『エイズの時代を生きる ボストンで出会った人たち』 日本記者クラブ会報から

 毎月発行される日本記者クラブの会報には『書いた話 書かなかった話』という大型のコラム欄があります。大ベテランのジャーナリストが、第一線の敏腕記者だった当時の取材秘話を明らかにするという人気コーナーです。

その9月号に30年近く前のボストンでの経験を報告した拙文『エイズの時代を生きる ボストンで出会った人たち』を載せていただきました。1989年から90年にかけてボストンのエイズアクションコミッティとボストンリビングセンターという2つの団体で過ごしていたころの体験談です。

残念ながら私は大ベテランというほどではなく、敏腕記者であったためしもなく、秘話といえるほどの体験もないのですが、それでも齢はとります。棺桶に片足を突っ込みながら思い出話に花を咲かせる年頃になったのかなあと感慨もひとしおであります。温情で機会を与えてくださった日本記者クラブの皆さんに感謝するとともに、「書きましたよ」と宣伝にこれ努めることにしましょう。

日本記者クラブの公式サイトで会報のPDF版をダウンロードできます。

 

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表紙は金足農高の写真ですね。私のコラムは12~13ページに見開きで載っています。また、同じく公式サイトの取材ノートというページでもお読みいただけますので、よかったらご覧ください。www.jnpc.or.jp

詳しい話は直接、読んでいただくようここで改めてお願いするとともに、宣伝用といいますか、時代背景を説明した部分を少しだけ紹介しておきましょう。 

『米国で最初のエイズ症例が報告された1981年から8年が過ぎていた。病原ウイルスのHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染する人の数は増え続け、大半は10年以内に死亡する。そんな時期だ。極めて致死率の高い新興感染症の流行に世界は大きく動揺していた』

『まだ有効な治療法もなく、流行の闇が最も深い時期だった。だが、このセンターはリビングの名称が示すように「死の病」のイメージを覆し、生きることに活動の焦点を当てた。地元の政治家が「エイズ患者はいずれ死ぬのだから」と演説し、「いずれ死なない人間がどこにいる」とAACのクライアントの怒りが爆発する。そんな時期でもあった』

この人たちに税金を投入しても・・・みたいなことを言いたがる政治家は、いつの時代にもいるのでしょうか。