『大観衆はどこにいる』 エイズと社会ウェブ版568

 東京オリンピックパラリンピックの開催(あるいは中止)をめぐる議論が煮詰まってきましたが、まだ公式な結論は出ていません。
 個人的には私は無観客開催を目指してほしいと思っています・・・ということで、現代性教育研究ジャーナルの連載 Oneside/Noside 第49回『大観衆はどこにいる』は、五輪のレガシーをめぐるコラムです。PDF版の13ページに掲載されています。

https://www.jase.faje.or.jp/jigyo/journal/seikyoiku_journal_202105.pdf

 

f:id:miyatak:20210518230132j:plain

『国家主導にしても商業五輪にしても、そのパワーの源はスタンドを埋め尽くす大観衆とメディアだった。だが、6万、7万という大観衆はスポーツ観戦に適したものだろうか。正直なところ選手の細かい動きは客席から確認できない。観衆は結局、会場に特設された巨大スクリーンの映像を追うことになる』

 開催の有無もはっきりしていないのに、そして、仮に開催が決定するとしても開催前からレガシーだなんて・・・そうおっしゃる方もいるかもしれません。でも、もうレガシーは生まれています。
 そして、できればもう一つのレガシーも実現してほしい。あくまで個人的な希望だけど。