4326 メルボルン会議閉幕 次は何と第2次ダーバン会議です エイズと社会ウエブ版149

 

 メルボルンの第20回国際エイズ会議が25日、閉幕しました。主催団体である国際エイズ学会(IAS)の理事長はフランス・パスツール研究所のフランソワーズ・バレ-シヌシ博士から米・ジョンズホプキンス大学のクリス・ベイヤー博士に引き継がれました。国連合同エイズ計画(UNAIDS)が公式サイトで新旧理事長の写真ととともに閉会式の様子を伝えています。HATプロジェクトのブログに日本語仮訳を掲載したのでご覧ください。
 
http://asajp.at.webry.info/201407/article_18.html

 《AIDS2014はほぼ共通の認識として、これまでの成果にもかかわらず、流行の社会的拡大要因には今後もさらに取り組む必要があるという結論に達した》

 当たり前のことを言っているだけですが、治療が普及して予防にも効果があるのでエイズ流行の終結はこれで見えた・・・みたいなプロパガンダばかり繰り返すことには、さすがに研究者も国連の保健官僚も後ろめたくなったのでしょう。メルボルンの会議のテーマは「STEPPING UP THE PACE(ペースをあげよう)」でした。抗レトロウイルス治療の普及に一段と力を入れればエイズの流行の終わりが見えてくる。エイズの終わりの始まりだ・・・といった2年前のワシントン会議の熱に浮かされたような雰囲気を引き摺っちゃったんでしょうね。アメリカというのは世界をリードする素晴らしい国ですけど、ときどき、あまりにも無邪気で罪深い国やねえと思ってしまうこともあります。

 会議の前に発表されたメルボルン宣言はそんなイケイケムードとは一応、一線を画し「Nobody left behind(誰も置き去りにはできない)」というテーマが掲げられていました。会議の開催期間中は、そっちの方がテーマらしい処遇を受けていたのではないかと思います。会議に参加せず、北半球の島国の片隅で情報集めをたらたらとしていただけなので、雰囲気までは分かりません。会議に参加された方が日本に戻ってきたら、どうでしたかと聞いてみたいですね。

 新任のベイヤー理事長はその(ときには困ったちゃんになる)アメリカの出身ですね。もちろんご本人は困った方ではないと思いますが、どんな方なのでしょうか。IASの7月25日付プレスリリースに少し、経歴などが紹介されています。
 
http://www.iasociety.org/Web/WebContent/File/IAS_new_officers_public_statement_July2014.pdf

 英文ですいません。かいつまんで紹介しましょう。メリーランド州ボルチモアにあるジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院の疫学、国際保健、そして保健・行動・社会の教授ということです。HIV疫学と予防、公衆衛生と人権などについて教えているようです。そのほかHIV分野のさまざまな研究で活躍されているようですね。IASの理事長に選ばれるぐらいですから、まあ、それは当然でしょう。

 プレスリリースによると、ベイヤー氏の次の(2016年中盤からの)理事長には南アフリカのリンダ-ゲイル・ベッカー氏が選任されています。彼女はHIV結核、およびその関連疾病を主に研究している医学者ということです。

 2年後の第21回国際エイズ会議(AIDS2016)は南アフリカのダーバンで開かれます。これもベッカ-次期理事長の選任と何か関係があるのでしょうか。ダーバンは2000年7月に第13回国際エイズ会議が開かれた年でもあります。このときのテーマは「ブレーク・ザ・サイレンス(沈黙を破れ)」でした。抗レトロウイルス治療の開発により、先進国ではエイズによる死者が激減した。でも、途上国では生命を助ける治療法があっても、それを受けられないので多くの人が死んでいく。このまま黙ってはいられない。これがテーマに込められた意味ですね。

 少しさかのぼって、1996年にバンクーバーで開かれた第11回国際エイズ会議のテーマは「One World, One Hope」でした。当時はカクテル療法などとも呼ばれていた抗レトロウイルス治療の効果がようやく認められ始めた時期の会議で、One Hopeは何よりも治療の進歩に対する期待でした。しかし、これはあくまで先進国のHIV陽性者の話しであって、途上国のHIV陽性者には治療を受けるなどということは望むべくもない。この状態の何がOne Worldだ・・・と途上国、とくにアフリカからの会議参加者からは怒りの声が上がりました。

 こうした経緯を踏まえた上での「沈黙を破れ」でした。ダーバン会議の1週間後には日本で九州沖縄サミットが開かれ、議長国日本から「途上国がエイズなど地球規模の感染症と闘うための新たな追加的資金」の必要性がG8首脳に呼びかけられました。これが世界エイズ結核マラリア対策基金創設の動きを生み出したと言われています。細かく言い出すと、日本のイニシアティブというにはいろいろ微妙な面もあるのですが、いまは日本が世界基金のコンセプトの生みの親ということになっています。

 つまり、沈黙を破って、追加的資金の必要性が国際社会の共通認識になっていく2000年7月は世界のHIV/エイズ対策の大きな転換点でした。そのダーバンで再び2年後に国際エイズ会議が開かれることの意味はなんでしょうか。そして、その一週間後に日本は何をしているのでしょうか。あの時はこうだったみたいな話しを持ち出し、あれこれといろいろなことが言えそうだけれど、いまは何を言ってもしょうがないような感じがしてしまう。日本のエイズ対策を長々と取材してきた新聞記者にとってはやや悲しくもあります。