カッコ付きの日々 エイズと社会ウェブ版221

 昨日のブログで紹介した「芸術のない1日」について、Visual AIDSの公式サイトに掲載されている紹介文を日本語に訳しました。あくまで仮訳です。

エイズの流行によって多数のアーティストが亡くなり、あり得たはずの才能が失われたことによる作品の不在を象徴的に表現する。最初はそうしたコンセプトから、美術館の展示作品を布で覆って見えなくしたり、展示室の灯りを消したり、美術館そのものを休館にしたりといった手法がとられました。したがって12月1日の世界エイズデーは、不在を表現する「DAY WITHOUT ART(芸術のない1日)」でもあったんですね。

しかし、90年代半ばからの抗レトロウイルス治療により、HIVを感染しても、エイズを発症し、死に至る人の数が急激に減っていきました。治療を受けられない途上国の人たちには、まだそうした日々は訪れてはいなかったのですが、先進諸国、とりわけ米国のHIV陽性者を取り巻く治療環境は劇的に変化しました。

HIV陽性のアーティストたちが生きて作品を発表し続けることも可能になり、不在と存在が混在するような状態・・・紛らわしい言い方で恐縮ですが、そんな状態に変わっていったのです。1998年の10回目から「DAY WITHOUT ART」が「DAY WITH(OUT) ART」とカッコ付きになったのも、現実の世界のそうした変化があったからでしょう。

 

 ここで注目しておきたいのは1998年の時点ですでにカッコ付きになっていることであり、そのカッコ付きのOUTは2014年のイベント25周年においても、そしておそらくはいまも外れていないということでもあります。

 

最初のカッコ付きに関して言えば、3剤以上の抗レトロウイルス薬を併用するカクテル療法の高い延命効果が最初に話題になったのは1996年1月にワシントンDCで開かれた米国内のエイズ会議での報告でした。実は当時、私は産経新聞のニューヨーク支局長で、他の新聞社の支局長から「宮田君、エイズの劇的な治療法が見つかったというニュースが盛んに流されているけれど、これは大変なことなの?」と尋ねられ、「一時的に効果があっても、後で耐性ウイルスが出てきたり、副作用がきつかったりして、結局は期待はずれに終わることが多い。今回もその類いじゃないの」などと答えた記憶があります。完全に外れちゃったわけですね。大先輩の他社の記者には、判断を誤らせる結果になってしまい、申し訳ありません。

 

それから何週間かして、当時、セントルークス・ルーズベルト病院にいた稲田頼太郎博士をマンハッタンの紀伊國屋書店に招いて講演をしていただきました。いまはケニアで活躍しておられる稲田先生です。講演ではこの新たな治療法に対する大きな期待が表明されましたが、医学の知識に乏しい私などは「え、そうだったの」と思いつつもまだ半信半疑。当時のカクテル療法(いまは普通に抗レトロウイルス療法と呼ぶことが多い)の登場はそれほど衝撃的でした(・・・といいますか、それほど衝撃的だったのに私は全然、理解できていなかったわけですね)。

 

ニューヨークの場合、その新たな治療法はわずか2年余り(実質3年弱)で、ビジュアルエイズがWITHOUTのOUTをカッコに入れるほど普及しました。

 

 ただし、それから20年近くが経過しようといういまもなお、「(OUT)」が消えて、「DAY WITH ART」にはなっていません。昨日の『ALTERNATE ENDINGS』の紹介文の最後にも書かれているように『なぜならエイズはまだ終わっていない(because AIDS IS NOT OVER)』からです。

 

 以下、「芸術のない1日」の日本語仮訳です。

 また、『ALTERNATE ENDINGS』およびVisual AIDSについては、21日のaktaのイベントの企画を担当されているNormal Screenの公式サイトに丁寧な日本語解説が掲載されています。実は私はNormal Screenの方とは面識がなく、勝手に紹介してしまって恐縮ですが、ご関心がお有りの方はご覧下さい。  

normalscreen.org

 

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芸術のない1日

 12月1日はエイズ危機に対応して行動し、亡くなった人を追悼する国際記念日

www.visualaids.org

 

 世界保健機関(WHO)の第2回世界エイズデーである1989年12月1日、ビジュアルエイズエイズ危機の悪化に対応するため第1回芸術のない1日を組織した。ビジュアルエイズのアートワーカー委員会(キューレーター、ライター、アート専門家)は「エイズ危機に対する行動と亡くなった人の追悼」を呼びかける文書を発送した。失われた仲間や友人たちの人生と業績を称え、すべてのエイズ患者をケアし、HIV感染についてさまざまな人たちに知らせ、完治療法の発見を求めるものだ。全米から800以上のアート団体、美術館、ギャラリーが参加し、作品を布で覆って、かわりにHIVやセーファーセックスに関する情報を展示した。扉を閉ざしたり、あるいは灯りを消したり、展示会やプログラムや朗読会や追悼式やパフォーマンスを実施したりした。ビジュアルエイズはポスターを制作し、情報提供を受け持ち、報道機関との接触を保つことによってこの巨大なイベント・ネットワークをコーディネートしていった。

 

 90年代前半を通し、積極的に参加するアーティストが増え、ビジュアルエイズは以下のような数多くのプロジェクトを始めるようになった:光りのない夜(ニューヨークの摩天楼の灯りを消す);エレクトリック・ブランケット(テキストとイメージの野外スライド投影を全米各地で実施);ポジティブ・アクションズ(PSAテレビのためにニューヨーク市の3会場で同時開催されるコンペ形式の展覧会);ブロードサイドプロジェクト(対象を特定して著名アーティストによる著作権フリーのテキストと映像を提供);グループ・マテリアルが作成したエイズ・タイムラインや全米でテレビ放映されたイベントを含むメディアとの大胆な協力。ロバート・ファーバーの「10分に1人」など、多くのアーティストが極めて感動的な作品を数多く生み出している。90年代半ばまでに「芸術のない1日」には世界で8000人以上が参加するようになった。

 

 1998年には、10回目を記念して、「芸術のない1日」が「芸術の(ない)1日」に変わった。エイズパンデミックに焦点を当てた現在進行形のアート・プロジェクトをより包摂的に強調し、HIV陽性で活動するアーティストの積極的な参加をさらに求めるため、ビジュアルエイズはカッコを付け加えることにしたのだ。

 

 2010年以降、ビジュアルエイズはアーティストとともに映画を制作し、世界の美術館、アート研究施設、学校、エイズ組織にビデオを提供している。2014年には『芸術の(ない)1日』の25周年を記念して7個人・グループのアーティストにビデオ制作を依頼し、その作品『Alternate Endings』を国際的に上映するとともにインターネットでも広く観賞できるようにしている。

 

 『芸術の(ない)1日』の詳細は上記「Articles」のタブを参照。

 また、次の『芸術の(ない)1日』イベントについては上記「Suggested Activities」を参照。

 

 

 

DAY WITHOUT ART

An International Day of Action and Mourning in Response to the AIDS Crisis

December 1st

 

In 1989 in response to the worsening AIDS crisis and coinciding with the World Health Organization’s second annual World AIDS Day on December 1, Visual AIDS organized the first Day Without Art. A Visual AIDS committee of art workers (curators, writers, and art professionals) sent out a call for “mourning and action in response to the AIDS crisis” that would celebrate the lives and achievements of lost colleagues and friends; encourage caring for all people with AIDS; educating diverse publics about HIV infection; and finding a cure. More than 800 arts organizations, museums and galleries throughout the U.S. participated by shrouding artworks and replacing them with information about HIV and safer sex, locking their doors or dimming their lights, and producing exhibitions, programs, readings, memorials, rituals, and performances. Visual AIDS coordinated this network mega-event by producing a poster and handling promotion and press relations.

 

During the early nineties, as artists became more intimately involved with the group, Visual AIDS initiated numerous projects that included: A Night Without Light (the dimming of the New York skylight); the Electric Blanket (a nationwide outdoor slide projection with text and images); Positive Actions (an exhibition-competition for a television PSA held simultaneously in three NYC venues); the Broadside Project (distribution of copyright-free text and images by well-known artists targeted to specific audiences); and ambitious media collaborations, including AIDS Timeline by Group Material and national televised events. Artists created many of the most moving actions, including Robert Farber's Every Ten Minutes. By the mid-90’s, Day Without Art attracted more than 8000 participants throughout the world.

 

In 1998, for its 10th anniversary, Day Without Art became Day With(out) Art. Visual AIDS added the parentheses to highlight the ongoing inclusion of art projects focused on the AIDS pandemic, and to encourage programming of artists living with HIV.

 

Since 2010, Visual AIDS has worked with artists and film makes to internationally distribute videos to museums, art institutions, schools and AIDS organizations. To mark the 25th anniversary of Day With(out) Art in 2014, Visual AIDS distributed Alternate Endings, a program of commissioned videos by seven artists and collectives that was screened internationally and is available online to share widely.

 

For more history and writing on Day With(out) Art - see the "Articles" tab above.

 

Also see above for "Suggested Activities"for your next Day With(out) Art event.