『COVID-19対策に向けたHIVからの10の教訓』 エイズと社会ウェブ版485

 投資家のジョージ・ソロス氏が設立したオープン・ソサエティ財団(OSF)は、世界各地で社会正義の実現や教育、公衆衛生、メディアの活動などを支援しています。最近はとくに新型コロナウイルス感染症COVID-19の流行を「かつてない試練」ととらえ、社会的に弱い立場に置かれ、その影響を最も大きく受ける人たちへの緊急支援に力を入れているようです。

 https://www.opensocietyfoundations.org/ 

 そのOSFの公式サイトに6月12日付で『COVID-19対策に向けたHIVからの10の教訓(10 Lessons from HIV for the COVID-19 Response)』という投稿が掲載されました。投稿者のダニエル・ウルフ氏はオープン・ソサエティ財団公衆衛生プログラムの国際ハームリダクション開発担当理事。私はお会いしたことはありませんが、略歴をみると、ニューヨークのゲイメンズ・ヘルス・クライシス(GMHC)のコミュニティ担当ディレクターをかつて務め、現在も国連の注射薬物使用に関する戦略的諮問グループの委員だということなので、HIV/エイズ分野に深い知識と経験を有する方のようですね。

 HIV/エイズの経験をCOVID-19対策にどう生かすか。これは個人的にも関心を持っているテーマなので、試みに訳してみました。あくまで私家版の仮訳です。

 ウルフ氏のあげる10の教訓は以下のようになっています。

  • 発生源探しは、悪意と分断のもと
  • リスクゼロではなく、ハームリダクションを目指そう
  • 検査には常に信頼が必要
  • 公衆衛生とパンデミック対策に警察権力の行使は有害
  • 上からあれこれ指示するよりコミュニティに任せた方が効果的
  • タイムライン(スケジュール表)は事態の明確化よりミスリードにつながりやすい
  • 新たな治療は誰のために必要か、その認識によって価格が決まる
  • 個人を非難しない
  • 地球規模で考え、資金の活用は柔軟に
  • アクティビストは正義を求め続けよう

 

 見出しだけ見ても「そうかそうか」と納得できることもあり、逆に「ん、これはどうなの?」と疑問に感じるところもありそうです。

 「公衆衛生とパンデミック対策に警察権力の行使は有害」「上からあれこれ指示するよりコミュニティに任せた方が効果的」といったあたりは、COVID-19対策の中で、いままさに日本でも重視しておきたい指摘でしょうね。

 「タイムライン(スケジュール表)は事態の明確化よりミスリードにつながりやすい」というのはちょっと分かりにくい感じがします。説明を見てみましょう。

 「エイズ患者は誤った希望を与える情報に耐え、後で無効だとわかる何十もの治療へのアクセスを得るためにヘラクレスのような努力を続けてきました」

 こういう指摘があると、ああ、そうだったなあと改めて思う。

 医学研究への期待は大きいけれど、期待のあまり、願望と現実を混同してしまうこともないわけではありません。

 「米国保健省のマーガレット・ヘックラー長官は2年以内にワクチンができるでしょうと発表しています。1984年のことでした」

 HIV/エイズの治療が現在の抗レトロウイルス治療(ART)に向けて劇的な進歩を遂げるようになったのは1996年からです。初の症例報告から15年かかりました。ワクチンはヘックラーさんが「2年以内」と語ってからすでに36年も経過していますが、いまなお開発途上です。

 研究陣の懸命の努力を応援し、期待はするにしても、そうすんなりとはいかないかもしれない。この点も覚悟しておく必要があります。願望に引きずられることなく、それでも絶望もせず、社会としてパンデミックに対応していくためにどうしたらいいのか。いや、どうしたのか。その経験は貴重です。以下、参考までに私家版日本語仮訳です。原文はこちらでご覧ください。

 https://www.opensocietyfoundations.org/voices/10-lessons-from-hiv-for-the-covid-19-response 

 

COVID-19対策に向けたHIVからの10の教訓

 パンデミックに直面する社会は、拒絶、怒り、抑鬱といったキュブラー-ロスの有名な悲しみのステージを通り抜けていきます。世界がロックダウンの状態から不安を抱えつつも新型コロナウイルスとともに暮らす時期へと移行する中で、HIVパンデミックとともに生きてきた長い経験から学ぶ10の教訓を紹介しましょう。

 

発生源探しは、悪意と分断のもと

 中国ウイルス(トランプ大統領)、武官ウイルス(シンガポール)、米国防総省が生み出したもの(中国)、ビル・ゲイツの陰謀(多数の陰謀論者)など、どんなレッテルを貼るにせよ、ウイルスの起源に期限に関する議論の大半は、科学的な洞察力よりも敵意に拍車をかけることになります。

 エイズの場合には、例えば、初期に症例報告があった人たち - 男性同性愛者(homosexuals)、ハイチ人(Haitians)、血友病患者(hemophiliacs)、ヘロイン依存者(heroin addicts)のいわゆる「4Hクラブ」-だけが感染のリスク集団だとする誤解のために効果的な対策は遅れ、差別を促しました。動物から人への感染や発祥国といったことを調べるのは科学者の仕事です。政治家はパンデミックに対する効果的な対応策に集中しなければなりません。

 

リスクゼロではなく、ハームリダクションを

 HIVに襲われたコミュニティは「絶対の安全」ではなく、「より安全に」という考え方を学び、セックスや薬物使用、妊娠など、それぞれの人にとって生きていくうえで不可欠な活動はリスクを最小限に抑えながら継続できるように工夫しました。COVID-19も同じようにリスク削減のアプローチと感染を減らすための正確な情報・ツールが必要です。拒絶主義にはしり予防対策を政治目的化したり、絶対安全を求めたりすることではありません。

 

検査には常に信頼が必要

 ワシントンでは検査を国の対策の最も重要な指標としていますが、信頼できる社会支援の仕組みがなければCOVID-19の検査と接触者調査(contact tracing)は機能しません。

 HIVでは、治療提供と差別解消のためのメカニズムができるまで、対策に取り組む支持者(advocates)の多くが自己検査に反対でした。雇用主や保健当局、失業保険機関、児童福祉制度などが検査結果をどう扱うのかも分からないままで、それでも人びとは検査(抗体検査または抗原検査)を受けるだろうと期待するのは現実的ではありません。保健医療関係のいかなるテクノロジーも、人びとが利用するのを恐れる状態では機能しません。

 

公衆衛生とパンデミック対策に警察権力の行使は有害

 シンガポールや中国のように、隔離を強制したり、発熱の有無を調べたりするために警察を使うことは、長期的にみれば事態を悪化させるだけです。すでに過剰な取り締まりを受けCOVID-19にも脆弱性を有する人口集団(例えばフィリピンの薬物使用者、ブラジルのファベーラ住民、米国のアフリカ系アメリカ人男性)は、法執行機関が自分の健康を守ってくれるなどとは思っていません。ジョージ・フロイドさんの死に対する大規模な抗議行動がこのことを示しています。

 HIVの場合、深刻なリスクを抱え、支援が届きにくい人たちに取締りと逮捕監禁で臨むことは、その人たちへの支援をさらに困難にし、効果的な予防の機会を奪い、治療を妨げる結果になりました。保健対策と警察の法執行があいまいにされている事例はCOVID-19でもすでに見られます。イスラエルではテロ対策用の携帯電話データの収集がCOVID-19の接触者調査に使われ、オハイオ州では車内で薬物を過剰服用した人がCOVIDによる在宅命令違反で告発されています。逮捕や投獄を減らすことが公衆衛生の優先課題です。

 

上からあれこれ指示するよりコミュニティに任せた方が効果的

 公衆衛生担当者にとって「到達困難」であっても、そのコミュニティの人たちなら互いに連絡しあうことに何の困難もありません。HIV予防の経験によると、支援の対象となる人たち、とりわけ医師や政府に不信感を持つのももっともだと思える人たちへの健康教育は、日々の現実に直接、触れている人が担当すると最も効果があります。こつこつと足で調べること、そのための接触追跡者を新たに採用することは大切ですが、何をするのかと同じくらいに誰がするのかが重要です。現地に詳しく、コミュニティから信頼されている人を優先的に採用する必要があります。

 

タイムライン(スケジュール表)は事態の明確化よりミスリードにつながりやすい

 8月までに都市は再開するだろうとか、9月にはワクチンができるだろうといった主張は、失望する結果を招くでしょう。実際に、すべて実現するとしても進展の仕方はそれぞれ異なり、強力な科学的プロセスが必要です。エイズ患者は誤った希望を与える情報に耐え、後で無効だとわかる何十もの治療へのアクセスを得るためにヘラクレスのような努力を続けてきました。米国保健省のマーガレット・ヘックラー長官は2年以内にワクチンができるでしょうと発表しています。1984年のことでした。

 

新たな治療は誰のために必要か、その認識によって価格が決まる

 すべての人が新たな検査や治療を求めやすい価格で受けられるようにならない限り、豊かな人びとおよび富裕国は、他の人が受けられないのに、なぜ自分たちが受けられるのかということについて、醜い言い訳で正当化しなければなりません。エイズ治療は価格と偏見の物語です。例えば2001年当時、治療薬は南の国々にはとても手が出せない価格でした。米国国際開発庁のディレクターはアフリカについて「時計とは何かも分かっていない」と人種差別発言を行い、したがって治療を適切に受けることはできないと断言しています。しかしジェネリック薬との競争で価格が急落し、HIV治療の普及に対する抵抗も崩壊しました。

 

個人を非難しない

 公衆衛生システムには、硬直した制度の点検を棚に上げ、特定の患者を「ちゃんと守れない人」と非難する傾向が強くあります。例えば、HIV感染と診断された人の圧倒的多数がヘロイン注射の使用者である東欧地域では、エイズセンターを訪れた人は入り口で「薬物の影響下にある人は明日、お出でください」と書かれた看板に出くわすでしょう。ヘロインが日常の習慣になっている人にとっては「戻ってくるな」と言われているようなものです。

 一方、米国では男性とセックスをするアフリカ系アメリカ人男性-HIVの陽性率が極めて高い層でもある-は、薬物の使用率が高く、同性愛者であることを秘密にし、自己嫌悪が強く、自分を守ろうとしないなど、より高いリスクを抱えているように疑われることが多くなっています。実際には、同様の立場の白人の男性と比べ、リスク行動が高いわけではないのですが、HIV検査や治療へのアクセスが少なく、HIVに接しやすい社会ネットワークがあります。私たちはすでに移民層がCOVIDの「時限爆弾」とか感染性の「侵略者」といったレッテルを貼られているのを目撃しています。実際に有害なのは、政府の失敗を個人の行動の問題にすり替え、社会的に弱い立場の人たちのまさにその脆弱性スケープゴートにする発想です。

 

地球規模で考え、資金の活用は柔軟に

 HIV/エイズの流行に対応するには国際的な協力が必要なことを認識し、HIV予防と治療のためにグローバルファンドを創設するまでに20年かかっています。しかし、エイズ資金の場合、例えばHIV診療といった特定のものに支援目的が限定される-それ以外の施設でもスタッフや備品が不足しているのに-ということが。COVID-19は生活の様々な面に影響があり、分野横断的な対応が必要です。また、それぞれの地元の事情を考慮し、工夫をしながらその基準を設定していく必要があります。

 

アクティビストは正義を求め続けよう

 COVID-19は共助と科学協力、慈善活動による社会的貢献などの面で新たなネットワークを生み出しています。しかし、医療従事者が必要な防護装備を整え、危険手当が得られるようにするには、午後7時になったら医療従事者を賞賛するということだけでなく、さらに強固な行動が求められるでしょう。医学者同士が協力したいと思っていても、雇用主である製薬会社の幹部は成果を共有を望まないでしょう。数百兆円に及ぶ緊急援助資金に対しては、多くの人が目を光らせ、その資金が何に使われ、誰が締め出されているのかということをしっかり把握しなければなりません。

 HIV治療が得られるはるか以前から活動を続けてきたエイズアクティビズムの大きな教訓の一つは、現状をそのまま受け入れるのではなく、よりよい現実を想像していく力が大切だということです。私たちはいま、再びそれを求められています。