エルトン・ジョン卿からのメッセージ

 英国のロックスター、エルトン・ジョンさんの同性婚のニュースはNHKのニュースでも報じられていましたね。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141222/k10014172181000.html

《同性どうしの結婚がことし3月に法律で認められたイギリスで、人気歌手のエルトン・ジョンさんが、同性のパートナーと正式に結婚し、結婚式を挙げました》

 その記念にというわけでもありませんが、話題になっているうちが華ということで、当ブログでも、2012年7月に米国の首都ワシントンで開かれた第19回国際エイズ会議(AIDS2012)におけるエルトン・ジョン演説を改めて紹介しておきましょう。
 (以下、引っ越し前のブログで2012年7月30日に掲載したものです。演説の英文テキストはエルトン・ジョン エイズ財団のサイトに掲載されていることがその後、分かりましたので以下をご覧ください)

 http://newyork.ejaf.org/text-of-sir-elton-johns-address-at-aids-2012/

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◎第19回国際エイズ会議でエルトン・ジョンさんが演説 (2012.7.30)
 米ワシントンDCで開かれた第19回国際エイズ会議(AIDS2012)2日目の7月23日、『Can Public-Private Partnerships Help Those who Think Globally, Act Locally?』というセッションでロックスターのエルトン・ジョンが行った基調演説の動画映像をもとに日本語仮訳を試みた。うまく聞き取れず、すっ飛ばしたり、こんな感じかなあと類推したりして補った部分もあるので、発言要旨の紹介といったところか。
(注) 誤解があるといけないので補足すると、Independent紙のサイトにはかなり刈り込んだバージョンの文字原稿が載っている。それも参考にして動画映像からの演説を聴き取っていった。この原稿がなければ、私の英語力では大意すらつかめなかっただろう。
http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/elton-john-science-can-stop-aids-but-to-end-the-plague-we-need-love-7966167.html

 時間がある方には(おそろしく手間がかかると思うけど)、動画で演説をチェックし、「ここはこういう風にした方がいい」といったアドバイスをお願いしたい。
 エルトン・ジョンは自らの体験を語り、エイズの流行に終わりをもたらすには「医学とお金だけでなく、それ以上のものが必要です。愛が必要です」と強調している。また、愛という言葉がいやなら「思いやりでも、親切でも、理解でも、共感でも、好きなように呼んでください。考えていることは同じです。エイズの流行を終わらせたいのなら、もっと人間性や愛が必要です」と繰り返した。
 「エイズという病気の原因はウイルスだけど、エイズの流行はそうではない」「流行は偏見や憎しみ、誤解、無知と無関心によって拡大する」と考えるからだ。
 予防としての治療やワクチン開発などを否定するものではないが、演説後のパネルディスカッションでは「今日はhuman side of AIDSに重点を置いた」と語っている。それが最も大切なことを国際保健の並み居る専門家の前で念押ししたかったのだろう。パネルにはジェムズ・チャウ氏も参加した。来日時には日本記者クラブで会見し、新宿二丁目のaktaで日本のエイズアクティビストやジャーナリストと懇親した中国のジャーナリストだ。

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ワシントンDCの第19回国際エイズ会議(AIDS2012)におけるエルトン・ジョン演説
http://globalhealth.kff.org/AIDS2012/July-23/Can-Public-Private.aspx

 ひとつの物語から始めます。酒と薬で混乱した過去があり、自らのセクシャリティを受け入れようとしてきた若者の話です。彼は感染予防策をとらないセックスをし、HIV感染の極めて高いリスクにさらされていました。どん底を経験し、生活は混乱を極めていました。破滅的で、怒りに包まれ、どうなるか分りませんでした。
 正直なところ彼は死亡するはずだったし、ほとんど死亡しかけてもいました。でも、そのとき驚くべき何かが起こったのです。人々は彼に思いやりと愛を示しました。尊重し、理解してくれたのです。手をさしのべ、立ち直るチャンスを提供しました。そして、彼は立ち直りました。すべてが変わったのです。いまは素晴らしい生活です。愛するパートナーとかわいい息子がいて、この22年、ずっとシラフでした。そしていま、彼は皆さんの前に立ち、演説をしています。
 本来なら、私は今日ここにいるはずではありません。死亡して、木製の箱に入り、6フィート地下に埋められているはずです。1980 年代にHIVに感染し、1990年年代には死んでいたでしょう。フレディ・マーキュリーロック・ハドソン、そして、あなたたちの友人や愛する人だったあまりにも多くの人と同じように。
 毎日、私は思います。いかにして私は生き残ったのか。答えはわかりません。これからも分らないでしょう。しかし、どうして私がここにいるのか。それは分ります。あなたたちに、そして聞いてくれる人には誰にでも、私の命を救ってくれたメッセージ、実行すれば何百万もの人を救うことになるメッセージを伝えるためです。 あなたが何者であるか、誰を愛しているかにかかわらず、どこで暮らしているか、どのように暮らしているかにかかわらず、何をしてきたか、あるいは、してこなかったかにかかわらず、誰もが思いやりと尊厳に値するし、誰もが、誰もが、誰もが、愛に値します。なぜ、こんなことを言うのか。エイズという病気の原因はウイルスだけど、エイズの流行はそうではないからです。エイズの流行は偏見や憎しみ、誤解、無知と無関心によって拡大するのです。
 エイズの終わりについて、多くのことが語られています。もっともな話です。私たちはエイズの流行を終わらせることができる。皆さんのおかげです。あなたたちの研究と支援活動でここまできました。救命治療と予防策があります。しかし、それだけでは十分ではありません。この病気をはっきりと打ち負かすには十分ではありません。あなたにも、私にも、それは分っています。医学とお金だけでなく、それ以上のものが必要です。愛が必要です。
 この言葉がしっくりこないのなら、他の言葉の方がいいのなら、思いやりでも、親切でも、理解でも、共感でも、好きなように呼んでください。考えていることは同じです。エイズの流行を終わらせたいのなら、もっと人間性や愛が必要です。
 エイズ・メモリアルキルトの展示会場に行ってきたところです。亡くなった人への愛に満ちていました。そしていま、私たちが必要なのは、生きている人への愛です。
 シニカルな人たちは、こう言うでしょう。どうすれば、そんな感情的なことでウイルスに勝てるというのだ。答えは簡単です。とりわけ、エイズの流行を終わらせることに人生を捧げ、いまこの会場にいる皆さんには簡単でしょう。
 30年に及ぶ流行の中で、周囲の誰かがHIV陽性だと分ったときに、人がどのように反応するのか。私たちはそれをずっと見てきました。具合の悪い人を見て、非難の理由を探し出す人もいます。彼女はHIVに感染しているって? それは困った。薬物使用者か売春婦じゃないのか。彼はエイズだって? ゲイだから、あるいは、貧しいからだろう。病気にはなるべくして、なったに違いない。背徳的な生活をしているのだから、病気になり、死んでもしょうがない。自業自得だ。
 しかし、病を受けた人に接し、愛する理由を考える人もいます。あなたは病気ですか。私もいつか病気になるでしょう。あなたはもうすぐ死ぬのですか。私もいつか死ぬときがくるでしょう。何か私にできることはありますか。どうしたら愛を示すことができるでしょうか。
 31年の間に3000万人もの人が亡くなっています。この間、あなたの中にも、私の中にも、両方の反応があることを私たちは見てきました。ウガンダには憎悪、ウクライナには偏見、米国には無関心があります。
 私たちはゲイ男性が差別され、殺されさえするのを見てきました。HIV陽性者が家族から追放され、コミュニティから汚名を着せられるのを見てきました。エイズであるために路上に捨てられた子供たちがレイプされ、迫害されています。こうした恐怖や無視や憎悪のすべてが私には耐えられない。
 しかし、私たちは愛も見てきました。タイの僧侶が薬物依存の人たちのために働き、ソーシャルワーカーHIV陽性の受刑者のために働くのを見てきました。もうけよりも命を優先させる企業があり、カソリックの修道女や神父がインドのセックスワーカーを助けるのを見てきました。米国の保守政治家であるジョージ・W・ブッシュ氏がアフリカのHIV陽性者の命を救うために何百億ドルもの資金拠出を誓約するのを見てきました。
 このすべての愛がなかったら、いったいどうなっていたでしょうか。どこにもたどりつけなかったでしょう。このすべての愛、すべての思いやりのおかげで、800万を超える人がいま、治療を受けています。心にかけ行動した人たちのおかげで、この流行の終わりが視野に入るようになってきました。蜃気楼ではありません。まさしく現実なのです。
 しかし、これまで以上に思いやりがなければ、流行は終わりにはなりません。おそろしいほどたくさん必要です。思いやりはどうして目的を達するために必要なのでしょうか。
 たとえば、私たちは薬物使用者を監禁したり、孤独のうちにエイズや依存症で死亡させたりすることでは、新規感染をなくすことはできません。病気を広げ、苦しみを大きくするだけです。必要なのは支援です。清潔な注射針と治療です。彼らを裁くかわりに、愛するのです。
 ゲイ男性に石を投げたり、反同性愛法を成立させたりすることによって、アフリカの男性と性行為をする男性の間での感染を減らすことはできません。いまは21世紀なんですよ。
 すべての人に思いやりを持ってください。マラウイのジョイス・バンダ大統領のように。あなたが思いやりを示せば、だれも暗闇の中に追い込まれずにすむようになるでしょう。治療を求めることを恐れる人もいなくなるでしょう。
 南アフリカエイズの流行を止めるには、自らの状態を知ることに誇りを持とうということをHIV陽性者に告げましょう。南アフリカ政府はまさしくそれを始めており、有効に機能しています。HIV陽性の人が行動を変えたり、人々が検査を受けたりする気になるような機会を提供していく必要があります。思いやりの心が人々に検査や治療を受ける気を起こさせるのです。
 アメリカのエイズの流行を終わらせたいのですか。それなら、治療を受けるお金がない人、長い待機リスト上の人たちに対する思いやりの気持ちを表わしてください。ワシントンDCでは、そうした人たちのほとんどは貧しい人、黒人、忘れられた人たちです。最も豊かで力の強い国であるアメリカの首都ですら、こうした状態なのです。
 アメリカは途上国のHIV陽性者に大きな愛を示してきました。自国の新規感染を止めたいのならいますぐそうすべきです。
 必要なのはあと少しの資金、あと少しの理解です。対話と行動を変える言葉の力です。私の友人のエリザベス・グレイザーやエリザベス・テイラー、ラリー・クレイマー、ライアン・ホワイトらが10年以上前から教えてくれた思いやりです。私は世間知らずだとか、おかしくなっているとか思われるかもしれません。ええ、私はいま、数千人の国際保健の専門家を前に、愛でエイズの流行を終わらせることができるという話をしているのです。
 愛の他にも必要なものがあることは私も分っています。予防プログラムに資金が必要です。治療プログラムを広げる必要があります。研究を続ける必要があります。ワクチンを開発しなければなりません。いまこの部屋にいるすべての人が、ユニバーサル・トリートメントとワクチンの夢を実現したいと思っています。その日がくるのを毎日、夢見ています。その夢を現実に変えようとしている人すべてに神の祝福があるでしょう。
 ただし、かりにその夢が実現したとしても、ワクチンが使えるようになったとしても、それで十分ではないでしょう。ワクチンは東ヨーロッパで偏見を止めることはできません。ウガンダホモフォビアを止めることはできません。南アフリカでレイプを止めることはできません。アジアでワクチンを入手できない貧しい人々を助けることはできません。アメリカでHIVに感染している人を犯罪者として扱う法律を変えることはできません。
 医学は病気を治すことはできても、医学だけで感染症の流行を終わらせることはできません。はい、いまは正確で安価なHIVの在宅検査もあります。しかし、感染が分っても誰も助けてくれないと思っている人に検査を受けるよう説得することはできません。あなたの人生はあてにしていませんよと言われるような社会で、どうして検査を受けようという気になるのですか。
 はい、予防にも役立つ素晴らしい治療法がいまはあります。しかし、偏見とホモフォビアを恐れてHIV感染を明らかにできない状態で、どうやってHIV陽性者が治療を受けられるようになるのですか。
 はい、私も皆さんと同じようにワクチンの発見を希望し、祈りもしています。しかし、ワクチンを必要とする人を社会から切り捨てようとしているような政府が、必要な人にワクチンを届けることはできません。
 だからこそ思いやりが大切なんです。愛が治療になるのです。
 世界中で何百万もの人が、自分がどういう人間かということで、自らを恥じています。私は薬物依存者だったことを恥辱と感じていました。HIV陽性であるために、セクシャリティのために、貧困のために、たくさんの人が自らを疎外され、排除されていると感じています。 
 自分が何か間違っていると思うから恥辱を感じているのです。病気のために、あるいは誰を愛しているかということで、人間として価値がないと思っているのです。
 恥辱と偏見が支援や治療を求めるのを妨げ、自らを守ることを妨げています。私もかつてそうした恥辱の意識を持っていました。そのためにほとんど死にかけたくらいです。世界中で多くの人がそうした感情のために死に追い込まれようとしています。こうした状態を止めなければならない。恥辱を愛に、偏見を思いやりに変えなければならない。取り残される人があってはならない。これが疫病の流行を止める方法です。
 1995年に私は新曲を発表し、その中の一節で、私は神を信じるように愛を信じていると歌っています。私は経験からそれを知っています。依存症からの回復過程における暗黒の日々に、見知らぬ人々から大きな思いやりを受けてきました。名前を聞いたこともない人からです。回復治療を受けていたときの看護師さんや私がロックスターであることなど知らなかった他の患者さんが私を助けてくれました。
 周囲の人は誰もが親切で、思いやりがあり、受け入れてくれました。そのような愛が私を変えたのです。私の命を救ってくれました。
 あなたを信じている人、助けてくれる人たちからの愛という贈り物は、最高に素晴らしい贈り物のひとつです。お金がかかるわけではありません。しかし、世界で最も高価なものです。
 そうした贈り物を受け取る資格は誰にでもあります。ただし、みんながその贈り物を受けているわけではありません。私とあなたは、何かをすることができるし、何かをしなければならない。約束します。そうすれば、この31年に及ぶ悪夢から目覚め、新しい日が訪れるでしょう。ありがとう。