4362 【湘南の風 古都の波】 囲炉裏に椅子のおもてなし

 

 いい季節はあっという間に過ぎてしまう印象ですね。先週の土曜日(18日)のSANKEI EXPRESS紙に掲載された【湘南の風 古都の波】です。渡辺照明記者の写真はこちらで。

http://www.sankeibiz.jp/express/news/141020/exg1410201615006-n4.htm

 

【湘南の風 古都の波】 囲炉裏に椅子のおもてなし

 10月の鎌倉散策は天気図とにらめっこになった。週末から週明けにかけて、台風18、19号が2週連続で日本列島を襲ったからだ。皮肉なことに、その前後はさわやかな秋日和…。青空はどこまでも高く、町を歩くとキンモクセイの甘い香りがかすかに流れる。

 落差が激しい。

 小町通りの喧噪(けんそう)を少し離れた旧川喜多邸別邸(旧和辻哲郎邸)が一般に公開された10月4日はそのさわやかな土曜日だった。

 ヨーロッパ映画の紹介を通し、わが国映画界の発展に尽くした川喜多長政、かしこ夫妻の旧邸は鶴岡八幡宮に近い鎌倉市雪ノ下にある。夫妻が亡くなった後、市に寄贈され、母屋は鎌倉市川喜多映画記念館に建て替えられている。

 しかし、谷戸の小さな坂道を上がった別邸は、市の景観重要建造物として保存され、春と秋に一般公開されている。木造平屋建て。神奈川県の大山にあった江戸末期の農家の建物を哲学者の和辻哲郎(1889~1960年)が東京都練馬区に移築し、自宅として使用していた。

 和辻の没後、今度は川喜多夫妻が建物を鎌倉に移築し、アラン・ドロンフランソワ・トリュフォー監督ら内外の映画人が訪れた際のゲストハウスとして使われていたという。

 一般公開とはいえ、建物の保存のため、入れるのは土間までだった。そこから上がった居間の様子は写真でごらんいただこう。部屋の隅には囲炉裏(いろり)が切られ、畳の室内に椅子(いす)とテーブルが並んでいる。和洋折衷のこの配置も、外国からの客人を日本情緒豊かに迎えようという夫妻の「お・も・て・な・し」の心の再現だろう。


 ≪愛用の筆に感謝を込めて≫

 ざわざわと梢(こずえ)を吹き抜ける秋風とともに、鎌倉の芸術の季節も深まりを見せている。日がぐっと短くなり夕闇の訪れが早い。台風19号の進路を気にしつつも鎌倉市二階堂の鎌倉宮では、10月10日(金)と11日(土)の2夜、第56回鎌倉薪能(たきぎのう)が開催された。

 台風が接近して、なぜか肌寒かった体育の日の13日を除けば、10月の3連休はこれ以上は望めない秋の行楽日和だった。

12日の日曜日には午後1時から、鎌倉宮にも近い荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)で絵筆塚祭が営まれた。

 学問の神様、菅原道真(みちざね)をまつる荏柄天神社は、太宰府天満宮北野天満宮と並ぶ日本三古天神の一つで、1104(長治元)年の創建と伝えられる。境内には『かっぱ筆塚』『絵筆塚』の2つの碑もあり、こちらは比較的新しい。

 案内板の説明を紹介しよう。

 『手前に佇むのが、河童の漫画を描き続けた清水崑氏が愛用の絵筆を供養し、昭和四十六年に建てた「かっぱ筆塚」です。大きな筆を担いだ河童の姿がレリーフされています』

 鎌倉は漫画家ゆかりの町でもある。

 『奥にそびえるのが清水氏の遺志を継いで、横山隆一氏らが平成元年に建立した「絵筆塚」です。当時、日本漫画家協会に所属していた漫画家有志がそれぞれのキャラクターを河童のモチーフで描き、それらの作品一五四枚がレリーフされています』

絵筆塚祭は毎年10月にその清水崑氏をしのび、感謝の心を込めて古筆を焚(た)きあげ供養する行事だという。境内では古筆を持って集まった漫画家の皆さんが畳2畳分の和紙に寄せ書きをし、筆とともにその寄せ書きも焚かれた。カッパの絵、受験生にちなんだ「合格」祈願、そうかと思うと、ヒトスジシマカの絵に「デング熱退散」の文字。時事問題にも素早く反応するところはさすがというか…。

 せっかくの寄せ書きが灰になってしまうのは惜しい…などと言ってはいけませんね。お世話になった筆に感謝を込めた供養です。

 参道には全国の漫画家約100人から寄せられた絵が「まんが絵行灯(あんどん)」として掲揚されている。11日夜にはこの行灯に灯がともされた。

 「漫画家だけで100人も描いてくるのはここだけでしょう」と日本漫画家協会参与で絵筆塚祭実行委員会会長の小山賢太郎さんはいう。貴重ですね。ひとつひとつ行灯を見ていく楽しみは、秋の夜長にふさわしい。ちなみに本連載の地図を毎回、担当している筑紫直弘記者も漫画家として行灯や寄せ書きに参加していた。身内話のようで恐縮だが、報告しておきたい。