《したがって、許されないことだが、私は誰にも言わないことにした。できるだけ他の人と接触せず、一人でいるようにしていた。あまりに不安なので、自分がどんな危険を冒しているのか、どれほどの危険に仲間をさらしているのかも、ほとんど分からなくなってしまっていた。おそらくは腸に何かが感染したのだろう、四八時間以内に熱は下がり、私は少し謙虚になった。ヤンブクの修道女や住民たちがこの二カ月間、熱が出るたびに、そして新たな死者が出るたびに、夜な夜な耐えてきた恐怖の一端を窺い知ることになったからだ》
1976年にザイール(現コンゴ民主共和国)のヤンブク村でエボラ出血熱の最初のアウトブレーク(当時はまだ謎の感染症だった)があったとき、ピオット博士は国際調査団の先遣隊として現地を訪れた。患者の診察と調査を行って首都キンシャサに戻った後、下痢と発熱、激しい頭痛に襲われ、博士自身は間違いなくエボラの初期症状だと感じた。そうした自覚症状があれば必ず報告しなければならないことも医師として分かっていたが、誰にも言わずにいたという。症状は2日ほどでおさまり、結局、エボラではなかったのだが、その経験から博士は患者の立場で考えることの重要性を認識し、それが後のエイズ対策の大きな指針にもなる。個別の疾病を超えて生かすことのできる経験の蓄積だったと言うべきだろう。
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