毎月第3土曜日のSANKEI EXPRESS紙に掲載されている【湘南の風 古都の波】の1月掲載分です。残念ながら今年もなかなか安らかな年にはなりそうもありません。それでも祈る。祈りたい。渡辺照明記者の写真はこちらでご覧下さい。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150119/exg1501191810003-n1.htm
【湘南の風 古都の波】敵も味方もなく安らかな年に
夜になって少し雨が降った。乾燥した空気が湿気を帯びてきたせいか、寒さが和らいだようにも感じる。2014年12月31日も残りわずか。すでに午後11時を過ぎている。紅白歌合戦では今頃、誰が歌っているのだろうか。
雑念と煩悩をどっさり抱えたままJR横須賀線の北鎌倉駅で電車を下り、駅の北側にある円覚寺の石段を上がる。
雨はもうほとんどやんでいるのだが、境内の石畳はうっすらと濡れていた。三々五々、訪れた人たちは山門をくぐると左側の緩やかな坂道を上がっていく。僧堂で除夜の鐘を突くことができるからだ。
その人の列を外れ、国宝洪鐘(おおがね)を目指す。こちらは初詣の人たちではなく、お坊さんたちが突く。
臨済宗大本山円覚寺は弘安5(1282)年、鎌倉幕府第8代執権、北条時宗が宋から無学祖元禅師を招いて開いた。2度にわたる蒙古襲来によって殉死した人たちを、敵味方の区別なく平等に弔うために建立されたという。
洪鐘は高さが259.5センチ。時宗の嫡男で第9代執権の貞時が正安3(1301)年、国家安泰を祈願し寄進している。
谷戸の中腹にある洪鐘まで100段を超える石段を上がり、新しい年の訪れをじっと待つ。午後11時55分から、円覚寺管長の横田南嶺老師が1回ずつ祈りを込め、ゆっくりと3つ。さらに傍らの弁天堂で読経をしてから、次々にお坊さんたちが国宝の洪鐘を突いていった。
≪雪のち希望へ…≫
年の瀬から新年にかけては、宗教行事が日々の暮らしに最も近づく時期でもある。鎌倉市長谷の長谷寺では納めの観音の12月18日、御足参りが行われた。
1年に1度だけお参りに訪れた人たちが観音堂の内陣まで入ることが許され、本尊の十一面観音菩薩像の御足に直接、触れることができる。木造では日本最大級という長谷観音の高さは9.18メートル。その足元には、正午から夜の8時まで参拝客の列が途切れることなく続いた。
鎌倉には大みそかに一般の人が除夜の鐘を突けるお寺も円覚寺や長谷寺、光明寺などたくさんある。真夜中の列に並び家族そろって鐘を突く人、遠くその鐘の音を聞きながら年越しそばを食べる人…。それぞれの行く年が過ぎていく。
一夜明け1日は雪化粧。元日の積雪は、東京で9年ぶりということだったが、今年は温暖な鎌倉の方が、その東京よりも少し多く降ったようだ。それでも鶴岡八幡宮をはじめ市内の寺社にはたくさんの人が初詣に訪れていた。
翌2日は一転して青空。相模湾に面した鎌倉は漁業の町でもある。由比ガ浜西端の坂ノ下海岸では、大漁旗で飾った漁船が砂浜に勢ぞろいした。新春恒例の「船おろし」。船霊に御神酒を供え、新たな年の豊漁と安全を願う。
船主たちが日ごろの感謝を込め、海に向かってミカンをまく。といってもそのミカンを拾うのは、砂浜に集まった地元の子供たち、そして大人たちだ。ミカンだけでなくお菓子や小銭もまかれる。
約10隻の漁船が順々にお菓子やミカンをまき、小さな群衆もそれにつれて東から西へと砂浜を移動していく。子供たちには懐かしい新春の思い出になる。
沖にはもう初サーフィンを楽しむサーファーたちが海に入っていた。風邪をひかないようにしてください…おっと、砂浜で見ているこっちの方が危ないか。
4日には、江ノ島に近い腰越海岸でも、同様の行事が行われた。こちらは「船祝い」と呼ばれている。
JR鎌倉駅に近い本覚寺には、鎌倉七福神のうち恵比寿様をまつる夷堂(えびすどう)がある。商売繁盛の神様。正月三が日の「初えびす」と10日の「本えびす」は福ざさを求める人でにぎわった。
「商売繁盛、家内安全、お祈り申しあげま~す」
福娘たちの声が華やかに響くと、すかさず太鼓がドドン、ド~ンと景気を付ける。雪で明けたこれからの1年、アベノミクスはどうなるのか。期待と不安が入り交じる船出ではあるけれど、ここはひとつ、明るくこぎ出しましょう。