方で、医療機関やHIV陽性者支援のNGOからのお話をうかがうと、感染が判明して医療につながった人は、かなり高い確率で治療を継続し、ウイルス量の抑制を果たしているのではないかと推測できます。これはHIVに感染した人、治療を提供する人、治療以外のさまざまな支援を提供する人がそれぞれの立場で努力を続けてきた貴重な成果だと私は思います。

 

 そうなると、日本の課題は、まだ自らのHIVの感染を知らないでいる人の割合を減らす、あるいは、どうしたら減らせるかということになります。これが、どんどん検査して、早く治療につなげようという「どんどん検査待望論」の背景です。会社の健康診断で全員の血液を検査しちゃえばいいんだといった主張をする方は、私がHIV/エイズの取材を始めた25年以上前からいました。最近は「もう、有効な治療法があるのだから」という主張を前にすると、一瞬、そうかなと思ってしまうこともありますが、どうも違和感がぬぐえません。

 

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)の事務局長を長く務めたピーター・ピオット博士の回想録『NO TIME TO LOSE エボラとエイズと国際政治』には、カスケード戦略の源流とも言うべき話が紹介されています(第15章 国際官僚として)。

 

 『私は医学部時代に学んだモーリス・ピオット(血縁関係はない)の仕事を思い出した。ピオットは1960年代にWHOで結核の治療法を分析し、その欠陥を明らかにした。研究結果は発表されたものの、その体系的な手法は長く忘れられていた。私たちの場合なら、たとえば100人の梅毒患者がいて、その最初の症状は外陰部潰瘍だとする。外陰部潰瘍を持つ人の80%が医者に行くと仮定しよう。おそらく医師の80%がそのような症状があれば梅毒検査を行う。検査を受けた患者の80%が結果を聞き、その後も医者のもとで治療を受ける。そのうちの80%が正しい治療法であり、さらにその80%がきちんと治療を受けて治るとする。すでにもう32人に減っている』

 

 治療法があっても、それだけでは感染症の対策は完結しない。『NO TIME TO LOSE』では、すぐ後の文章は、こうつながっています。

 

 『古典的にはWHOはその最終段階に力を注いできた。抗生物質を正しく使い、適切な治療を提供するためにガイドラインを作る。それ以前の健康を求める行動や医療スタッフに対する適切なトレーニングといった一連の対応は完全に無視されてきた』

 

 エイズ対策では、さらに広くさまざまなプレーヤーが感染の予防にかかわっています。検査や治療の普及はもちろん重要ですが、医療に大きく軸足を置いた「予防としての治療」ですら医療だけでは課題は解決しません。カスケードはそのことも示しつつ、対策のどこに弱点があるかを把握するツールとなっているようです。たとえば、アメリカなら、いったん始めた治療の継続をどう担保するか。ここにはもしかすると、医療保険制度に関わる問題があるかもしれないし、社会の中の偏見や差別の解消、あるいは自分を大切に思う意識といったものが関わってくるかもしれませんね。

 

 日本の場合はどうでしょうか。最初の入り口の部分で、まず統計を整えるという研究上の課題。そのためには対象となるコミュニティと研究者との信頼関係の構築(これは実は奇跡的といってもいいほどの実践例がすでに日本にはある)、そしてその信頼関係を支える研究の財政基盤の確立(一時あったけれど最近は苦しい。ここで「エイズはもういいだろう」問題が大きな課題として立ちはだかってくる)といった問題があります。さらにどんどん検査をして早期治療を行うのはいいにしても、その場合、診療の受け入れのキャパシティがあるかどうかもいずれは課題になりそうです。

 

 ただし、その前に「どんどん検査」パラダイムで、現在の日本のカスケードで最も素晴らしいパフォーマンスを示していると思われる治療の継続がいまと同じように確保できるかどうか。この点も大きな問題です。最初の入り口部分が日本の弱点であるにしても、その部分で丹念に辛抱強く、その後にHIV陽性者が自ら生活を支えていけるようにするためのさまざまな努力をHIV陽性者支援のNGOも医療従事者も続けてきました。それがあっての高い服薬継続率なのではないでしょうか。外野席の新聞記者が外から見た印象では、そうした要素は日本の対策の大きな強みであったし、いまもあり続けているように思えます。その良さを殺すことなく、検査を拡大し、治療につながる人の割合を高めて行くにはどうしたらいいのか。日本の対応を考える時には、米国の事情も一部、参考にしつつ、この点を忘れないようにする必要がありそうです。