『ノー・タイム・トゥ・ルーズ ― エボラとエイズと国際政治』 エイズと社会ウェブ版175

 出版社から本日、刷り上がったばかりの見本が届きました。もうすぐ書店にも並ぶと思いますので、見かけたら手に取ってみて下さい。
 『ノー・タイム・トゥ・ルーズ ― エボラとエイズと国際政治』
 http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766421972/

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 『本書はそのエボラとエイズの両方の流行と最前線で闘ってきたピーター・ピオット博士の回顧録である。矢も楯もたまらずに訳し始め、慶應義塾大学の樽井正義教授、元NHK記者で国際放送の英語キャスターを務めた大村朋子さんのお二人の強力な応援を得てもなお、翻訳には原著出版から二年もかかった。エイズ取材を四半世紀も続けてきた新聞記者としては、原著を読むと、「ああそうだったのか」「あれはこういうことだったんだ」と改めて納得する新発見の連続であった』
 ([訳者解説]ピオット博士と日本のエイズ対策 から)

 

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 ここから先はFACE BOOKで紹介しましたが、エボラ、エイズの流行初期の衝撃がいかに大きかったかということが、少し分かっていただけるかもしれません。再掲します。

 (実は影響はいまの方がますます深刻であること、しかし、新興感染症と闘ってきた有名無名、さまざまな立場の人たちの努力の結果、何とか対応可能なところまで漕ぎ着けていることは、ピーターの本を読んでいただけると、ますますよくお分かりいただけると思います。本の帯にもあるように現状はまさしく「エボラは再来し、エイズは続いている・・・」ですね)。

 

 1976年10月、ピオット博士は後に「エボラ出血熱」と名付けられる謎の感染症の調査のためにザイール(現コンゴ民主共和国)を訪れる。流行はヤンブクという小さな村で発生していた。そのとき現地に乗り込んだ医師らが最も恐れていたのは、その流行が大都会に広がることだった。

 『最悪のシナリオは流行がキンシャサにまで広がることだ。無秩序な巨大都市でインフラは貧弱、政府は信頼できない。独裁的な政府を無視することに慣れた三〇〇万人の市民が暮らしている。ヤンブクに宣教に来ていたベルギー人三人、修道女二人と神父一人が、二週間ほど前に治療のため首都に運ばれた。三人ともすでに死亡したが、少なくとも看護師一人が彼らから感染している。その看護師、マインガ・ンセカは入院中で重体だ。彼女が接触した人を追跡し、隔離しようと努力が続けられている。その中には、と言って一瞬カールは口を閉じてから、米国の大使館員も含まれている、と続けた。看護師は留学ビザを取得するために、米国大使館を訪れていたのだ』(第2章 ついに冒険の旅へ)

 しかし、このときは流行が首都にまで広がることはなかった。エボラに関して言えば「最悪のシナリオ」が現実のものとなるのは38年後のことだ。

 ただし、世界はそれ以前にエボラの「最悪のシナリオ」すら超える深刻な新興感染症パンデミックを経験することになる。1983年10月、ザイールの病院を訪れ「朝だけで、エイズと思われる症例を五〇例以上」も診たときのことをピオット博士はこう書いている。

 『一九七六年の悪夢を思い出した。エボラがキンシャサを襲うかもしれなかったときのことだ。私はそこへ戻っていた。しかも、この新たな流行はすでにキンシャサを襲っていた。私が知る限りでも、この流行による死者はエボラよりはるかに多くなりそうだった。エイズには見えない部分が多く、それは制御不能ということでもあった。エボラは序曲に過ぎなかったのだ。今回私たちが目の当たりにしているのは、想像しうる最悪の流行、空前絶後、最大の加害者、どれだけ私が努力してもそれを飲み尽くし、それ以上を求める何かだった』(第10章 新たな流行病)

 ここまでで全体の三分の一くらいでしょうか。そこから先は・・・。副題『エボラとエイズと国際政治』の国際政治もがんがん登場し、エイズを通して世界が見えるといいますか。コフィ・アナン、ネルソン・マンデラビル・クリントン温家宝フィデル・カストロと役者もそろっています。悪いことは言わない、とにかく読んでよ。