庭の句碑だけでしたが 鎌倉虚子立子記念館訪問記

 10月の3連休初日、昨夜からの雨が上がり、午後はさわやかな秋晴れとなりました。鎌倉の中心部は予想通り大変な人・・・。サンマは目黒、混雑は避けるに限る、ということで午後の散歩は二階堂に繰り出しました。

 

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 ここまでくれば人も少ない・・・閑静な住宅街にひっそりとたたずむこのお屋敷は?

 

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 高浜虚子とその次女、星野立子にちなんで平成13年に開館した鎌倉虚子立子記念館です。公式サイトはこちら

 代表が高浜虚子のお孫さん、館長はそのご長男ですから、虚子のひ孫になりますね。

 字が下手なことでは自他ともに許す私のような者が言うのもなんですが、看板の文字はあまりうまくないね・・・ん? 帰ってからネットで調べたら、書かれたのはどうも日本画の巨匠、小泉淳作画伯のようです。あちゃ~、ホンマでっか。

 うん、確かにこの独特の味わいと力強さは、並大抵のものでは・・・(もう、遅いよ)。話を変えましょう。

 建物の扉はしまっていたので、休館日かな? 残念と思いつつ、大小の句碑が並ぶ脇の通路をたどっていくと芝生のお庭に出ます。その奥にひと際、大きな石碑。

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 右は高浜虚子の作品。

 鎌倉を驚かしたる・・・

 次の漢字は何と読むのか。答えはCMの後で(じゃないでしょ、おじさんは最近、TVの見過ぎ・・・)。CMはないけど後ほど。

 左は星野立子

 父が付けし わが名立子や 月を仰ぐ

 いいねえ、ふっくらとお米が立っているといいますか、言葉が立っています。おそらくは秋の夜空を仰ぎ、すっくと立って月を眺めていたんでしょうね。

 というわけで、軟投派のおじさんとしては、少し緩急をつけたつもりで、先ほどの虚子の句に戻りましょう。

 鎌倉を 驚かしたる 余寒かな

 「余寒」だったか。読み方は「よかん」ですね。「よさむ」と読んでいました・・・などと書くと恥の上塗り。それは「夜寒」ですよ。

 と、まあ、くだらないことを考えながら写真を撮っていたら、建物のガラス戸が開いて、年配のおじさんが出てきました。記念館の方ですね。お休みではなかったのか。

 「怪しいものではございません。せっかく来たもので、せめて写真でもと思いまして・・・(しどろもどろ)」

 じゅうぶん怪しい不法侵入者に対しても、記念館の方は「受け付けているのは予約された方だけなんですよ」と逆に申し訳なさそうな様子。こちらこそ恐縮です。

 

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  帰り道。永福寺跡です。源頼朝建久3(1192)に建てた大寺院の跡ですね。鎌倉市の『かまくら観光』サイトでは以下のように説明しています。 

鎌倉市/永福寺跡(ようふくじあと)

『応永12(1405)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として整備工事が進められている』 

ただし、今日はここも入れません。

 

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注意報って・・・雨はもう、とっくの昔にやんじゃって、いまは青空なんだけど、と文句を言ってみても始まりませんね。なにしろ、がっちり鍵がかかっていて、誰もいないのだから。まあ、致し方ないか。さらにそのまた先の鎌倉宮も夕方から薪能があるということで、境内には入れず・・・外ればかりの休日でしたが、それでもけっこう楽しめるのが鎌倉の怖いところであります。