「ベルリン・ペイシェント」 ティモシー・ブラウンさんが死去 エイズと社会ウエブ版516

 HIV感染からの治癒を果たし「ベルリン・ペイシェント」として世界の注目を集めたティモシー・レイ・ブラウンさんが9月29日、米カリフォルニア州パームスプリングスの自宅で亡くなりました。54歳でした。

 10年以上前に受けた白血病治療のための骨髄移植の結果、体内のHIVは消えていましたが、白血病が再発し半年間にわたる闘病生活を続けていたということです。

 ネットで調べると、AFP通信は翌9月30日付で訃報を伝えています。 

www.afpbb.com

 CNNの日本語サイトは10月1日付でした。 

www.cnn.co.jp

 どちらも国際エイズ学会(IAS)の公式サイトに9月30日付で掲載された追悼ブログが情報源だったようです。こちらですね。

《IASは深い悲しみの中で「ベルリン・ペイシェント」、ティモシー・レイ・ブラウンさんに別れを告げます》www.iasociety.org

 HIV/エイズの治療研究におけるブラウンさんの存在がいかに大切なものだったかを示すブログでもあります。AFPやCNNのサイトの記事からの情報も含めて紹介しておきましょう。

 IASのアディーバ・カマルザマン理事長はブログの中で『HIVの治癒に道を開くという重要なコンセプトを医学者たちが共有できるようになったのは、ティモシーさんと主治医のゲロ・フッター氏のおかげです。そのことに深く感謝します』と述べています。

 ブラウンさんは米国出身ですが、1995年にドイツのベルリンでカフェの店員などをして働いていた1995年にHIVに感染していることが分かりました。その後、急性骨髄性白血病も発症し、2007年に骨髄移植を受けています。移植後は抗レトロウイルス薬によるHIV治療も中断していましたが、翌2008年から体内のHIVが検出されない状態が続いていることが確認されています。

 IASのブログによると、『骨髄を提供したドナーは、HIVが細胞に侵入して感染する際に必要なタンパクであるCCR5という遺伝子が変異していたため、HIV感染を阻む耐性が自然にあった』ということです。このあたりのことは医学の素人なので、私にはよく理解できていないのですが、ブラウンさんは移植を通してその耐性も受け継いだということでしょうか。

 白血病は再発したものの、HIV感染については、亡くなるまで体内からまったく検出されない状態が続いていたそうです。ブログはこう説明しています。

 『別の言い方をすれば、彼は治癒したのです。このことはHIVがいつか治癒可能になることを示唆するものでした。HIVの治癒研究に取り組む研究者や研究機関には大きな刺激を与えました』『IASが2011年に設立した「HIV治癒に向けたイニシアティブ」もそうした取り組みの一つです。安全で費用もかからない治癒の方法を探り、拡大をはかることを目指しています』

 HIVに感染している人が、感染していない状態に戻ることはできる。それが実証されたことの意味は大きい。ただし、骨髄移植はHIV治癒のために誰もが選択できる治療というわけではない。研究はまだまだ、これからだ・・・ということでしょう。

 実際にHIV陽性者の治癒報告はブラウンさんの後、今年3月にアダム・カスティージョさんの事例が公表されるまで、長い間ありませんでした。カスティージョさんはCCR5陰性のドナーからホジキンリンパ腫の骨髄移植を受けています。移植後、長期にわたってARTを中断してもHIVが検出されない状態を維持していることから、HIV治癒を果たした二番目の人物と考えられ「ロンドン・ペイシェント」と呼ばれています。

 「ベルリン・ペイシェント」はしばらくの間、公開の場に姿を表すことはなかったように思います。私が知ったのは2012年に米国の首都ワシントンで第19回国際エイズ会議が開かれた際に記者会見を開いたというニュースが伝わってきたからです。

 《世界初のHIV治癒、元患者男性が研究基金設立》  

www.afpbb.com

 ああ、この人ですか、なんか、アメリカのどこにもいそうな感じだね・・・と写真を見て思いました。「ベルリン・ペイシェント」という言葉からは、どこか非人間的な冷たい印象が伝わってきてしまいますが、ご本人が登場することで、親しみを感じるというか。この笑顔の価値を大切にしたい。カミングアウトは、決して周囲が強要するようなことではないが、ご本人が必要性を納得し、自ら進んで行うことで、計り知れない波及効果を社会にもたらすこともきっとある。そんなことを改めて感じ、ささやかながらブラウンさんの苦闘に思いをはせつつご冥福をお祈りします。