吉村昭さんの長編エッセー『東京の下町』の読後感想文続編です。感想にもなりませんが、「え、そうなの」という個人的な驚きを一つ追加します。
当時の子どもたちの遊びを紹介した「其の十二 ベイゴマ・凧その他」に次のような記述がありました。
『ベイゴマは、遠い昔、関東以南の海でとれる海螺(ばい)という巻貝に粘土をつめてまわしたことから海螺弄し(ばいまわし)と言われ、ばいがべいに訛ったと聞いていたので、「貝の会」という名称をつけた』
吉村さんが知り合いの編集者とともに、行きつけの小料理屋の二階で毎月一回、昔を懐かしんでベイゴマ遊びをする会を作った。そんな話です。実は私も小学校から中学校に上がる前後の一時期、ベーゴマにはずいぶん熱中しました。角度を付けてコマを床(とこ)に落とす。この廻し方には吉村さんも指摘するようにかなり技量がいります。
(注:角度を付けるのは記事ではなく、あくまでコマであります。誤解のないように念のため)。
私が驚いたのはそうした技術論ではなく、「ベーゴマ」だと思っていた遊びが「ベイゴマ」だったことです。鉄のコマは日本的な子どもの遊びとは少し離れた印象があったので、私は米軍の兵隊さんたちの遊びが変形して子どもたちに伝わったのではないかと思っていました。つまりべー軍のべーをとって「ベーゴマ」ですね。そうじゃなかったんだ。
参考までに言うと、私が物心のついたころには、すでに日本は占領下ではなくなっていましたが、「べー軍」は割と身近な単語でした。例えば日本経済新聞の旧社屋があったあたりの土地は小学校3、4年くらいの時期には、子どもも大人も勝手に入り込んで野球ができる空き地になっていて、そこもなぜか「べーグン」と呼ばれていました。
平日の夕方などは広大かつほとんど無人のその「べーグン」の土地を子どもたちが使い放題に使っていましたが、日曜日になると大人のチームが大挙して押し寄せます。したがって、子どものチームは恐竜全盛期の哺乳動物のように、小さな隙間を見つけてはこそこそと練習をしていたものです。そうか、変なところでセコイ性格はこういうところに遠因があったのか・・・おっと、大幅に脱線してしまいましたね。話を戻しましょう。
「ベーゴマ」ではなく、「ベイゴマ」ですか。吉村さんは『三十年もたっているのにその廻し方が身についているのを知った』と書いています。ただし、これは例外的なケースのようで、『東京の下町』には以下のような記述もあります。
『少年時代ベイゴマ遊びの巧みだったと称する人も、ゴザのくぼみ――床(とこ)にコマを入れるどころかまわすこともできない』
実は私も数年前、ベーゴマならまかしとけ、と自慢した挙げ句、うまく廻せずに大恥をかいたことがあります。自信はあったんだがなあ・・・。